風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

遠い夜明け

2009-01-26 22:16:08 | Weblog
1月26日(月)晴れ後曇り【遠い夜明け】

昨日久しぶりにテレビを見た。ルナが我が家に来てくれてから、ルナと遊ぶことに忙しく、全くテレビを見る時間はなくなっている。しかし、たまたま見た「沸騰都市、ヨハネスブルク”黒いダイヤ”たちの闘い」(NHK)は、私にとって少なからずショックな内容であった。

私は、遠く離れた南アフリカ共和国の現状について、殆ど知るような機会を持っていなかった。ただ、アパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されたことは知っていた。1994年総選挙が行われて、黒人のネルソン・マンデラ大統領が生まれ、これで南アフリカ共和国も、少しずつ良くなるのだろうと漠然と思っていた。

しかし、昨日の番組によれば、アパルトヘイトは撤廃され、黒人だけではない非白人に自由がもたらされはしたが、その権利を享受し、富を手に入れている黒人たちは全黒人の8%、に過ぎないこと、それ以外の黒人たちは充分な職も得られず、貧困にあえいでいる現状であるという。それも巨万の富を手に入れているのは、アパルトヘイト撤廃のために闘った闘志たちであるという。鉱山の採掘権を手に入れていたり、マンデラ大統領の友人であったかつて酒屋の主人が、巨大なスーパーマーケットを開く権利を手に入れて、これも巨万の富を手に入れ、白人だけであった高級住宅街に邸宅を構えていた。

かたや、水道もトイレもないスラム街に住むことを、余儀なくされている人々の姿が映し出された。多くの国にスラム街はあり、そこを映し出せば、悲惨な状況であることは必至である。よってテレビが映し出したそれだけが、他の多くの黒人の生活かどうかは、簡単に判断することはできないが、他で調べてみても、南アフリカ共和国の多発する犯罪や、貧富の格差が拡大していることは事実のようである。

この番組にショックをなぜ覚えたかというと、私は以前、リチャード・アッテンボロー監督の『遠い夜明け』(原題『CRY FREEDAM』1987年 )を見て、アパルトヘイトと闘った人々のことを、感動的に覚えていたからである。

この映画は、実話にもとずいた作品である。原作はかつて南アで新聞社の編集長であったドナルド・ウッズが、アパルトヘイトの悲惨さと、撤廃運動によって警察に拷問死させられた、親友である黒人活動家スティーブ・ビコのことを書いた『ビコ』である。

南アには、かつてバンツスタン計画という政策があり、働けない子どもや老人や労働力にならない女性たちは、農業もできないような荒れ地に押し込められた。これはホームランドと呼ばれた。ここにあるのは飢えだけであり、多くの餓死者がでたという。働ける者は都市の決められた居住区に住み、白人雇用主のもとで苛酷な労働条件のもとで働かされたのである。また16歳以上になると、出生から雇用まで全てが書かれたパスを持っていることが義務づけられた。これはパス法と呼ばれた。これがアパルトヘイトの根幹をなしていた、とプログラムに書かれている。(私がこの映画を見たのは、1988年、いまから20年ほど前である。プログラムも何回かの引っ越しで随分無くなっているが、この映画のプログラムを本棚から見つけだせた)

アパルトヘイト撤廃を願って、信念を貫いた活動家ビコ、同朋の貧しい人々を救いたい一心で闘い抜いたビコ、人間の尊厳を守るために闘い倒れていったビコ、彼が生きていたら、”黒いダイヤ”といわれる極一握りの富裕層が支配する南アの現状をなんと言うであろうか。彼が生きていたなら、こんなことはなかったのではなかろうか。南アには、第二の「ビコ」が現れてくれる日がまたれることだろう。

