風月庵だより

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冤罪晴れるー村岡兼造さんおめでとうございます

2006-03-31 12:33:06 | Weblog

3月31日(金)晴れ【冤罪晴れるー村岡兼造さんおめでとうございます】

一億円ヤミ献金事件で、裏金処理を指示したとして、政治資金規正法違反で起訴されていた村岡兼造元官房長官に、無罪の判決が、昨日東京地裁で言い渡された。この事件は橋本元総理の政治団体「平成研究会」、または橋本元総理に、日本歯科医師連盟の臼田氏から一億円が渡され、それが政治献金として収支報告書に記載されていなかったことに対して、東京地検特捜部の手が及んだ事件である。

村岡氏は当時平成研究会の会長代理を務めていて、会計責任者に指示を与えうる立場にいたことと、これを裏付ける証言として、平成研究会の滝川俊行元会計責任者の「元長官に裏金化を指示された」という偽証によって、この件について裏金化を主導した人物とされてしまったようである。

しかし東京地裁の川口政明裁判長は「無罪」を言い渡した。二時間以上に渡ったという判決理由陳述の締めくくりに次のような言葉を添えたそうである。
「長い間ご苦労様でした。今、桜が咲いています。今後のことはどうなるかわかりませんが、せめて、今夜一晩ぐらいは平穏な気持ちで桜を楽しんでみてはいかがでしょうか」と。

私はこの一文を目にして、涙が流れた。2004年9月に冤罪で在宅起訴されてから一年半、村岡さんの胸中はいかばかりであったろう。この事件の発端から私はこれは冤罪であろうと思っていた。テレビに映し出された村岡さんの樣子から、それを確信した。なぜなら私も冤罪の悔しさを知っているから、村岡さんの表情からそれを読み取ることができたといわせてもらおうか。

このような大きな事件に因んで、私のような者の小さな事件を書かせて頂くのは、恐縮ながら、お許し頂きたい。昔の話しであるが、私本人の全く知らないうちに、ある事件の犯人とされてしまっていたということがあった。その頃、何回かの盗難事件が私の属する閉鎖社会で起こっていた。そのことさえ私自身は隨分後まで知らなかった。

大分時が経ってから、この事件は、ある人におとしいれられたのだと思い当たった。その人を私は信用してさえいたので、自分の導き出した結論に驚きさえしたが、それ以外考えられないことであった。私という存在を排除したいという意図によるものであったろうと思う。後から考えれば、その事件の筋書きが、私が犯人と思われるようになっていたので、おかしいな、と気づいたのである。なぜなら当然私はしていないからである。

自分が犯したことでないのに、おまえやったな、ということは拷問にも近い。実際に為したことを、罪逃れのためにシラを切ることは、それほどに苦しくないのではなかろうか。やっていないのにやったなと周りに攻められることほど、苦しいものはなかろうと、自分の経験から思うのである。

私が犯人にされていると友に知らされたとき、何がなんだか分からなかった。悔しいというより、理解ができなかったという方が適切な表現であったろう。そして図書室で一人思い苦しんでいるとき、たまたま目にした新聞の記事が「冤罪晴れる」「免田さん無罪」の記事であった。

あまりにタイムリーな記事であったので、私はその新聞を切り抜いて長いこと持っていたほどである。「免田事件」は、昭和23年に、熊本の人吉で起きた一家四人殺傷事件の犯人として、免田栄さんが死刑判決を受けていた事件である。自白は拷問によるもので、無罪を叫び続けて34年余、ついに冤罪が晴れたのが、私が図書館で一人呆然としていた数ヶ月前であった。無罪判決がくだったのが、昭和58年7月15日なので私が目にした新聞は7月16日の新聞であったのだろう。

私のことは、免田さんほどの苦しみではないなと思いもし、その閉鎖社会を守りたいという思いもあって、警察に届けることを思いとどまった。しかし長い間、私はこの理不尽なことを思い出しては悔しい思いを蘇らせていた。釈然としなかったのである。この件については、今では私なりに心の解決はしている。しかし、それから女性の集団というものに近づくことは極力避けるようになった。テレビドラマなどで、犯人におとしいれられていくドラマは、その人が気の毒で今でも観られない。トラウマというものだろう。

しかし、そのとき私を信じてくれた数人の友人たちを、私は今でも大事に思っている。そのとき教えてくれた友人を終生忘れないだろう。友ほど大事なものはない。一人では生きていけない。

