風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

愛猫ハッピーの安心トイレ

2024-02-28 08:10:36 | Weblog

2月28日(水)晴れ【愛猫ハッピーの安心トイレ】

昨日の風はピューピュー声を出して、吹いていました。

皆さんの方はいかがでしたか。

おさまっていた花粉症が、少し大変です。

さて、いつもは外に出してあげるのですが、さすがに昨日は家に閉じこもらせました。

ハッピーちゃんは、実は箱の中にオシッコをしてしまう癖があります。

猫ちゃん用のトイレは、人間用のトイレの中に2つあります。

ほかの猫ちゃんは、そのトイレをいつも使用しています。

ところが、私の大事な研究資料の箱が濡れているので???

用紙入れの箱が、あれっ!!!

という経験を何回もしましたので、怒っても、効き目はありません。

それで部屋のあちこちにハッピー用のトイレの箱を置くことにしました。

成功です。昨日もかくのごとく。

ハッピーちゃん、失礼しました。「僕はいつもこのようにきちんとしています。」というお顔です。


道元禅師様の母上について

2024-02-26 08:59:42 | Weblog

2月26日(月)晴れ【道元禅師様の母上について】

今日は良く晴れていますが、寒いです。

暖かかったり、寒かったり、かなわないですね。

スエーデン在住の弟は、今年の冬はおかしい、いつもは零下20度くらいなのに、

零下6度で暖かいのよ、と言っています。

さて道元禅師様のお母様についてですが、伊子と言われていましたが、

伊子は通親の妻だそうです。

そうしますと、道元禅師様のお父上は、源亜相つまり久我通具ですから、

その妻は藤原基房の四女、信子となります。

(梅の木の上に、二羽の小鳥です、と、よく見ましたら、右奥にもう一匹いました。鶯にしてはちょっと大きい感じですね。)

 


ロシアの不屈の魂

2024-02-24 10:33:07 | Weblog

2月24日(土)晴れ【ロシアの不屈の魂】

次のURLを検索に入れてくださると、2月16日のナワリヌイ氏の死を悼むユーチューブ記事があります。

かつてロシア革命の小説に、涙した日のことが思い出されました。

ゴーリキの『母』や、トルストイの小説を夢中で読んだことを改めて思い出しました。

ロシア革命を経験した国民が、またも同じようなことに直面しています。

その時よりひどい状態でしょう。プーチン政権を倒すことは、帝政ロシアを倒した時より何百倍も手ごわいでしょう。

この地球に、遊びに来させてもらっている地球人類、

いつかこの地球も、「星の運命」で燃え尽きることがあるというのに、

それまで、楽しく生きられないのか、

まことに残念ですね。

思わず涙が溢れ出て、ブログに掲載させていただきました。

https://www.msn.com/ja-jp/video/news/%E9%81%BA%E5%BF%97%E7%B6%99%E3%81%90%E5%A6%BB%E2%80%A6%E6%AC%A1%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%BD%93%E5%88%B6%E6%B4%BE%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85%E3%81%AB%E6%AC%A7%E7%B1%B3%E5%90%84%E5%9B%BD%E6%9C%9F%E5%BE%85-%E9%81%BA%E4%BD%93%E5%B8%B0%E3%82%89%E3%81%AC%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%AA%E3%83%8C%E3%82%A4%E6%B0%8F/vi-BB1iArmX?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=44e4bd68262942039e00273dc4bad47d&ei=110

(日本民族にこれほどひどい歴史がないことを、改めて思います。いや、安倍さんは暗殺だったでしょうか?)