人間という動物にとって、富の分配のいかに難しいことか。巨万の富を貧しい人々に施したなら、どれだけ多くの同朋が人間らしい生き方ができることだろうか。高級住宅街に住み、贅沢をするためにアパルトヘイトと闘ったのか、なんと情けないことか、と、ビコの魂が叫んでいるに違いない。南アの夜明けはまだまだ遠いようである。

『てらスクール』の功用

2009-01-25 18:08:19 | Weblog
1月25日(日)晴れ【『てらスクール』の功用】

先日、姪の娘が遊びにきました。いろいろと話している内に、「だるまさまとえかさま」と言いました。「あのね、だるまさまとえかさま」

話の脈絡もなく、突然言われたので、すぐにはピンときませんでしたが、それは「達磨さまと慧可さま」のことでした。去年の夏に遊びに来たとき、『てらスクール』という小冊子を姪の娘にあげたのです。『てらスクール』は、曹洞宗宗務庁から出版されている、子ども向けの月刊誌です。この中に去年の4月から、「中国禅のお坊さん」というタイトルで私が書かせていただいています。姪の娘は、そのタイトルを言ったのです。そして、そこに書いてあるストーリーを、書き手である私に聞かせてくれました。

姪の娘は小学校5年生です。『てらスクール』もだいたいその年頃の子どもさんたち向けに編集されているのではないでしょうか。私の「中国禅のお坊さん」はそのくらいの年齢の子どもたちになんとか理解してもらえれば、と願って書いています。なんといっても、禅の悟りを得た祖師たちのエピソードを書いていますので、子どもさんに分かるように書くというのは、実は大人向けに書くよりも難しいと、いつも思いながら書いています。しかし、小学生の頃に少しでも禅の世界にふれてもらい、記憶の片隅にでも禅僧の名前や、その逸話などが、少しでも刻まれていて欲しい、と願って書いています。

禅の世界の面白さに惹かれて生きている私としては、お寺の子弟は勿論のこと、『てらスクール』を読む子どもさんたちに、禅の世界に興味を持って貰いたいと願っています。大学に入って、或いは修行道場に入って、急に「禅」とは、とその教えにふれていくのも、勿論フレッシュでよいでしょうが、少々難しい大学の授業に突然入るよりは、子どもの頃から、達磨さまや慧可さま、慧能さまや馬祖さま、百丈さま、雪峰さま等々中国禅のお坊さんにじわじわと触れていてくれていたら、これを読んでいたお子さんたちは、多少入りやすいのではなかろうかというのが、私の意図ですが、はたしていかがでしょう。

なんでも「ある日突然」起きるように感じますが、何事も多くのことは、子どもの頃からじわじわと忍び寄っているでしょう。

悪い例としましても、そうでしょう。例えば、パソコンにしましても、私のパソコンの場合、時々調子が悪かったのですが、ある日突然全くウンでもなくスンでもなくなってしまいました。居眠り運転も最近してしまいましたが、少し眠気が襲っていたのです、そしてそのうち急に眠り込んでしまったのですが。なんの前触れもないことは少ないです。

全てはじわじわと忍び寄っています。そしてある日突然のように強い現象は現れるのだと思います。悪いことに関しては、「転ばぬ先の杖」を考えることが必要だと痛感しました。一方良いことに関しては、熏習(くんじゅうー香りがしみ込むように、習慣的に働きかけることによって、影響や作用を植え付けること)でしょうか。良きに付け悪きに付け、多くのことは積み重ねですね。パソコンと居眠り運転の例は少し、適切な例ではありませんが、私に起こった出来事でしたので紹介してみました。

『てらスクール』の連載は3月で終わりですが、当ブログで、お子さん向けには書ききれなかったことなどを、少しずつ振り返って、項を改めて書き足してみたいと思います。『てらスクール』の拙稿を、姪の娘が暗記するほど読んでいてくれて、大変嬉しかったのです。なお拙稿と言いましても、編集部の方々のよきアドバイスがあり、何回も書き換えまして、子どもさんに読みやすいように仕上げていますので、著者は私と編集部の方とも言えます。来週は少し、「中国禅のお坊さん」について書いてみたいと思っています。この頃はあまりログを書きませんで、ご訪問の皆様にはお許しを。

