風月庵だより

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オードリー・タン『自由への手紙』を読んで その2

2021-04-30 20:21:21 | Weblog

4月30日(金)快晴【オードリー・タン『自由への手紙』を読んで その2】

このところ忙しく、永平寺拝登にも行っていましたので、この題名の紹介が中途になってしまっていました。
失礼してしまいました。

日本では、ネットによるワクチン接種の申し込みに不具合があったとかいうニュースを耳にしました。オードリーさんのような人が、日本の厚生省にいてくれたなら、貴重なワクチンを間違いなく国民に接種させることができるのではないでしょうか。日本にも多くの優秀なITに強い人々がいるはずです。

さて、もはやまた眠気に襲われています。しかし、あまりに中途までしか書いていませんので、もうすこし書き足したいとおもいます。

恐縮ですが、この本の目次の紹介だけしておきます。

Chapter1格差から自由になる(不平等から自由になる/不安から自由になる/年齢から自由になる/競争から自由になる/国家から自由になる/対立から自由になる)

Chapter2 ジェンダーから自由になる(正しさから自由になる/男と女から自由になる/ジェンダー概念から自由になる/家族から自由になる)
  *オードリーさんは体は男性ですが、心は女性です。また台湾では同性婚が法律で認められています。

Chapter3 デフォルトから自由になる(強制から自由になる/ヒエラルキーから自由になる/支配から自由になる/言葉の壁から自由になる)
  *台湾にはたくさんの原住民がいるそうですが、それぞれが言語があるので20を超える言語があるそうです。台湾流の「バイリンガル」は「それぞれの母語+英語」という形で、2030年に向けて、誰でも英語を話せるようなプロジェクトを、台湾政府は発足させたそうです。

Chapter4  仕事から自由になる(スキルセットから自由になる/一枚岩から自由になる/お金から自由になる)

以上のような内容ですが、興味のある方は、是非手に取ってお読み頂ければと存じます。

このような方が、台湾の大臣ですから、おめおめと中国共産党の餌食にはならないと思っています。

しかし、もし台湾がとられてしまったら、次に狙われるのは「日本」です。

台湾の持つ諸々の自由を守らなくてはなりません。香港はあっという間に、自由をうばわれてしまいました。この例があることを忘れずに明日は我が身になることを日本人はしっかりと見据えて防衛をしなくてはならない、と、私は強く思っています。

 

 

 

 

 

 


オードリー・タン『自由への手紙』を読んで

2021-04-23 21:56:26 | Weblog

4月23日(金)晴れ【オードリー・タン『自由への手紙』を読んで】

このところ、忙しかったです。税理士事務所に提出する収支計算書の作成(今年から税理士さんに税務署提出書類の作成を頼むことにしました。)、宗務庁に提出する書類の作成、その上、来月の当寺の施食会は5月なので、そのお知らせからお塔婆書きなどなど、3月4月にやらなくてはならない仕事が山ほどありました。

そんなことばかりの日々で、ごみを捨てるために頂いてきた新聞の広告にあったこのタイトルの本の宣伝が目につきました。『自由への手紙』いいですね、ちょっと読んでみましょうか、さらに帯には「誰かが決めた「正しさ」には、もう合わせなくていい」なかなか面白そうでは、と思い、購入して読みました。

前置きが長くて失礼いたしました。

読んでみまして、台湾という国が少しだけわかったような気がしました。オードリー・タン(唐 鳳)さんは、台湾のデジタル担当政務委員、大臣だそうです。8歳から独学でプログラミングを学んだり、小学校入学まもなく9元連立一次方程式を解いてすでに天才と目されたそうです。中学も毎日学校に来なくてもよい、と特別の許可を頂いていたそうです。IQ180だそうで、19歳でシリコンバレーで起業したり、33歳でビジネスの世界からはなれて、35歳という若さで入閣、デジタル担当の大臣に任命しています。

ここからして、台湾という国の自由度が分かります。

(ところで、猛烈な眠気に襲われてきましたので、この辺でブログは一時止めにさせていただいきます。)

昨日の続です。

この本を購入して読んでみようかと、興味を持ったきっかけは、題名や帯の宣伝文句よりも、「マスク」のことでした。わずか2日間で台湾の全ての人にマスクがいきわたったそうですが、それはこのオードリーさんのITを駆使し、さらに国民の一人一人、老若男女、また20以上もあるという言葉の異なった国民を大事に思う彼、いや彼女の細心の企画によるものだったそうです。

私事ですが、阿部マスクはまだ届いていません。

ところで台湾は国民皆保険制度の導入を1997年から始めたそうですが、半年以上台湾に住んでいる人達も皆、国民健康保険を利用できるそうです。日本はどうなのでしょうか。この点については、私は知りません。

格差からの自由、ジェンダーからの自由、オードリーさんは、体は男性ですが、気持ちは女性です。台湾では、同性の結婚が合法化しているそうです。カミングアウトもしやすい土壌もあるようです。

(スミマセン、今日も一日忙しく、はや猛烈な眠気に襲われています。この辺で)

 


