風月庵だより

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ウッドショック

2021-06-30 21:40:48 | Weblog

6月30日(水)曇り【ウッドショック】

6月も今日が晦日、令和3年も半年が過ぎたのですね。時が過ぎるのは目に見えませんが、朝起きてからやれやれと寝につくまで、あっという間の出来事です。本堂内部の天井板の張替えも、今日で張替えだけは終わりました。まだいくつかの工程はありますので、完了とは言えませんが、大工さんのお仕事は、今日できりです。明日からは漆喰の壁の補修や、再び灰汁洗い、電気の配線と電気器具の取り付け、最後に足場や床の養生をはがすことになるのでしょうか。

大工さんが、「ウッドショック前で、良いときに工事をなさいましたね」と言われました。「ウッドショック?」

新型コロナウイルスの感染が、ワクチン接種の効果があり、少し落ち着いてきたので、アメリカでは、建築関係の仕事が増えてきて、木材が高くなっているだけではなく、品薄になっているのだそうです。銅板も高くなっているのだそうです。

やはり「工事をするなら今」と動き出した動物的な私の勘は、まあまあ合格と言えましょう。それも寄付を仰がないでやろう、という結論も天の助けによって可能となりまして、感謝しかありません。天の助け無くしてできなかったですし、総代さんや多くの方の協力もお蔭さまでした。

また金剛組という世界で一番歴史の古い会社が請け負ってくださり、見積もり額もこちらにとって好条件でした。大きな会社だから高い、ということはありませんでした。一番よかったと素人の私が経験したことは、総監督さんがいてくれたということです。何事も相談しながら工事を進めてもらえたことや、疑問や要望をすぐに受けてもらえたことなどです。総監督さんの人柄にも恵まれたと思います。

(灰汁洗いする前の格子)

(灰汁洗いした後の格子)

(天井板が張られました。)

 


いのちの停車場

2021-06-27 21:03:34 | Weblog

6月27日(日)晴れ一時雨【いのちの停車場】

今日は、母の命日です。二年前にあの世に帰りましたので、今日は母のあの世での誕生日です。そう思いましょう。

吉永小百合さん主演の『いのちの停車場』という映画を、一昨日観てきました。ウイルスに感染することを恐れていますので、映画館に足を運ぶことに躊躇がありましたが、座席予約制だというので、ちょっと安心材料でした。吉永さんは、早稲田時代の馬術部の先輩になりますので、なんとしても観に行かなくては、といつも思っています。

吉永さん扮する白石咲和子は、在宅医療の医者という役柄です。自然の美しい金沢が舞台です。この映画は、私が今まで観てきた吉永さんの映画の中で、一押しの映画です。なにより良いと思ったのは、吉永さんの美しさに頼らない点です。映画自体が美しいです。今まで私が観た吉永さんの映画は、吉永さんに頼りすぎている感じがありました。

母も最期まで、お寺で在宅医療を受けて、あの世に還りました。亡くなる前日に移動のお風呂に入らせて頂き、介護の方が「気持ちいいですか」と聞きましたところ、「気持ちいいです」と喜んでくれた母の言葉を忘れられません。

肺癌末期の芸者さんや、小児がんの患者さんや、末期の膵臓癌の患者さんや、脳出血で倒れてから、夫の介護を受けて最期も家で迎える患者さんや、幾組かの患者さんを通して、人の命と死を見つめる映画です。

咲和子の父は、その妻のように最期を管に繋がれて死にたくはない、と言っています。母もお寺で点滴の管さえなしに、最期を迎えました。それはついこの間、2年前のことです。

いろいろと書きたいところですが、この辺で。お近くに映画館の有る方は、是非観に行ってらっしゃいませ。そろそろ、映画の上映も終わりのようです。

(弟のハッピーを守っているお兄さんタローです。)

 


6月24日 39年目

2021-06-24 21:43:47 | Weblog

6月24日(木)晴れ【6月24日 39年目】

昭和57年6月24日、私事で恐縮ですが、私の出家記念日です。今から39年前になります。僧侶の世界では、まだ子どもです。ヒヨコよりは少し成長した程度でしょう。振り返ってみると随分いろいろなことがありました。ギリシャで「このロドス島が再び海に沈むとき、地球人類は滅亡する」と啓示を受けてより、そんなこともあるだろうか、と、思いつつ生きてきました。

地球温暖化のことを考えますと、全くあり得ないことではないような気もしていました。しかし、このウイルスによる疫病の感染は、かなり実感がありますが、まだでしょう。温暖化がすすみますと、永久凍土も溶けますから、眠っていた病原菌や新たなウイルスもでてくるかもしれません。