村岡さん、本当に今日はおめでとうございます。裁判長が「今夜一晩ぐらいは平穏な気持ち」と表現していたが、東京地検はさらに控訴するつもりであろうか。止めて欲しい。矛先が違うでしょう。
 #冤罪

#村岡兼造


道元禅師の和歌について(その1)

2006-03-30 14:10:00 | Weblog
3月30日(木)晴れ【道元禅師の和歌について(その1)】

曹洞宗の開祖である道元禅師(1200~1253)には『正法眼蔵』『永平清規』『永平広録』『学道用心集』『普勧坐禅儀』等の著述の他に『道元禅師和歌集』が編まれている。この和歌集については『傘松道詠』の呼称のほうが耳に親しいかも知れない。この『傘松道詠』という呼称は、江戸時代の宗学者、面山瑞方(1683~1769)が名付けたという説が、現代の研究では定説となっている。


この和歌集の成立は明確ではないが、道元禅師ご自身はご自詠の和歌を一冊にまとめたのではなく、後世の者が一冊としたようである。この和歌集についての最古の記述としては応永27年(1420)に宝慶寺の8世である喜舜和尚が「書写」して、当時首座(しゅそー禅の修行道場で修行僧中の首位に坐する者)であった機公(後に永平寺13世となる建綱禅師のこと)に附授した という記述が残されている。この「書写」の原本は何であったか、または喜舜和尚自身が、編集して書写したのか等、成立については定かではない。

その後の書写本も幾系統かあり、所載の和歌の数にも47首から65首の異同がある。時代が下がるほど所載数が増加している。成立の問題もあり、所載数の違いもあり、『道元禅師和歌集』に収められる全ての和歌が、ご真詠であるかは断定できないのである。

しかし『道元禅師和歌集』に収められる、ほとんどの和歌は、宗教的趣きの味わい深いものである。道元禅師ほどの境涯の方でないと、詠めないのではなかろうかと考えると、道元禅師のご真詠ではなかろうかと推察しうるお歌が多い。

道元禅師のお父さんは、最近の学説では源通親(みちちか)ではなく、その子の源通具(みちとも)といわれている。通具は和歌所寄人(よりうど)であり、『新古今和歌集』の筆頭撰者である。

道元禅師が和歌について造詣が深いのは当然ともいえる。三十一文字に宗教的境界を自在に詠みこなせることは想像に難くない。『道元禅師和歌集』に収められる和歌は、花鳥風月を愛でているような和歌であっても、単なる叙景歌ではなく、宗教の風光ともいえる世界を詠み上げている。「道歌」などと表現される由縁である。

私は「中秋夜のご詠歌」については、限りなくご真詠に近いであろうという論証を、某誌上で試みた。全てについての論証はできないが、一応、禅師のご真詠であろうと思われる数首を選んで解説を試みたい。(昨年『大法輪』誌上で書かせて頂いたものや、短波ラジオで放送させて頂いた和歌について当ブログにまとめてみた。本当はラジオの放送をインターネット上でお聞き頂けたのであるが、残念ながら最近配信が終了してしまったようなので、文章化を試みたい。)

春は花なつほととぎすあきは月 冬雪さえてすずしかりけり 
 
この和歌は川端康成氏によって、ノーベル賞の受賞記念講演で紹介された。日本の美しい四季を詠った和歌、という解釈が一般的にはなされている。しかし私は多少違う解釈をしたい。

道元禅師の祖父といわれる源通親の和歌に「春は花 夏はうつせみ 秋は露 あはれはかなき冬の雪かな」という和歌がある。通親は若いときは権勢を誇ったが、晩年は不遇な状況におかれたようで、人の世の儚さを移ろいゆく四季に寄せて詠みこんでいる。これを孫の道元禅師は本歌となさったと思うが、禅師の和歌は全く違った次元で詠んでいるといえよう。

禅師の和歌には「本来の面目」という題が付けられている。美しい日本の四季ではないのである。春には花、夏にはほととぎす、秋には月、冬には雪、それぞれ本来の面目を現じてすずやかだというのである。

道元禅師はこの和歌の中に、花、ほととぎす、月、雪にことよせて優劣比較のない宗教の風光を展開しているのではなかろうか。花もほととぎすも月も雪も生命の真実相の現れであり、あなたも私もまた生命の真実相の現れである。(言葉をかえて言えば、無限のエネルギーの表れ。万物は無限のエネルギーを、有限の身で現じているといえまいか。この見方は私が本師から教えられた見方である。)