愛しのエリーからスティーブ・ジョブズまで

2024-02-20 22:21:37 | Weblog

2月20日(火)晴れ 【愛しのエリーからスティーブ・ジョブズまで】

     今日は暑かったですね。

    都会は特に暑かったです。

今日は、都心にあるある修行道場で講師を勤めてきました。

  一か月に一度の講師ですが、若い僧侶の皆さんたちを、とても素直に感じます。

その若者たちの中にお一人だけ、60歳近い修行僧の方がいます。

  もうすぐ送行(そうあん)ー卒業のことーなので、

彼のために道元禅師様の道歌(和歌のこと)と偈頌(漢詩のこと)の解説をしたいと思いました。

  しかし、今日は講義に出られない配役でしたので、

  別の講義をしました。

講義の中で「愛しい」という字の読み方について、

  サザンの「愛しのジェリー」を皆知っているだろうから

読めますよね、ということを言ったのですが、

     さあ、サザンオールスターズのことを知らない世代でした。

  一人だけ少し年齢の上の人がいて

「愛しのエリー」ですが、と訂正してもらいましたが。

      *話は違いますが、電車でのこと、

       多くの人がスマホに魅了されていますね。

      優先席に座って、スマホに夢中で、

       かなりお年寄りの人が乗ってきても

        全く見向きもしません。

     私、思わず、「パン」と両手を叩いてみました。

       その老婦人を二人の若者が、ちらっと見たようですが、スマホに眼を落してしまいました。

          私の方が少し若そうでしたから、立って席をお譲りしました。

       丁度、私、車中でスティーブ・ジョブズさんに関する小冊子を読んでいました。

         ジョブスさんのお蔭で、スマホという作品が世に出るようになるまでになったのですが、

       老人に席を譲る余裕もなくスマホに夢中にさせてしまっていること

      スマホの出現に文句を言っても

       ”It is not my problem."

       と、言われてしまうでしょうね。

世の中はどんどん変化していきますね。お釈迦様のおっしゃる通り「諸行無常」の世の中です。

「エッ!!!! お釈迦様を、ご存じないって!!!!」

 

       


詐欺メール 

2024-02-19 09:48:24 | Weblog

2月19日(月)雨【詐欺メール 】

今日は久々の雨です。
木々が喜んでいるようです。
でも白梅は散りばめられました。

(散りばめられた花びら)

さて、昨日はパソコンの画面が急に叫びだしました。
「▽の●●に感染しました。すぐに次の電話番号に電話してください」
と叫び続けています。

オタオタしながらも、老尼しっかりして

すぐにパソコンに詳しい人に助けを求めました。

「それは詐欺です」と言われました。

画面を終了できませんので、彼の教えに従って、
強制終了しました。

あらたな詐欺の手口です。
頭の良い人が、このような「遊び」をしているのですね。

気をつけます。

皆さんは、躊躇せずに、終了なさるでしょう。

便利な面もあれば、困った面もありますね。

今日は寒いですから、風邪にはご注意ください。

 


梅に鶯ならぬ猫

2024-02-18 10:54:35 | Weblog

2月18日(日)晴れ【梅に鶯ならぬ猫】

完全にむろ状態の梅の右側の幹にも

梅が咲いています。

ハッピーも楽しそうです。

鶯が昨日は来ていましたので、

写したいとスマホを持って境内にでましたが、

代わりにハッピーが写りました。

今日も暖かいですね。


腰痛にご注意 癌のお知らせ

2024-02-17 12:15:26 | Weblog

2月17日(土)曇り【腰痛にご注意 癌のおしらせ】

腰が痛いと言っていた人で、癌の人が多いです。

お一人は肺がんでした。お一人は大腸がんでした。

いつも腰が痛いだけなんですよ、とか、腰が痛いので困る、と言い続けていた人が、それは癌の可能性があるから、調べた方がよいですよ、とアドバイスし続けたのですが、誰しも自分が癌であることは、受け入れられないのですね。

いよいよひどくなって、診察を受けるときには、ステージ4以上になっていて、完治が困難な状態になっていた人、なっている人がいます。

腹膜播種という状態にまでなっていると、かなり難しい状態のようです。

また抗がん剤も、本当に癌によいのかどうか、癌細胞をやっつけるかもしれませんが、正常細胞もやられてしまうということをよく聞きます。

顔があまりに赤黒くなっている人がいますので、どのような抗がん剤ですか、とお聞きしたら、ゼローダという抗がん剤だそうです。手も赤くなっています。足の裏も赤くなるのだそうです。

