風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

韓国の旅(12)旅の終わり

2008-05-29 21:24:12 | Weblog
【5月12日のこと(月)晴れー韓国の旅(12)旅の終わり】

花祭りの日の朝、今日で韓国の旅も終わりです。金寺の向かいの仁王山からの日の出は、まるで佛様が後光を発しながら山から出現なさるような日の出でした。普通日の出は丸く出るのに、なんとなく△です。韓国の花祭りをお祝いしてくださっているような感じがしました。

(花祭りの記事は「韓国の旅(1)」として書いていますので、恐縮ですが、まだお読みでない方は5月14日をクリックしてください。)

お陰様で5月5日から12日までの、母との韓国の旅は、本覺法尼や皆さんのお蔭で楽しい旅でした。お天気にも恵まれました。

「また行きたいね」と母は言っています。韓国ファンになりました。私もまた金寺で、静かな修行の時間を過ごしたいと思っています。

そちこちにアカシアの香りが漂う韓国の旅は、本当に恵まれた旅でした。
「韓国の旅」に、ご訪問くださった皆様、ご訪問有り難うございました。


韓国の旅(11)冬ソナ渋滞

2008-05-29 21:21:22 | Weblog
*ミャンマーの記事の後に、まだ韓国の旅の続きで恐縮ですが、一応最後まで書かせてください。

【5月11日(日)のこと、晴れー韓国の旅(11)冬ソナ渋滞】

明日で韓国とお別れという最後の一日、駒澤大学に留学していた友人がお母さんと一緒に観光案内をしてくださることになりました。日本でもテレビドラマとして人気の高かった「冬のソナタ」のロケが行われた南怡島というところには、おいしいレストランがあるので行きましょう、ということで、ソウルを朝の9時に出ました。所要時間一時間で着くところだそうです。

最後の日ですから、おみやげのショッピングをしたいと思っていましたので、早くにソウルの仁洞寺(インサドン)に戻りたいと思っていました。

ところが、ところが、渋滞、渋滞、午後の2時になってもまだつきません。ソウルを出てから5時間は経っています。あとどのくらいかかるの、という質問に、 もう目の前なの、と言うのですが、まだまだ着きそうにありません。母の「引き返しましょう」の一言で、戻ることになりました。

しかし、帰りもまた全く車の動かない状態が何回もあり、途中で食事を摂ったせいもありますが、ソウルの仁洞寺についたのは、夜の8時半、実にソウルを出て から、11時間以上経っていました。30分程やっと母の買い物をして、急いでお寺に戻りました。翌日は帰りますので荷物のパッキングをしなくてはなりませ ん。

そんなわけで、ソウル最後の日は、韓国の山を見てのドライブをした一日でした。皆さん、休日にはソウル市内の見物をする方が賢明です。あの渋滞は冬ソナ人気のせいだったのでしょうか。ちょっと私にはわかりません。一応情報として、こんなことも書いておきます。


ミャンマーサイクロン被害者支援、Sitagu Buddhist Viharaへの寄附

2008-05-28 14:23:12 | Weblog
【ミャンマ(ビルマ)ーサイクロン被害者支援、Sitagu Buddhist Viharaへの寄附】

ミャンマー(ビルマ)のサイクロン被害者への寄附について、かなり信頼のおける、かつ被害者へ物資を確実に届けてくれる機関として、Sitagu Buddhist Viharaがあります。この僧院はミャンマー中部にあるザガイン管区のザガイン丘にあり、 Ashin Nyanissara博士という高僧がいらっしゃる。この高僧はミャンマーでも人々の絶大な尊敬を受けていて、軍事政権もつぶすことはできないそうです。

ここに寄附をすれば、よいのではないかと情報を得たので、送金方法をご紹介します。

GOOGLEから、アメリカにあるSitagu Buddhist Viharaに送られ、ここからミャンマーに送金されるそうです。

①まずGOOGLEを開く。http://www.google.com/intl/ja/
②右端の「ログイン」をクリック
③「アカウントの作成」をクリック
④ここでアカウントを作成しておきますと、あとが楽です。
http://www.sitagu.org/donate/
をクリック
⑥右にあるブルーの「Donate」をクリック
⑦寄付金額を入れる。ドル建てです。5ドルは500円、10ドルは約1000円、100ドルは約1万円、1000ドルは10万円です。おいくらでも自由です。
⑧再び「Donate」をクリック
⑨表示された頁は日本語で書かれていますので、空欄を埋めて下さい。
 *文字はアルファベットがよいです。
 *CVCというところがありますが、それはカードの裏にある3桁の番号です。
 *送付先という個所はそのままいじらないで、請求先と同じのままでよいです。
 *他には問題ないと思います