道元禅師の師匠は中国の如淨禅師(1163~1228)というかたであるが、この方の語に「春は梅花に在りて画図に入る」という語がある。春は梅の花が咲いてはじめて春を現しうる、というような意味であるが、道元禅師のこの和歌も同じ趣旨といえるだろう。春も夏も秋も冬も、花、ほととぎす、月、雪などの現象をもって初めて現しうるものである。

同様にあなたがいなければ、私もいなければ、今のこの世はない。而今(にこん、まさにいま)のこの世は花や月と共に、あなたや私がいて、この世を現じているとさえいえよう。そしてそれぞれがすずやかだと禅師は詠まれているのではなかろうか。一つ一つ、一人一人すずやかなのだよ、とおっしゃってくれていると、この和歌を私は読みとくのである。

人間の苦悩の原因を考えてみると、その一つに、常に他と比較して自分に落ち着けないということはなかろうか。本来天地は全く差別無し、一人一人すずやかなのですから、安心して生きていきましょう。*続く


不屈のスケーター村主章枝

2006-03-29 22:48:38 | Weblog
3月29日(水)【不屈のスケーター村主章枝】
カナダのカルガリーで開催されたフィギィヤスケート世界選手権が 現地の25日に幕を閉じた。村主章枝選手は銀メダルに輝いた。

アメリカのキミー・マイズナー選手は予選とショートプログラムが終わった時点では7位であったが、フリーの演技で完璧に近い滑りができ、高得点をマークし、金メダルに輝いたのである。村主選手としてはSPまでの時点では2位であり、金メダルの可能性にかなり近いところにいたといえよう。しかしあまりにマイズナー選手の滑りが波に乗っていて、終盤での三回の連続ジャンプは印象深いものであった。

村主選手はマイズナー選手のすぐ後で、会場の興奮冷めやらぬ中で演技をスタートしたのだが、ラフマニノフのピアノ協奏曲二番の曲に乗ってすぐに村主ワールドに観衆を導いた。後半の連続ジャンプの乱れは惜しかった。今回はオリンピックの時とは違い、祈りのあとの清々しい笑顔は、このようなものだろうともいえる表情を見せてくれた。

2位という結果は本人にとっては惜しいものであろう。翌日の新聞にも「村主喜べぬ銀」とか「くやし涙」という文字を目にした。これが私には不思議であった。オリンピックの前にも股関節の故障があったり、この選手権の前にも疲労による身体の不調があったにも拘わらず、これほどの成績を残せたことはなによりではなかろうか。これこそ不屈のスケーターといえる由縁ではなかろうか

今は今で喜び、そして次につなげていく。会見のとき「気持ちを切り替えて、次に向かっていきたいと思っています」と答えていたが、一つが終わり、すぐに次をめざす、この不屈の精神こそは学びたいと思う。村主選手の華奢な感じからは、勝負の世界に生ききれる強靱さが、一体何処に潜んでいるのだろうかという疑問さえ湧くほどだ。それは絶え間ない努力と信念に裏付けられたものだろう。

常に今に満足し、かつ明日に希望をもってさらに歩み続けてほしい。どのような結果にも満足して、次のステップを踏み出すならば、結果に不満を持って次に進むよりも、豊かな展開が付いてくるのではなかろうか。オリンピックで銅メダルをとったときの浜口京子選手の、あの感謝に満ちた笑顔は、戦い抜いた者の笑顔であった。銅も金であったとさえ言える。

村主ファンとしては、村主選手が、お体にお気を付けて、さらなる境地に開眼なさるのを楽しみにしています。そしてベストを尽くしたとき、どんな結果でも喜んでくだされば、ファンとしてはともに喜べる時が増えますので、嬉しく思います。

ちょっと遅ればせながらの記事ですが、銀に悔しいということについて、少々考えていました。因みに3位はサーシャ・コーエン(アメリカ)、中野友加里選手は5位、恩田美栄選手は11位であった。

納骨-人,死して残すもの

2006-03-27 12:32:05 | Weblog
3月26日(日)花曇り【供養記 納骨-人、死して残すもの】
今日は81歳で亡くなられた方の納骨であった。奥さんや息子さん夫婦、年寄りを大事にする二人のお孫さん、そして生前にご縁の会った方々に見守られて、納骨を済ませることができた。このようにごく自然に、暖かく見守られて、人間であったときの唯一の証を納めることができることは有り難いことだ。