愛猫キヨの死

2021-04-12 16:26:26 | Weblog

4月12日(月)晴れ【愛猫キヨの死】

ルナの姉妹猫のキヨちゃんが天に帰りました。先週の月曜日です。
キヨちゃんを東京から預かってきたのは7月2日です。それから3月28日まで、一緒に住みました。本当は、きよちゃんは元の飼い主さんたちのところに帰りました、という報告を書きたかったのですが、それを書く間もなくわずか9日間、12年間可愛がって頂いた元の飼い主さんのところで過ごして、亡くなってしまいました。

連れて行ったときに、キヨちゃんは、あ、家に帰って来た、と安心し、喜んでいる感じでした。前から一緒に住んでいた太郎君とも再会の挨拶を嬉しそうにしていましたので、私は、安心してキヨちゃんを置いて帰ってこられたのです。もし、太郎君に唸ったり、居心地が悪そうだったら、また連れて帰ろうかとも考えていましたが、全くそのようではありませんでしたので、私も、よかった、と思って置いて帰って来たのです。

キヨちゃんと別れることは寂しかったですが、東京でも飼えそうだから、ということと、もしかしたら癌かもしれませんので、手術をするか考えましたが、自然がよいと、元の飼い主さんも言いますし、私も手術の後、とても痛がるけれども猫には鎮痛剤を使えないと経験者から聞きましたので、痛い目に合わせるよりも、自然の方がよいと選択しました。

元の飼い主さんの下で、もう少し長く生きて、楽しんでもらいたいと思っていましたが、きっと安心して旅立ったと思いたいです。

ルナと、友人の元に貰われていったお兄ちゃんのモルちゃんと、キヨちゃんの三匹は、林の中に段ボールに入れて捨てられていたのを、近所に住んでいた猫ボランティアのふみちゃんに助けられたのは、今から13年前の6月頃でした。

ルナとはほぼ4年間、同じマンションで、一階と三階を行き来して、それこそ毎日一緒に遊んでいましたが、8年間の不在ですっかりお互いに忘れていまして、最後まで思い出すということはありませんでした。でも私には慣れていまして、年中膝の上に乗ってきたり、キヨちゃん、散歩に行こう、と言いますと、境内や竹林の散歩についてきて、お寺の生活も楽しんでいてくれたと思います。

でも、なんとなくこの頃とくに寂しそうな感じがあり、キヨちゃんをお返しした方がよい、と強く感じましたし、元の飼い主さんたちも飼えそうだからというので、思い切って先月の28日に連れて行ったのです。

お寺での最後の晩は、キヨちゃん、一緒に寝ましょうね、隣で寝まして、東京に帰ることをよく言い聞かせました。

キヨちゃんは、子猫の時、モルちゃんと一緒に貰われていったのですが、子猫の夜の運動会はかなりひどいので返されてきて、今度は私が飼おうと思いましたが、やはり夜の運動会が賑やかすぎて眠れませんので、それで最後に、一階に住んでいたご夫婦が飼ってくれたのです。そして、去年の7月からお寺に引き取っていましたが、やっと、元の飼い主さんたちの下に帰って、これから元の生活がキヨちゃんには始まるところでした。でも、大事に育ててくださったご夫婦の下で、きっと安心して旅立ったのだと思います。お二人に看取られて、キヨちゃんの一生は終わりました。

キヨちゃん、有難う。楽しい思い出を有難う。本当に可愛い、良い子でした。
安らかでありますように。

(2008年8月の写真です。左からキヨ、モル、ルナ)

 

 

 

 

 


死は待った無し

2021-04-01 15:10:57 | Weblog

4月1日(木)晴れ暖か【死は待った無し】

このところ、あまりに忙しくブログを更新する余裕がありませんでした。それほど多くの檀家さんがあるわけではないのですが、一週間に立て続けのご葬儀がありました。また昨日と一昨日は、当寺の晋山式の折、永平寺御専使をお勤めくださいましたご老師の御逮夜と本葬がありました。配役は両班でしたので、式の間ずっと本堂に出続けていました。

今朝起きましたら、体があっちにフラフラ、こっちにフラフラで我が体ながら驚いた次第です。疲れていますね。そして間違いなく年をとった、と実感いたしました。

檀家さんのご葬儀でお送りしたお一人は、まだ若く、お子さんもまだ幼く、まことに辛いご葬儀でした。つい一か月ほど前にお母様の四十九日忌をつとめさせていただいたばかりでした。いつもと同じような感じでしたが、土曜日に喀血をしたのだそうです。すぐに病院に行くべきだったと奥さんが悔やんでいましたが、翌日は日曜日でしたし、本人が月曜日に子どもさんを幼稚園に送って行ってから病院に行くから、と言って、床について、その晩にはお亡くなりになってしまいました。

まことに死は待った無しです。お互いに他人ごとではありません。気を付けて生きていきましょう。私も気を付けます。なんとかフラフラはおさまりましたが、今日は少し早めに休ませていただきます。仕事は山積みですが、忘れましょう。皆様もどうぞご自愛くださいませ。