あとは指示通りになさってください。

このような簡単なことでした。どうして、できなかったのか不思議なほどですが、分からないときは変なところで迷うものです。賢明な皆さんにはこのような説明もいらないと思いますが、老婆心を添えておきます。3日ぶりのチャレンジで、隣席の友人にお聞きして簡単に送金ができました。持つべきはどの道にも先達ですね。

皆さんもお試しください。

なお最初http://www.sitagu.org/にアクセスしますと、ここの活動を見ることができます。


韓国の旅(10)師と弟子

2008-05-26 18:04:03 | Weblog
【5月10日のこと(土)晴れ、韓国の旅(10)師と弟子】 (金寺の薬師三尊像 佛師は慶州在住。お名前を書き留めませんでしたが、心ある有名な方です)

また再び韓国の旅の続きを書きます。10日の土曜日の朝は、金寺では布薩という行事が行われたことを数日前に書きました。その続きです。

この日は、朝10時から曹渓寺の会館で、佛教学研究会の学会が開かれました。尼僧、男僧、在家の学者さんたち等多くの研究者が集まって盛会です。ここで日本に留学していた2人の友人とも思いがけず出会うことができました。

   (進善門、撮影曉昔法尼)
学会の時間中は、本覺法尼は学会の会長さんなので、忙しいですから、曉法尼と曉昔法尼が昌徳宮(チャンドックン)に案内してくれました。私のデジカメはバッテリーが切れてしまい、この写真は曉昔法尼がメールで送ってくれた写真です。

仁政殿、文禄・慶長の役にも焼失している。現在の建物は1804年に建てられたもの。国宝)

さて昌徳宮は、とても広くて短時間では見物しきれません。半日は時間を取りたい場所です。とても広くて老人には歩ききれませんが、曉法尼がやはりずっと 車椅子を押してくれましたので、母も疲れることなく見物ができました。この法尼の、母に対しての心配りには本当に頭が下がる思いがしました。

(『チャング ム』という韓国ドラマで、チャングムと王が散歩をしたという芙蓉池にも行きました。その写真が見つかりません。この写真は左手の門は仁政門、奥は粛章門)

さて、今日も曉法尼曉昔法尼がずっと一緒に廻ってくれましたが、二人の心からの親切には時々に処々に感心しました。相手を疲れさせない親切です。これ は、その人自身の心掛けもあるでしょうが、師匠譲りのところもあると思います。師匠の本覺法尼は、自然にあふれ出る親切心(これを慈悲というでしょうか) を随所に見せてくれる人です。いつも傍にいてそれをみている弟子たちは、自然にそれを倣うでしょう。ここで少し韓国の出家制度について書いてみましょう。

 〈韓国の出家制度
 他のお寺のことは分かりませんが、金寺のお弟子さんは一年間は師匠のもとで育てられます。この間は見習いとして、まだお袈裟もつけられません。その後四 年間僧堂修行に行きます。この四年間の僧堂修行は韓国では一律に決められています。この間は沙弥の期間で、まだ正式な僧としては認められていません。

沙弥 の期間は、襟が茶色ですから、金寺には二人います。その一人曉根さんとは、有髪の時に会ったことがありますが、今の僧形がいかにもピタリ、一番この方に似合う髪型と思いました。もう一人はこの日一緒に昌徳宮を廻ってくれた曉昔法尼です。

 僧堂修行のあとはじめて、出家として比丘尼戒を受けることができます。その後は、さらに坐禅修行に出る者、大学に行って勉強する者(留学する者)、お寺に 戻る者、のように自由に選択できるようです。勿論師匠の意向もいれられるでしょうが。

 金寺ではミャンマーに留学しているお弟子さん、中央僧伽大学に学ぶお弟子さん、僧堂修行中の沙弥、見習いの人などがいます。古参のお弟子さんの1人、徳 曉法尼(法尼の誦経の声には、さすがに修行歴が滲み出ています)は、夏安居に坐禅道場に行きます。またお寺を守っているお弟子さんとそれぞれの修行をさせ てもらっています。