人は何でも自分一人でできるように思うが、全てのことは、自分以外の人のご縁が無くては何もできることはない。衣食住のどの一つを取り上げてみても明らかなことである。そしてその最たることが、コトリとも動かなくなってしまった我が死せる肉体の後始末であろう。これこそは自分ではどうすることもできない事柄である。

お骨をお墓に納めるまでが、遺族として責任のある大仕事である。お骨に決して霊などが宿っていることはなく、それは生きた証の残骸のようなものであるが、残骸と思い切れないのが家族の心情であろう。特に急に亡くなられたような場合、なかなかに手放すことはできないほどであり、何年も家にお骨を置いておかれる家族もある。それも自然なことで、無理にすぐ納骨しなくても、気が済むまで傍に置いておかれればよいと思う。いつか時が流れて、自然に納骨をしようかという時が来るものだと、見ていて思う。

日本民族は、お骨に対しての思いが強い傾向にあるといえよう。インドでは岸辺のガートで焼かれて、そのお骨はガンジス川などの川に流される。ネパールに旅したとき、川の畔荼毘に付されていた光景を目にしたが、手足が組んだ木の上から出ていて、強烈な印象を受けた。やはり、骨になったら灰にして、川に流されるのだと聞いた。鳥葬という国もある。死体は物体として執着しない、というヒンズー教系の民族は、お骨を特別扱いしないのであろう。(しかしマハトマ・ガンジー師のお墓はデリーのジャムナ河畔ラジガートにある。)

一方、仏教系やキリスト教系の民族は、お骨にさえも特別な思いを捨てきれないといえよう。戦後の遺骨収集はその強い表れである。私も出家してから、父の遺骨を迎えに行ったときのことは忘れられない。詳しいことを書くのは控えるが、膝に乗せた父の骨箱が、コトリと音を立てたのを、東北線の車中で聞いた。これが父のお骨なのだと、その時あらためて思った。そして父のお骨は故郷のお墓に納めた。

長兄が亡くなったときもお骨については一悶着があった。長兄のお骨は、故郷のお墓に当然納骨するものと思っていた母の意に反して、長兄の家族は住まいの近くにお墓を造ってしまった。それではせめて分骨をと頼んだが、長兄が住んでいた辺りは、分骨をするとよくないことがおこるという迷信があるそうで、それも叶わなかった。母のために、それこそ一骨でもお骨泥棒をしてあげようかと、当時は思ったものである。

老尼自身のことでさえ、お骨にまつわるこんな話があるのだから、普通に納骨ができるということは有り難いことだと、身に沁みて思っている。納骨を任される度に、こうして納骨ができてよかったと、しみじみと心に思いつつ、勤めさせてもらっているのである。

しかし更に言うならば、私自身のお骨は、海や山に散骨してもらえれば、一番有り難いと思っている。散骨するには、お骨を砕いてもらわねばならないが、割合に簡単に砕けるものだから、満開の桜の木の下にでも撒いてもらえたら、どんなにか有り難いことであろうか。
さてさて、自ら死した後のことまでは心配せずに、空行く雲に任せよう。ただ静かに消えていくのみ。

*因みに大雄山最乗寺の道了様はそのご遺体を見たものが誰もいないというので、今でも大雄山に生き続けていらっしゃるという信仰がある。そして今でも制中配役の筆頭に、監寺道了和尚として張り出されている。

*輪廻転生については2月17日、25日、28日の記事に書きましたので、カレンダーのその日付をクリックして下さい。

*Dr.Owlのブログ、梵音は原始仏教の教えについて、深い思索に富んだものです。お訪ね下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/savaka

住光子著『道元』

2006-03-22 23:46:00 | Weblog
3月22日(水)【読書住光子著『道元』】
最近読んだ本の中から、次の本を紹介したい。もう既にお読みの方もいらっしゃると思うが、念のため。
*『道元-自己・時間・世界はどのように成立するのか』住光子著・NHK出版
此の書は道元禅師の『正法眼蔵』の言葉を中心に、禅師の思想の解明を試みた書である。「みずからがさとった自己、そして世界についての真理を、言葉によって浮かびあがらせようとしている」と筆者は『正法眼蔵』の現成を説明している。