あわや事故に

2009-01-18 11:57:34 | Weblog
1月18日(日)曇り【あわや事故に】(出迎えてくれたルナ)

昨日は阪神淡路大震災が発生した日でした。あれから14年がたちました。あの大惨事のことを忘れないように、昨日は防災について、ラジオでも特集の放送がありました。地震が発生したときの備えとしてなにが必要か、というなかに、懐中電灯や水に加えて、靴が大事であることが、特に言われていました。
また、災害復興住宅で身よりのない一人暮らしのお年寄りたちが、人知れず死んでいることが報道されていました。死後何日もたってから発見されているということです。地震の前に住んでいたところでしたら、おそらく隣近所の昔からのおつきあいがあって、それなりに看取られて亡くなることができたのではないでしょうか。また地震で家族を失い、一人ぽっちになられた人もいらっしゃるのでしょう。

何も私にはできませんが、ただ心から哀悼の意を表します。

さて、昨日は私も初めて大変危ない目に遇いまして、あやうく交通事故を起こすところでした。命があったかどうかはわかりません。法事からの帰りのことです。昨日は、暖房を入れなくても、車の中はぽかぽかしていました。眠気にふと襲われる感じがあり、気を付けなくてはと思っていたのですが、バーンという音とともに、何かに跳ね返されるような衝撃で我に返りました。車はそのまま車線に戻って、運転を続けていましたが、確実に道路脇にぶつかったはずです。

考えてみますと、二車線ある右側の車線を走っていたはずなのに、左側の車線を走っています。これは居眠りをして左側の車線に寄っていき、さらに道路脇にぶつかって跳ね返されたようです。環状八号線を走っているときでした。後続車が左車線にいなかったのでしょうか。考えたら恐ろしいことでした。自分が事故を起こすだけでなく、他人を巻き添えにするところでした。思わず、亡き師匠や父や兄や、観音様や仏様に感謝しました。家で待っているいる母親や猫のルナにも感謝しました。

途中で、いつもの修理工場に寄って点検してもらいましたら、左側のタイヤが白くなり、ホイールに少しギザギザがついていました。「危なかったですね。それでも車体には傷は少しもついていませんね」とおやじさんが言いました。状況を振り返ってみますと、左から合流する車線のあるところで、その車線が切れる位置の縁石にぶつかって跳ね返されたのだと思います。

車は一応点検してもらうことにしました。

今、私は死ぬわけにはいきません。だれでもそうでしょうが。帰ってすぐに、取り急ぎ二月に控えている大事な支払いについて、まさか遺言としたくはありませんが、すぐにその支払いについてと、お願いを一筆書き添えて仏壇に置いておきました。

私のように迂闊なドライバーも少ないでしょうが、居眠り運転にはくれぐれも注意を致しましょう。(このことは母にはけっして言えません。内緒です)

阪神淡路大震災の日が、私の命日とならなかったこと、頂いた命とさらに思い、日々を大事に生かせていただきたいと思います。

ルナより謹賀新年

2009-01-09 21:34:27 | Weblog
1月9日(金)雨【ルナより謹賀新年】

今朝は東京地方は雪になる感じの寒さでした。
今年もはや9日、新年の挨拶も7日まで、という感じがあります。少々遅いですが、我が家のルナから新年のご挨拶です。

真っ直ぐのご挨拶写真にしたかったのですが、丁度よいのが見つかりませんでしたので、見返りのルナで失礼いたします。

今年もときどき当ブログに登場させていただくと思いますが、宜しくお願いいたします。

寒さはこれからでしょうか。お互いに風邪には注意したいものです。

七草粥

2009-01-07 22:24:01 | Weblog
1月7日(水)晴れ【七草粥】

今朝は七種(七草)粥を食べられませんでしたが、藥石で食べました。皆さんはいかがですか。本師のもとで修行中、いつも七日の朝には、「七草の名前は言えるかな」と、本師に聞かれました。御陰様でしっかりと覚えました。「芹、ナズナ、ゴギョウ、はこべら、ホトケノザ、すずな、すずしろ、春の七草」