でもわかることは、今人類は地球上に現存しているということです。今、とにかく自分の為すべきことに尽力して生かされていく、これでしょう。

私の得度のお師匠様は、浅田大泉老師という方です。老師と奥様には、今でも感謝の思いで毎朝遺影に手を合わせています。出家をお許しいただいたお蔭で、面白い人生を歩ませていただいています。

次の写真は、今住職をしていますお寺の本堂の格天井板に、奉納してくださったお家の先祖供養や、各家のご供養をなさりたいご先祖の戒名などを書き入れた板です。本堂に張ってしまいますと、文字は見えなくなりますから、奉納なさったお家に写真を送ろうと思っています。菩提寺を檀家さんや協力してくださる方々で支えているという気持ちを表すことは大切なことだと思います。これを200枚近く書いていましたので、忙しかったです。本堂屋根の進捗状況をあまり記事に書く余裕がありませんでしたが、今の私の役割は、このお寺の住職としての仕事に尽力することです。

6月24日、僧侶としての、いうなれば誕生日でした。

 

 

 


『大悲心陀羅尼経』中の女人変成男子を考える

2021-06-20 20:02:12 | Weblog

6月20日(日)晴れ夕方曇り【『大悲心陀羅尼経』中の女人変成男子を考える】

今日も暑かったですね。日中の納骨もあり、汗をかくほどの暑さに少々参ってしまいました。

さて、朝課の時に、決まり通りのお経だけではなく、いろいろとお唱えしています。今は、『大悲心陀羅尼経』をあげています。陀羅尼部分の『大悲心陀羅尼』は年中唱えていますが、この陀羅尼が含まれる経典はあまり一般的にお唱えしないと思います。

その経中に次のような文言があります。「若し諸々の女人、女身を厭い賤しみて男子の身と成らんことを得んと欲して、大悲心陀羅尼句を誦持せんに、若し女身を転じて男子の身と成らずんば、我れ誓って正覚を成ぜず。少(わず)かも疑心を生ぜん者は必ず果たし遂げざるなり。」

もし多くの女性が女性の身を嫌い賤しいものとみて男性になりたいと願って、大悲心陀羅尼の句を誦え続けるのに、もし女性の身を転じて男性の身にならなかったならば、私は悟りを成就しないと誓おう。少しでも疑いの心を起こすものは、果たし遂げることは絶対にできない。

「我れ」とは、「観世音菩薩」のことです。「変成男子」については、『法華経』の中にも『無量寿経』にもありますが、女性が男性になることのほうがよいこと、としてとらえると、仏教には女性差別の考えがある、と勘違いされてしまうでしょう。

しかし、現代でもインドにおける女性の地位の低さには、目を覆いたくなるような事件さえあることを考慮しなくてはなりません。たまたま「中外日報」に堀内みどり先生の「女性を死に追いやる「文化」今も」という論考が掲載されていました。このタイトルだけでも想像できますし、さらに見出しには「彼女たちはなぜ死ぬべきなのか」「当たり前だ」と言う社会そして宗教ーとあります。

先生はインドに留学していましたが、その折に持参金(ダウリー)が少ないので、調理中の火がサリーに燃え移って焼死したように見せかけられた殺人事件があって、それに抗議する女子学生のデモ行進があったということや、恋をして妊娠した女性が家族の名誉を犯したとして、生きながら火あぶりにされたり、亡くなった夫に殉じて妻も一緒に焼かれるという「サティー儀礼(寡婦殉死)」という慣習があるそうで、法律的には今は禁止されているそうですが、実際は年に数件あるそうです。

インターネットの記事などでも時々ひどい女性蔑視の事件を目にします。バスの中で、集団で襲われて、たしか殺されてしまった女子学生の話などもあったと記憶しています。女性は価値がない、男性よりも劣る、とされている社会の中から、変成男子の考えは出てくるのは当然でしょう。

仏教は平等を説いているはずなのに、おかしい、と受け取られてしまいそうですが、女性を物扱いするような文化の国において、女性救済のための方法として、変成男子論は考え出された方法だったのではないでしょうか。

しかし、インドの現状もまことにひどいですね。私は、40年ほど前に、一人でインドを三カ月ほど旅をしましたが、行きずりの旅人である私には、そこまで気が付くことはできませんでした。今でもインドでは、当たり前のようにレイプされたり、ひどい目にあっている女性がいるということを思いますと、経典に変成男子論が出てくることは、女性を蔑視しているのではなく、女性救済の一方法として受け取ってよいのではないかと改めて思うところです。

 