唐代、南嶽懐讓(677~744)は師の六祖慧能(638~713)から「什摩物恁麼来(なにものがこのようにして来たのか)」と問われて、答えられずに修行すること八年。遂にこの問いに対する答えを得た。「作麼生(どのようにわかったのか)」という六祖の問いに南嶽は答えた。「説示一物即不中(これこれといったなら、その途端にそのものから外れてしまいます)」。言語表現不可能な、真実の自己の当体をこのように南嶽は言語表現したのである。

中国祖師たちの禅語録を研究すると、言語表現しえないギリギリのところを、それぞれ言語表現しえたとき、「省(さとり)有り」と書かれている。住光子氏が「言葉によって浮かび上がらせようとしている」と『正法眼蔵』を説明しているが、中国禅の祖師方と同じく道元禅師が『正法眼蔵』を著された意図は全くその通りであろう。また住氏は『正法眼蔵』は「自己と世界の真相を他者に「知らせること」を目的として書かれた」ととらえている。理解しやすい説明といえよう。

住氏は明解な表現で『正法眼蔵』を読み解いている。「無自性・空・縁起」という仏教の中心思想 から道元禅師が『正法眼蔵』を説いていることを、氏は読者に理解しやすく説明してくれている。氏のような視点から、そして氏のような理解しやすい表現による『正法眼蔵』解釈は、浅学な老尼には実に有り難い解説書である。

120頁足らずの薄い本なので、まだお読みでない方にはお薦めしたい。幾箇所か疑問を持ったところはある。(特に坐禅を瞑想と解釈していたのは間違いといえよう。)
住氏は東京大学大学院博士課程を修了されて、現在お茶の水女子大学文教育学部の助教授である。ご専攻は日本倫理思想史。『道元の因果観について-倫理思想という観点から見た道元の思想』などの著書もある。

本書の目次をあげておきたい。

はじめに
  自己を知る/真理の探求と伝達/『正法眼蔵』について
第一章真理と言葉
  道元における二種の言語/真理をどう表現するか/「青山常運歩」という言葉/先入観  の相対化
第二章言葉と空
  「主観の構図-「一水四見」/「空」について
第三章自己と世界
  「青山常運歩」とはどのような事態か/自己と全体世界との関係
第四章「さとり」と修行
  「同時成道」について/「修証一等」とは何か/「空華」について/脱落と現成/俗世と  「空」
第五章時・自己・存在
  「有時」について/自己と時/時の連続性と非連続性/時と修証

勝ちましたね

2006-03-21 22:36:36 | Weblog
3月21日(火)【勝ちましたね】
日本勝ちました!WBC日本対キューバ、10対6!ホームベースにタッチした川崎選手の右手!這ってでもホームベースにタッチするイチロー選手の執念!とにかく素晴らしい!プロのプレーとはこういうものでしょう。

老尼にも、我ながら信じがたいことだが、神宮球場のネット裏で、スコアブックをつけていた野球少女の時代がある。また因みに『アストロ球団』の漫画家中島徳博氏のところは老尼のお経先である。いまさら野球老尼とはおかしいが、それでもWBCについてなにか書きたいと思ったが、今日はあまりに疲れたので、よかった、とだけ書いて寝ます。今日は夢見がよいでしょう。


王ジャパンのお陰で、美酒に酔いしれている日本列島でしょう。

感動を有り難うーパラリンピック閉会

2006-03-20 23:56:16 | Weblog

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3月20日(月)【感動を有り難うーパラリンピック閉会】
10日間に渡ってトリノで繰り広げられたパラリンピックが閉会した。選手たちはそれぞれなんらかの障害があるが、それを乗り越えて闘い抜いた10日間であった。小学校二年のとき、トラックにはねられて両足を失った鈴木猛史選手(17)は「両脚がないのが自分の武器」とまで言う。彼のように交通事故による負傷で障害を負った選手は多い。大日方邦子選手も三歳のとき交通事故にあったそうである。

背負わされた障害に対して恨みを言うよりも、それを受け入れて、そこから立ち上がっている姿に、私は勇気をもらった。また結果も見事であった。今回から競技が統合されメダルの数が減らされて、メダルをとることは難しくなったのである。そのなかで、金は2,銀は5,銅は2,合計9個のメダルを日本選手は獲得したのである。また寸差での4位もある。