 「私は自分の弟子たちを、幸せにしてあげたいのです」と、本覺法尼は言いました。出家したことの真の幸せ、佛法を学ぶ者の幸せ、世俗を離れた出家者として の幸せ、ご自分の弟子たちにそれを伝えてあげたいという師匠の言葉です。

 金寺は住職の徳に集まってきた雲水たちで、自然に叢林が形成されていて、叢林の生きた姿をここでは見ることができます。 そして、また私の母のように90歳過ぎた者が、この叢林の中にいても、自然に皆が大事にしてくれて、穏やかに、そして楽しく時を過ごすことができたのは、 住職の人柄が、実に慈悲深いお人柄だからでしょう。お弟子さんたちも自然に師匠に倣って、皆自然に親切です。本覺法尼のお姉さんの寂照長老も、修行僧を育 てるのに厳しい親切心と、母のような歳を取った者には優しい親切心のある方です。仏教的な慈悲という言葉に通じますが、なにより人 情があります。人情のないところに、仏教も生きないと私は思います。人々から遊離してしまっていては、いかに素晴らしい教えであっても受け入れがたいで しょう。

この師匠有って、この弟子たち有り、という 金寺の住職とそのお弟子さんた ちです。



ミャンマー(ビルマ)サイクロン被害者支援募金 於大船観音

2008-05-25 08:45:49 | Weblog
【ミャンマー(ビルマ)サイクロン災害被害者支援募金 於大船観音】 (撮影 亀野哲也師)

昨日5月24日は、大船観音でミャンマー(ビルマ)サイクロン被害者支援募金の托鉢をさせてもらいました。

神奈川県第2宗務所第5教区とSZI(SOTO禅インターナショナル)の有志の方々の救援托鉢に参加させていただきました。全員10名の参加で、 途中から雨が降ってきてしまいましたが、雨の中でも托鉢をさせていただきました。大船観音の皆さんはとても、温かくたくさんの義援金をお預かりしました。

中には、一度募金をしてくれた少年が、托鉢の場所を換えてしていましたら、またしてくれました。「またくださるの、有り難う」と言いましたら、はにかんだように微笑んでくれました。

大事な義援金が、被災者に届く方法を後で話し合いました。
現在のミャンマー(ビルマ)の軍事政権は、被災者の救済に手を差し伸べてはいないようです。救援物資も横流しされているというニュースが入っています。ま た軍事政権に送られる救援金は、被災者のために使われるかどうか、全く信じられない状態です。救援金をあげればあげるほど、軍事政権が太るだけです。

いくつかの効果的な送り先が考えられますので、ご紹介します。

Sitagu Buddhist Vihara
http://www.sitagu.org/
または
http://www.sitagu.org/donate/

上記のURLにアクセスしていただき、左脇にDonationsという文字があります。これをクリックしてください。カードで払うような方法です。ドル建てですから、100ドルがだいたい1万円です。くれぐれも日本円の数字を入れないようにしてください。1万円のつもりで百万円が引き落とされると大変です。(この僧団の頁は、日本語に変換できますから、それぞれお試し下さい)

*ここへの送金を試みましたが、GOOGLEを通しての送金になっているようですが、どうもうまくアクセスができません。明日、詳しい人に教えて貰いますので、お待ちください。

この仏教僧団はミャンマー国内にあります。大変国内でも尊敬されている高僧がいる僧団で、今回の支援にも自ら被災地に救援物資を運んでいます。軍政も手を 出せないほど、尊敬を受けている高僧だそうですから、直接ミャンマー国内で動いていただける信用できるグループだそうです。これはミャンマー情勢に詳しい 人からの情報です。



他に国連機関のUNHCRなどがありますが、今手元に資料がないので、後で追加します。

少しでも気持ちを届けたいですね。


*さんぜ通信http://blog.goo.ne.jp/rinshou_2008/d/20080523
*Kameno's Degital Photo Log http://219.121.16.30/blog/

ミャンマーサイクロン被害支援募金、大船觀音托鉢

2008-05-24 08:28:04 | Weblog
【5月24日本日ミャンマーサイクロン被害募金、大船觀音托鉢】

今日の午後、大船觀音で、SZI(SOTO禅インターナショナル)の青年僧たちが、募金の托鉢をします。私も参加させてもらいます。このブログをお読みの方で、大船近辺にお住まいの方は、ご協力ご支援ください。2時半以降の予定です。