足場の組まれた本堂

2021-06-18 21:41:36 | Weblog

6月18日(金)晴れ【足場の組まれた本堂】

真正面が須弥壇の位置です。今は本堂の格天井板の全張替えの工事です。今週は格子の灰汁洗いという工程で、もう少しで灰汁洗いが終わります。そうしますと、いよいよ天井板を張っていく作業になります。

経年でシミなどにより汚くなった格子が、段々見違えるほどきれいになっています。そのうち、写真を撮ってみます。before    afterとして比較の写真が載せられるとよいと思っています。たしか灰汁洗いを始める前の格子の写真も撮ったと思います。

このようなことで、本堂も使えませんし、6月7月は仏事はお休みを頂き、なんとか書き上げたい仕事を予定していました。5月は仏事がやたらに多く、一日おきに法事をしていた計算になりますが、6月の休みをあてにして頑張っていました。しかし、そういうわけにはいかず、檀家さんの貸家で孤独死をなさった方のお部屋のお清めを頼まれたり、お家の解体や植樹の伐採のお祓いなど、日ごろ全くない仕事が入りました。また、墓前のご供養や、宗教法人はやたらに書類があり、書類の作成などの仕事が入ってきました。

お寺の住職は、いつも思っていますが、お寺の僕です。僧侶の生活は静かなものと思っている方が多いようですが、それは全くの幻想です。

でも空行く雲と話す時間はあります。志ん朝師匠の落語を聴かせて頂く時間はあります。朝の坐禅の時間もあります。猫ちゃんたちと遊ぶ時間もあります。

たまに遊んでもらっています、と、ハッピーが言っています。

 

 

 


古今亭志ん朝師匠 こいまてい??

2021-06-17 20:25:48 | Weblog

6月17日(木)晴れ時々雨【古今亭志ん朝師匠 こいまてい??】

またも檀家さんから頂いた去年の新聞に、志ん朝師匠のCDの宣伝を見つけたので、注文しました。注文番号を言いますと、「koimatei sinntyou 」さんの落語ですか、と言われて、ちょっと聞き取れませんでした。「ここんていしんちょう」師匠を「こいまていしんちょう」さんと呼んだのか、と、すぐに気がつきまして、オペレーターさんに教えました。「ここんていしんちょう」師匠ですよと。

このところ、あまりに忙しくて、それだからこそ師匠の落語を聴かせてもらって、楽しみましょう、と思いました。それにしても、「こいまてい」とは、ね。可愛いですね。

今日の空には夏の雲が出ていました。皆さん、マスクをしているのですから熱中症にはお気をつけください。志ん朝師匠がご存命ならば、このマスクの日々を、なんと話のマクラにふったでしょうね。だいぶ前のことですが、末廣亭や鈴本には時々通って、志ん朝師匠の高座も楽しませていただいた日々が懐かしいです。


頑固おやじを送る

2021-06-15 15:41:53 | Weblog

6月15日(火)晴れ【頑固おやじを送る】

今日は仲良しの檀家さんを見送りました。新しいお檀家さんですが、お互いに言いたいことを言い合って、楽しい人でした。歯に衣を着せない人でした。私のほうも、私の言うことをわかってもらえないときには、「この頑固おやじ」とか言って、楽しんでいました。

ご家族も、彼の言いたい放題をよく聞いてくれて、本当にご家族に恵まれた一生だったと思います。引導法語の中にも「家族の理解のもとで、実に悠々とした一生をおくることができ、幸せな人生だったといえましょう」と読みこみました。

奥様も、いつも言いたい放題を言われていた息子さんも、可愛がられた娘さんも、それこそ可愛がられたお孫さんの二人も最後まで泣き止まず、特に社会人になった孫の男の子は、ずっと泣き続けの涙で御祖父ちゃんをいかに慕っているか、を教えてくれました。

頑固おやじも、向こう側で「泣くな!」と言いながら、別れを惜しんでいたと想像に難くありません。こんなに家族に愛されて、旅立つことができてよかったです。

恋愛結婚で結ばれた奥様に、「またこのご主人と結婚したいですか」と野暮な質問をお棺の傍でいたしましたら、「はい」としっかりと伝えていました。

コロナ禍でご家族だけのご葬儀ですが、終始あったかいお見送りができて、本当に良かったと思います。

思いがけない趣味を知りましたが、変体仮名の美しい筆字で、ご自作の和歌が数首書かれた短冊が飾られていました。筆字は定年後に独学で学ばれたのだそうですし、和歌も定年後にサークルで学んだのだそうです。

私は頑固おやじのこのような面は全く知りませんでした。が、引導法語の最後になぜか「風流に富めり」という漢詩を読みこんで送りました。ピタリでしたね。菩提寺の和尚と檀家さんとやはり、なにか不思議なつながりを感じました。また会いましょう。