選手として出場するからには上位を狙うのは当然のことであろうが、特に大日方邦子選手にはその思いが強い。選手たちにとって競技生活を支えるには、お金が必要である。自分が良い成績を収めることによって、障害者の実力を認めてもらい、障害者に対してスポンサーがつくようにしたい、というのが大日方選手の願いなのである。そして彼女は金メダル1、銀メダル2と、一人で3個のメダルを獲得してくれたのである。最後の回転では転倒してしまい棄権となったが、選手団の主将としての面目を十分に果たしてくれた。

青木辰子選手も最後の最後の女子回転座位で銅メダルを遂に獲得。やはりメダルを獲れたことは闘う者として、格別の喜びがあるだろう。青木選手の満面の笑みを「ひまわりのよう」と言って、NHKのアナウンサーも讃えていた。男子座位大回転では森井大輝選手が銀メダル、東海将彦選手も銀メダルを勝ちとった。

他に既に書いておいたが、小林深雪選手の金メダルと銀メダル、太田渉子選手の銅メダルがある。明日21日は朝8時35分から一時間、NHKで「トリノパラリンピック10日間」が放映される。観られる人は是非観てほしい。もっと早くにブログに投稿したかったのであるが、左手をひねってしまったので、パソコンが思うように打てなかった。たったこれだけのことでも、不都合なことがいろいろとある。障害を乗り越えている選手たちのなんとすごいことかと、あらためて感服したことである。

さらなるご活躍を祈っています。

明日はWBCも11時ごろからあるので、日本の人々はこの観戦に沸くことだろう。私もパラリンピックの放映も、WBCのほうもリアルタイムで観たいが、明日はお彼岸のお中日。明日の午前中は交通渋滞は免れるだろうと予想します。WBCのお陰で。

(私と同じくブログに慣れていない方にのみのお知らせ:お彼岸についての解説は「つらつら日暮らし」和尚さんのブログに丁寧に書かれています。左に「BOOK MARK」という枠の中にある「つらつら日暮らし」と書いてあるところをクリックして下さい。)

私の花粉症対策

2006-03-19 00:06:15 | Weblog
3月19日(土)【私の花粉症対策】
私が花粉症のくしゃみの第一声をしたのは平成2年2月20日、ある理由でこの日はよく覚えている。それ以来花粉症のために、この時期は辛い思いをしていた。しかし今年は一日だけ花粉症症状が出ただけで、今のところまだ花粉症には悩まされていない。先日は杉の多い所に出かけたが、なんでもなかったし、今日はお彼岸で墓所でのお経を頼まれたので、風がひどいのが気になったが、やはり花粉症の症状は出なかった。

私は注射も薬も嫌いなので、いつもこの季節、花粉のなすがままに、鼻はでる、涙はでるに任せていたのだが、今年はどうもだいぶ楽なようである。そこで私がとった花粉症対策をちょっと書いてみましょう。誰にでも効果があるとは言えませんが、参考にはなるかもしれません。去年までの自分の辛さを思い出すと、同病相憐れむの気持ちが起きます。

まず一日だけ花粉症症状で、鼻が出続けた日のことを思い返すと、ヒントが得られる。その日暖かくなったと思って、その日までは靴下を二枚履いていたのだが、一枚だけにした。そしてインスタント・コーヒーを飲んだ(日頃は飲まない)後から急に鼻が出始めて止まらなくなってしまったのである。家に帰ってすぐに靴下を二枚履き、ズボン下を一枚増やしたところすぐに症状はよくなった。やはり冷えは花粉症には大敵のように思う。

次に花粉症対策を箇条書きにしてみる。
①11月頃、友人からミントティーが良いと聞いたので、飲み続けた。
②ドクダミの煎じ汁で鼻の洗浄を12月から続けている。(漢方薬やさんに置いてある。煎じ方も教えてもらえる。)洗浄のとき片方の鼻は押さえる。
③ヤクルトを一年ぐらい続けて飲んでいる。(毎日ではない。一週間に4日ぐらい)
④杉の枝を煎じて少し飲んだ。(おちょこに2杯ぐらい。あまり濃く煎じない)
⑤朝日を浴びる。(朝日を飲み込むような気持ちで、太陽にご挨拶)
⑥靴下を2枚履く。
⑦腰から下を冷やさないようにする。
⑧軽い体操。
⑨甜茶エキスの錠剤を、一日花粉症になってから飲んでいる。
⑩温野菜を多く食べる。
⑪よくかんで食べる。
⑫主食は玄米、しかし白米も食べる。
⑬肉は食べない。
⑭胡麻を多く摂る。(ごま塩にしたり、野菜や海草にかける)
⑮味噌汁は必ず毎朝飲む。
⑯なるべく気楽に生きる。(これはなかなかできない)
⑰甘みは蜂蜜。
以上のようなところです。果たして明日のことはわかりませんが、今のところこのようなことでなんとか落ち着いています。花粉症は本当に辛いです。少しでも楽になればと思います。お役に立てれば嬉しいのですが。