托鉢の僧形ですから、お分かり頂けると思います。少しでも多くミャンマーに支援したいですね。

でも決して軍政に送金するような愚かなことは致しません。被害者に届く方法を皆で考えます。

この件については情報を改めて書きます。午後からの雨予報があたりませんように雨でも決行の予定です。

韓国の旅(9)金寺、布薩の日

2008-05-23 22:08:06 | Weblog
【5月10日のこと(土)晴れー韓国の旅(9)金寺、布薩の日】

 毎月第2土曜日朝課罷に、金寺では布薩<font size=2.5 color="red">ふさつ</font>が行われます。布薩というのは、自己反省や罪の懺悔などをすることをいいます。金寺で は、反省ばかりではなく、それぞれの希望なども述べるのだそうです。滞在中の10日の土曜日がちょうど布薩の日に当たり、列席させていただけました。


 (朝課罷は外はまだ暗い)朝課が終わっても、外はまだ暗く、日の出前です。微かに空が明るくなってくる時間。住職の口から何回か「ミャンマー」という語が聞こえましたので、後から聞きましたら、ミャンマーで大変なサイクロン被害が でていることということで驚きました。日本を出たのは、5日でしたが、その頃はまだ3日に起きたサイクロンの情報が報道されていなかったのではないでしょ うか。全く知りませんでした。花祭りの万灯供養で集まる浄財は、例年は子供たちのために使われるのだそうですが、今年はミャンマーに寄附をしたいと思う が、皆さんもそれでよいかどうか、と意見を聞かれたようです。皆、賛成していました。


(布薩の間に外が明るくなりました。)この日は、寂照長老から、長い口宣が あったようです。後からききましたところ、朝課の前には、たとえ忙しくても、きちんと寝具をたたむこと、たとえ朝課罷に眠くても、布団を敷いて寝てはなら ない、また大声で話してはならない、等修行者が注意しなくてはならないことについて話されたようです。さすがに僧堂の堂頭であった方ですから、厳しいです し、修行者のために、大事な身近なことに、よく目を光らせてくださっていると思いました。また自分たちも完全な人間 ではないのだから、なにかあったら、遠慮無く意見を述べるように、とおっしゃったようですが、この度は大衆からの意見はなかったようです。

日本のある修行道場では、『梵網経』というお経を読んだだけで、布薩としているところもあるようですが、それは形だけで中身のない意味のない布薩でしょう。こういうところにも、韓国には生きた叢林の姿を見ることができました。

戒律や、戒律と言わないまでもその寺にあるきまりを守るということは、修行者にとっては修行の基本です。そして修行者から言えば「戒を守る」と思っていますが、実は「戒から守られている」 ことが、長い目でみると分ってきます。いろいろな面からそれを見ることはできます。修行に入り立てのころは、それが分からずに堅苦しいように思えますが、 人間の放逸に任せていては、修行者としての道を全うすることは困難です。修行者にとって戒は守りです。清らかに生きる助けです。

戒を破ってはいないか、反省することも布薩にとって大事なことになります。





ジュリー生還

2008-05-22 22:53:03 | Weblog
5月22日(木)晴れ【ジュリー生還】

ジュリーは3日ほど入院していました。実はフィラリアに感染してしまっていたのです。もう手術はできないということで、点滴を受けてきました。フィラリアの最期はとても苦しむそうなので、あまり苦しまないようなお薬をもらってきたそうです。生還とはいっても、静かに命の火が消えていくのを見守る日々になりました。

美容院のお二人の、愛情の籠もったお世話になりながら、犬としての日々を全うしてくれるでしょう。

それにしましても、病院にかかったお金も、このお二人がボランティアでだしてくださいました。実はこのお二人はジュリーだけではなく、今までも捨て猫を育てたり、里親を探したり、怪我をしている猫の治療費を面倒みたり等々なさっているのだそうです。そのための資金は洋服の古いのを売ったりしてプールしておくのだそうです。なかなか真似のできないことです。