さて、今日は「泣き面に蜂」、「弱り目に祟り目」、「一難去ってまた一難」という話をさせてもらおうと思います。実は去年の暮れから、パソコンが開かなくなってしまいました。研究所用のパソコンです。今この記事を打っているのは、家で使っているパソコンでWindows 98という古いタイプのパソコンです。研究所ではWindows XPというタイプを使っています。

研究所用のパソコンで、提出期限の迫っている論文を作成していました。ほとんど論文は出来上がり、やれやれ、と気を抜いてしまい、バックアップをその日とりませんでした。そして、翌日もう少しで完成だからと、パソコンに電源を入れました。ところが、ところが、全くWindowsが開いてくれません。セーフモードでも、通常でもどんなにしても開きません。バックアップを取らなかったことを、悔やみました。もうそろそろパソコンのハードディスクは寿命のようだから、バックアップを取っておいた方がいいですよ、とアドバイスを受けていたのに、なんという愚かしいことでしょう。論文の資料の語注を付けるのに時間もかかりましたし、同じ作業をもう一度する気力はありません。

それでもUSBメモリーに未完成の原稿がありますので、気を取り直して、それを仕上げることにしました。ところが、なんということでしょう。このファイルも壊れてしまいました。これもまた開けなくなってしまったのです。これぞ「弱り目に祟り目」「泣き面に蜂」。今年は論文を提出できないかもしれません。いや、なんとしても提出しなくてはいけませんので、打ち直さなくてはなりません。締め切りは迫っていますし、他の仕事が控えています。肩が重たくなりました。本当に困りました。

と、昨日までは頭を抱えていたのです。でも、今日、友人が、奇跡のような腕で壊れたハードディスクからデータを取り出してくださいました。神の技に近いと思いました。

五百年前、山口県にある大寧寺と瑠璃光寺というお寺の住職であった、全巌東純禅師の史伝資料の翻刻などの論文を助け出して貰ったのです。

そのお陰で、安心して七草粥を食べることができました。健康によい七草粥も食べ、頭痛の種もなくなって、今年もなんとか頑張れそうです。それもこれも友人のお陰です。でも、皆さん、パソコンて壊れるものなのですね。高価な代物なので、初めて買うときに、私は、一生使えると思ったのです。それは間違いでした。一日中パソコンを使う仕事なのですから、パソコンは消耗品でした。考えを改めなくてはなりません。年の初めにあたって、物事を見極める痛い勉強をしました。

私のようにパソコンの知識がないのに使用することも可能ですが、操作の分からないことが多く、迷惑をおかけしつつ、今年もなんとか頑張りたいと思います。

ブログも少しずつですが、本年も宜しくお願いいたします。

謹賀新年

2009-01-04 11:31:56 | Weblog
平成21年1月4日(日)晴れ【謹賀新年】

皆様、いかがなお正月をお迎えでしょうか。
東京地方は、快晴のお正月をおくっています。雪で大変なところもあることでしょう。当庵から、電線越しに富士山が見えますが、今朝は、あまりくっきりとは見えません。それでも富士山を拝めることは有り難いです。郵便配達の方が、思わず富士山に掌を合わせていました。(画像をよく見ましたら、富士山方向にクレーンが何基も写っています。高い建物が建つのでしょうか?)

 霊峰に 頭を垂れる 和の心
 この心 次の世までもと 願う朝
 若き日に この心ありやと 首傾げ
 夢のごと 過ぎにし日々よ 六十年
  
 ひたすらに 端坐で過ごす 三が日

 平安と 世界の平和を 願いつつ