(彼の作品です。)

*母背負い内子の町を巡り観て和蝋燭買いし彼の日忘れじ

*ひよどりの子育て終わり静かなる梅雨の晴れ間にトマト色ずく

*花冷えに心地よきかな春炬燵昼ドラ見つつうたた寝の妻

*梅雨寒を半纏はおりまどろめば雀の巣立ちか親のさわがし

 


古井戸を埋める撥遣

2021-06-10 18:02:54 | Weblog

6月10日(木)晴れ、暑いです【古井戸を埋める撥遣】

檀家さんが家を解体するので、おはらいをしてほしい、という依頼がありました。家の解体だけではなく、古井戸を埋めること、敷地の木々を全て切り倒すので、その供養、さらにお仏壇も家に備え付けられているので、使えなくなるのでなんとかしてほしい、という話です。

老僧がいてくだされば、いろいろと教えて頂けるのですが、嗣法の折に書き写しました切り紙の中にも、それらについては書かれていません。

やはり杉本俊龍老師の『龍華』がこんな時には、頼りになります。ここに書かれていることを基本にして、自分なりに「啓白文」をそれぞれに書き上げました。

大切なことは、江戸時代から続くその家の歴史を切り替えて、子孫が新しいことにチャレンジすることにあたり、解体や伐採や井戸を埋めることを許諾していただき、お見守りいただきたい旨をお分かり頂くことであろうかと思いました。

『楞厳呪』の読誦も書いてありますので、『楞厳呪』を久しぶりに手に取りました。あちこちに書き込みがあります。僧堂修行時代に、学んだことを思い出しました。

広い敷地一杯に植えられた樹木に話しかけたり、何棟にも点在している建物の歴史を共に話しながら、感謝報恩の供養をさせて頂きました。

全て終えるまでに3時間かかりましたが、当主の檀家さんに禍が無いように、さらに新しい試みがうまくいきますようにと、願いをこめました。私の目から見ると、とても人が好い感じの青年なので、どうなるか心配があります。どうか、騙されませんようにと、祈るばかりです。

(紅枝垂れ紅葉を代表で、お寺に移植しました。すべての木々を伐採してしまいますので、なんとかこの木だけでも根づいくれますように。今は移植には不適な時期ですが、植木屋さんも祈る気持ちで移植してくださいました。)

 

 


本堂屋根改修工事終了

2021-06-08 20:17:41 | Weblog

6月8日(火)曇り時々雨【本堂屋根改修工事終了】

お蔭様で本堂銅板屋根の全面葺き替改修工事は終わりました。正確に言いますと5月26日の水曜日でした。

 

お蔭様で事故もなく、工程予定通りでした。

(5月8日 約100キロの鬼)

(5月24日 最上階の足場を外す前に、上まで登らせていただく。鬼さん、こんにちは。どうぞこのお寺をこれからお守りを願います。)

終始こまごまと気を使って見てくださっていた総監督さんのご苦労は大変だったと思います。工事の途中で、ガムロンという銅板の下地が貼られていない間は、雨の日には夜中でも本堂の小屋裏に入って、雨が入り込んでこないか、点検なさったり、とにかく総監督さんというお役をあらためて見直しました。

お蔭さまでした。今月のはじめから、前のブログで書きましたように、本堂内部の工事が始まっています。私も気を抜くことは当分できません。

 


殿鐘のお出かけ

2021-06-05 09:44:04 | Weblog

6月5日(土)小雨模様【殿鐘のお出かけ】

昨日、殿鐘を塗り直すために、新潟に送り出しました。やっと、本堂内部の工事に入りましたので、この際、埃だらけで、汚れてしまっていた殿鐘をきれいにすることにいたしました。黒い色にするだけではなく、この際ですから、青銅色に塗り直してもらうことにしました。なんでも後でということになりますと、かえって高いものにつきますから、やるときには思い切ってやっておいた方が、後悔が無いと思います。

50キロくらいあるようですから、かなり重いでしょう。

「来年こそは、教区の方丈様たちをお迎えして、この殿鐘で打ち出しができるような法要ができますように」と、思いましたら、運び出されていく殿鐘を見ていて、なぜか涙がこぼれました。

新型コロナウイルスによって、つくづく今まで平穏であった生活がすっかり脅かされてしまったのだと、改めて痛感しました。

ギリシャで私が啓示を受けた「地球人類の滅亡」になりませんように、と願わずにはおれません。

皆様、ワクチン注射を受けても、気を抜かずに、くれぐれも慎重に生きあいましょう。