4月30日(火)曇り 【坂口安吾全集を処分】
本棚の片づけをようやくしています。引っ越してきてから間もなく一年になりますが、なかなかダンボールの中の本を整理できないでいます。引っ越してくる前に山のように本を整理したはずですが、まだまだあります。よくもこれだけ本を貯めたものだと我ながら感心しています。
それでもそれぞれの本に思い入れがあって、自分が生きている間に処分しきれないかもしれません。
白洲正子さんの本はほとんど集めていますが、これは手放しきれません。坂口安吾全集全12巻は、学生時代に好んで読んでいましたので、処分しきれませんが、思い切って手離すことにしました。他に思い切って手離す本とともにブックオフに持ち込みましたが、ブックオフではこれは捨てるばかりの本です、と判定されてしまいました。
かなり日焼けもしていますし、冬樹社のこの全集は昭和44年版です。捨てるなら自分で捨てようと思い持ち帰りました。今頃安吾を読もうという人もいないでしょうが、パラパラとページをめくってみますと、安吾もよくこんなに書いているものよと、改めて感心しました。
作家は原稿用紙の升目を埋めていくことに生きがいを感じて生きたのでしょう。
話はかわりますが、最近村上春樹の『色彩を持たない田崎つくると彼の巡礼の年』という小説を読んでみました。この頃小説はほとんど読みませんので、かなり新鮮な気持ちで、4時間もかけて読ませていただきました。まあ、面白かったという感じです。あまり詳しい読後感ははぶきますが、すぐれた文章力に感心しました。
また全く違った観点からでしょうが、若い時に、自死を考えていても、時がたち何かのきっかけでその呪縛から離れられることのあることを、この小説を読んだ人の中には、そんなことを受け取る人もいるのではないかと、思いました。また自分の思い込みで自分を責めたり、傷つけたりすることがあるということを、謎解きのようにこの小説では展開していますので、自分のことに置き換えて救われる読者もいるかもしれませんね。
閑話休題。とにかく何冊かの処分する本とともに、安吾全集も私の本棚から消えることになりました。思い切って多くの本を処分できるときが、数年のうちにやってくるでしょうね。
皆さんはいかがですか。