今日はお彼岸のせいか、道路が渋滞で法事に遅れてしまい、胃が痛くなるほどでした。一日中車の運転をしてあちこちにお伺いしましたので、坐骨神経痛もおきました。これで花粉症でしたら、どんなにか辛かったでしょう。そんなことで私はその点だけでも助かっていますので、少しでもお役に立てばと思い、今日は私の花粉症対策を書いてみました。

パラリンピック

2006-03-16 13:00:28 | Weblog
3月15日(水)晴れ【パラリンピック】
第9回パラリンピックが、10日から19日の日程でトリノで行われている。オリンピックの時は、チャンネルを回せば、どこかでその結果を放映していた。しかしパラリンピックの状況はほとんど放映されていない。私のところは新聞を購読していないので、毎日のテレビ番組は分からない。いつも適当に一時間の間に全チャンネルを観るのが風月庵流である。しかしそれではパラリンピックが観られないので、TV番組の載っている雑誌を購入することにした。

1チャンネルで午後の3時から30分と、3チャンネルで夜8時から30分のみ放映されていることが分かった。気なしににテレビをつけると、野球のWBCについてはどこのチャンネルでも報じている。パラリンピックについてももう少し放映されると有り難い。インターネットで閲覧は可能のようであるが、多くの人に可能ではないのが残念である。私も家のインターネットはブログ発信ぐらいの料金しか払っていないので、早くに変更しておけばよかったと思っている。なお「パラリンピックスポーツTV」の閲覧先はwww.paralympicsport.tvである。(しかし実際にアクセスしてみたが、ウイルスの問題や操作に多少問題があるのでアクセスにご用心して頂きたい。)

今回小林深雪選手の活躍はめざましい。ノルディックスキーのバイアスロン12.5km視覚障害で金メダル、7.5km視覚障害でも銀メダルを獲得した。太田渉子選手もバイアスロン12.5km視覚障害で銅メダル、7.5km視覚障害では6位と健闘している。日本選手団団長の大日方邦子選手もアルペン滑降女子座位で銀メダル、アルペン女子スーパー大回転座位でも銀メダルに輝いた。また青木辰子選手も5位と健闘。

開会式で旗手を務めた新田佳浩選手は「ライバルは自分自身、相手がどうこうではなく自分の力を出し切るだけ」と語っていたようであるが、男子10km立位で13位であった。金メダルを狙えるほどの実力のある選手とのことであるが、途中で転倒してしまい順位を下げたのは本人は残念であろう。しかし棄権せずに完走できたことはよかったと思う。転倒によって体を痛めたようだが、無理をしないことを願っている。

パラリンピック出場のアスリートたちは皆なんらかの障害を背負っているが、それぞれ素晴らしい技術を備えている。スキーによって精神も鍛えられているだろう。障害のあるだけ乗り越えなくてはならないことも多いと思うが、それを乗り越えた素晴らしい滑りと健闘振りは観ていて実に楽しい。

閉会まであと3日、選手の皆さん、それぞれ実力を発揮し、ベストを尽くされますように。オリンピックでも私はあまりメダルには拘りたくない思いで観ていたが。パラリンピックでもメダルよりも参加することの意義のほうが大事であると考える。特に今回のパラリンピックはテーマは「限界の破壊、障壁の破壊」だそうだが、体あってのスポーツなので、無理な場合は無理を見極め、引くのも勇気ではないかと思う。皆さん怪我をしないように、最後までご健闘を祈っています。


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なにがジャブジャブ政策なのか

2006-03-13 23:01:14 | Weblog
3月13日(月)【なにがジャブジャブ政策なのか】
昨日は七回忌のご法事で、久しぶりに遺族の子供たちと会えた。彼等は父親とは早くに生き別れており、彼等の母親は六年前に亡くなったのだ。三人の息子たちはそれぞれ成長して、下の子も二十一歳になったという。彼は生まれたとき1020グラムしかなかったという。