ジュリーはフィラリアにかからなければ、今も吠え続けていてくれたかもしれません。戸外で犬を飼う人は、一年に一度は予防注射をしてあげてください。

ジュリー、頑張って


瑞光

2008-05-21 22:02:04 | Weblog
 【韓国の旅ー瑞光】


9日(金)ソウル5日目の朝。金寺の薬師殿から見た日の出。右側に
は虹のような彩光が太陽以外に見られます。山口の旅でもこの瑞光を拝むことができましたが、2回目の経験。肉眼の方がよく見えました。



韓国の旅(8)金寺の法要、七七日忌

2008-05-21 21:52:04 | Weblog
【5月9日のこと(金)晴れー韓国の旅(8)金寺の法要、四十九日】 (日の出前)


(法要の写真撮影は遠慮しました)
この日は七七日忌の法要があり、随喜させて頂きました。二時間半にわたっての丁寧な法要でした。毎週の七日の回忌にはきちんと法要がなされるようで、昨日は別の方の六七日忌がありました。

お経はいつものように、心洗われる感じの旋律で誦されます。初めは懺悔文のようです。やはり死者を浄めて旅立ちの準備をたすけるのでしょう。お経はなにを誦されたか? 途中で、住職の説法が三十分ほど行われます。それは昨日も同じです。死者を送るようなときこそ、仏教について説く好機縁ですから、きちんと説法をします、と本覺住職は言われました。

儀式の間に、韓国ドラマなどでときどき見られますが、死者の遺族の方が祭壇の前に出て、敷かれたござの上で、死者に対して五体投地の三拝をします。そして高坏のお茶碗にお水を注ぎ、それを 香に薫じて、遺族が差し上げます。この日の遺族の順番を見ていますと、先ず娘さん夫婦、次に孫の二人(小学生くらいの二人ですが、しっかりと三拝をし ていました)、奥さんは最後でした。これはもしかしたら、弔われる人と血のつながりの濃い順かもしれません。このような死者儀礼は、死者に対しての衷 情を表すのに相応しい儀礼と思いました。お焼香はありませんでした。

ほとんどの誦経は僧侶だけではなく、参列者もそれぞれ経本を渡されて、同音におとなえします。また住職だけが回向の部分を唱えているのだと思いますが、実に慈悲深い心に沁みいる声に感じました。韓国語が分からないのが残念。

また釈尊の御名を何回も、参列者もともにおとなえします。このときお拝をしたと思います。

そ して最後に、僧侶を先頭に、お位牌と御遺影を持った遺族が続き、その後に参列者全員が列を作って、大雄殿を何回か巡り、外にしつらえられた炉の前に行き ます。そしてここで、僧侶の誦経に送られながら、写真に巻かれた黒いリボンや、お位牌の紙や、遺族の婦人たちが着ていた喪服の白い襟や、死者の旅立ちのための支度一式がお炊きあげされます。ゴミを燃す焼却炉としては大雄殿の脇にあるのはおかしいと思って見ていた炉ですが、これで疑問がとけました。この前で遺族はまた三拝をいたします。これで、七七日忌の法要は終わりです。

このあと薬師殿で、お齋をいただきます。食前の言葉を全員で唱えます。

 それぞれ自分で、自分が食べる分だけ盛りつけます。これならば、食べ残しはありませんし、合理的です。食事は完全菜食です。
 食事風景。七七日忌だけではなく、前日の六七日忌でも御斎はでました。

勿論お酒はでません。日本のお齋はこの頃は仕出し屋さんの料理が多いですが、肉魚が出ますし、お酒は出ますし、食べられないで山のように残飯が出ますが、勿体ないことだと思います。

私も日本に帰ってから、ご葬儀を先日勤めさせて頂きましたが、残念ながら、さすがに、2時間の法要はできません。ご葬儀はかえって時間が決められていま す。その制約の中で、引導法語を丁寧にするようにしました。聞いている人たちに、わからないような頌や漢文だけではなく、聞いている方にも分かる部分を長 くいれる ようにしました。

死者を送る姿勢を、またこの韓国での経験で学ばせて頂きました。説法はそう長くはできませんが、通夜説法を少し長めにさせてもらいました。 ご葬儀以外の法事の折、さらに工夫をして、少しでも信仰に結びついた仏事を勤められるようになりたいと思います。学問的仏教の研究も、人々のお役にたち、 自らの信仰を深めさせてくれる研究でなくては意味がないと私は思っています。

旧来の友、宇哯(ウヒョン)法尼が、法要に随喜のため来訪。再会を喜びました。

非常に有り難いご縁の法要でした。