風月庵だより

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合唱コンクール ヒロシマのある国で

2013-11-01 21:27:32 | Weblog

11月1日(金)晴れ【合唱コンクール ヒロシマのある国で】

昨日、姪の学校の合唱コンクールを聴きに行きました。

姪にとっては曾御祖母ちゃんになる私の母を連れて行きました。

中学生の合唱コンクールを聴くのは初めてでしたが、思いがけず大変感動させられました。

中学一年生から三年生まで各クラス単位で合唱するのですが、学校の勉強とは別にクラスが一丸となって練習に励んだであろう、ということが自然と感じられました。

最後に三年生全員の合唱がありましたが、合唱の前に、先生方への感謝や贈る言葉を、時には一人が代表で、時には全員で、時にはクラス単位で叫んでいましたが、卒業式のようでそれは面白かったです。

さて、最後は「ヒロシマのある国で」という題の歌でした。

「ヒロシマのある国で、しなければならないことは

ともるいくさの火種を消すことだろう」

というような歌詞が印象的に耳に残っています。こういう歌があることを知りませんでしたが、中学生の方々の胸にこの歌詞がいつまでも刻まれるのではなかろうか、青春の甘くて辛い思い出とともに。

そんなことを思いました。

私が中学生のころは、合唱コンクールというような催しはありませんでした。

とてもよい企画だと思いました。普段は無気力な或る女生徒も、このコンクールになると俄然燃えるのだそうで、団長のような役割をして最後を締めていたことも、印象的でした。

私の姪は問題児だそうですが、クラスが最優秀賞をもらったので、終わった後もいつまでも感激の涙を流してクラスの友人たちと喜びあっていました。問題児でも無気力児でも、みんなで、一つのことを仕上げていく中で培われる絆があるだろうと思いました。なかなか良い企画だとあらためて思っています。

私たちの時代は、競争の激しかった時代でした。いつも勉強勉強で明け暮れていた感じでした。

いわゆる団塊の世代です。クラスもK組までありました。現代のように少子化の時代は、あの過酷な受験戦争もないでしょうし、これはこれとして良い面もありますね。

とにかく時は流れていきます。川の流れがとどまることをしらないように、また戻ることは決して無いように、この世は変化し続けていきます。諸行は無常ですね。この行は存在するものすべて、という意味です。

今日も一日、草取りやら母の補聴器の調整の人の応対やら、子猫たちのお世話にあけくれました。

一日が終わりました。なかなかブログを更新できませんが、皆さま、お元気で。

そのうち可愛い子猫たちの写真を載せたいと思っています。

ところで、この会場は最近できたホールのようですが、掘るに上がるのにエレベーターがなく、困りました。母のような老人や車いすのどうするのでしょう。母は数学の先生が上る時に、降りるときには、体育の先生が負ぶってくださいました。感謝。