体の弱かった娘さんに代わって、赤ちゃんの時から孫を育ててくれたお祖母ちゃんも、相変わらず口も達者で安心した。三人の孫たちが横道にもそれず、優しい気の利く子たちに育っているのは、このお祖母ちゃんの達者な口のお陰ではないかと、以前に伺ったときも思ったが、今回もその思いを新たにした。息子たちは私の重い法衣鞄をすぐに持ってくれた。この事一つに感心するこの頃である。つまり大人でも、私が重い鞄や焼香台を両手に持っていても気づかない人が結構いる昨今の状況なのである。

後席でも席づくりから三人で、手伝い、お祖母ちゃんには遠いところの料理を皿に盛ってくれるという心遣い、「お祖母ちゃん、よく育てたものですね。」と言うと、「うるさいんだ」と孫たちは茶々をいれる。島田洋七氏の佐賀のがばいばあちゃんも、言いたい放題を孫に言っているようだが、底にしっかりと一本の筋が通っていて、その底には人間としての情が溢れているのだ。それさえあれば貧しくても子供は道をはずすことはないだろう。

この子供たちのお祖母ちゃんも、お金はなくても孫にひもじい思いはさせたことはなかったです、と言われる。がばいばあちゃんの方は、よくよくお金の無いときもあったようで、お腹が空いてるという洋七氏に「それは夢だろう」と笑いながら寝かせてしまうというお手並みである。どちらであっても愛情があれから問題はないのだ。

中学生になってから急に怒るだけの躾では、子供の心は開かないだろう。小さいときから叱られたり、抱きしめられたりして、子供の心はその人に開くことができるのではなかろうか。放火をしてしまった十四歳の少年に、この三人のお祖母ちゃんのような、佐賀のがばいばあちゃんのような、底に優しさが潜んでいる人が傍にいたら、そんな縁が小さいときからあったら、放火をしないですんだかもしれない。

三人はお祖母ちゃんのお陰でしっかりと育つことができた。1020グラムの奇跡のような末っ子、音楽が趣味の真ん中、がっちり型の長男、三人力を合わせれば、毛利元就の三本の矢の譬えのように大丈夫、「おにいちゃん、弟たちをよろしくね。しっかりと働いて、貯金もしてね」と私は言った。すると長男が言うことには「140時間も残業をしても、年齢と同じだけの給料にならないんですよ」と言う。つまり二十六歳と同じく二十六万円にもならないということである。長男の仕事はフォークリフトを扱う肉体労働である。140時間も残業をしても、それほどにならないとは、なんということであろうか。

日銀総裁が量的緩和政策を解除します、ジャブジャブ政策を止めると言うことです、というようなことを言っていたが、それはなんだというのか。銀行にジャブジャブとお金をバラマいて、不良債権のこげつきで倒産しそうな銀行を救い、世の中にお金がまわるように企んだ稀有な金融政策である。私は小さな会社を経営していた1975年頃から、銀行も保険会社も将来倒産すると予測して、預金も保険も分散していて友人に笑われたが、その通りになった。素人でも予測できた銀行や保険会社の倒産を救うため、また倒産を防ぐためと言って、多額の税金を使う権利が一体どこにあるのか。そして140時間も残業をしている青年に僅かの給料しか出さない社会を許せるのか。ジャブジャブのお金を労働者にこそ配ってほしい。肉体労働者にこそ多額の給料が支払われる社会が健全な社会である。

量的緩和政策をみな理解できないというが、そのことが理解できないというより、どうしてそんなことをしたのか、その意味が理解できないのだと思う。ローンの人には不利益になるようだが、量的緩和政策の解除は当然のことであろう。とにかく社会はいつも矛盾に満ちている。正義や正論が通る社会は果たして過去にもあっただろうか。頭の良さそうな極く僅かの人間によっておかしなことが堂々と行われ、僅かの人間が利益を手中に収めている構造はいつの世も変わっていないのじゃなかろうか。浅沼稲次郎先生(1898~1960.10.12)のような、人々のために働いてくれる政治家はどこにいるのだろうか。

嘆いても嘆いてもいくらこの老尼が嘆いても仕方ないこと。おにいちゃん、体に気をつけて頑張って生きてね。二人の弟をよろしくね。今は50キロの末っ子も頑張れ。音楽好きの真ん中も頑張れ、お祖母ちゃんを大事にね。輪廻転生があるとしても、おかあさんは輪廻転生しないで、子供たちを見守り続けているのではなかろうか。