掌が赤いと血行がよいと勘違いしてしまうようですが、そうではないようです。

このブログをお読みの方で、腰痛の有る方は、ご注意くださいますよう。

電子レンジは癌のもと、私の食養の先生、東城百合子先生は耳にタコができるほど、伝えてくださっていました。

*電子レンジのエネルギーはラップも溶かさない、普通の熱とは違います。早く柔らかく調理できるのは、食物の細胞分子を破壊する。分子が切れた食べ物を食べると、分子は反動的に体内の酸素をつかみ、切れた分子をつなげようとします。そのため体の中は酸素欠乏をおこします。

酸素不足が血液をはじめリンパ液、ホルモン、酵素などの酸性化で、細胞の異変を作ります。その結果酸素欠乏構造の細胞ができる、これが病気であり、またガン細胞にまで至ります。(東城百合子著『自然療法』より)


ルンビニ園元理事長恒田仙英老師本葬

2024-02-16 19:37:39 | Weblog

2月16日(金)曇り【ルンビニ園元理事長恒田仙英老師本葬】

今日、富山に行って参りました。

戦後まもなく、ルンビニ園という戦災孤児を集めた福祉施設が曹洞宗尼僧団のバックアップのもとに富山に創設されました。

そこで50年以上の長きにわたって、多くの子どもたちを見守り、育て、社会に送り出してくださった恒田先生が13日にご遷化されまして、本日本葬が営まれました。

本寺の最勝寺様が中心になってくださり、教区の多くのご寺院がご随喜くださり、三仏事で行われました。

まことに心のこもった、かつ厳粛な、そうしてまことに多くのお別れを惜しむ会葬者であふれかえった本葬でした。

恒田先生のご一生を物語っているお式でした。

「私のご葬儀の時は来てくれる」「はい」と答えた日のことが思い出されます。

私が永平寺さまにて、焼香師というお役を勤めさせて頂いたとき、93歳の先生がご随喜してくださいました。

あったかい先生でした。またお会いしたいです。先生は人々に尽くされましたので、本師のように天に与なさるでしょうから、どうぞ、下にいます私に会いにいらっしゃってくださいますよう、と思いました。果たして死後のことは分かりませんが。

 

佛心寺四世太機仙英大和尚 世壽 百歳 


道元禅師様のお父上について

2024-02-13 11:31:40 | Weblog

2月13日(火)晴れ【道元禅師のお父上について】

引き出しの中を終活片づけをしていましたら、道元禅師のお父上について、石井修道先生に質問して、お答えいただいたコピーがでてきました。

一枚の紙ですが、赤ボールペンで「重要」と書いてあります。書いたのは私です。

さて、お父さんは、「現在では通具説が有力」とお書きくださっています。

「『建撕記』の「源氏村上天皇九代之苗裔也。後中書王八世遺胤」を歴史学の数え方だと通親になるのですが、禅籍流に読むべきでしょう。」(そうしますと通具になります。)

また「建暦2年の叡山出家の時、良顕法眼の「親父猶父定テ其瞋アラン」の語は当時、実の父は生存者であったと思われます」

つまり猶父は養子に入った藤原基房のことで、親父とありますから、親父と養子に入った猶父は怒っているであろう、ということになりますので、ご存命であるということになります。通親ですと、道元禅師が3歳の時に亡くなっています。

また「育父上堂の理解は諸橋轍次の説をとりいれ」とあります。

(これは上記の個所を、あまりよく理解できなかった私見)諸橋の『大漢和』で改めて「育」を調べましたが、「育てる。養う、うむ」など等の意味があります。もし養子縁組をした義理の父の場合、この時代は「猶父」の表現のほうが一般的だったのではないでしょうか。

このようなことで、道元禅師様のお父上は、源亜相であった源(久我)通具しかないということになります。

(なぜ道元禅師はわざわざ明記なさらなかったか、と思ったりしましたが、ちゃんと書いていますよ、と言われそうですね。)

(ちょっと固い話ですので、ルナちゃん登場。段ボールの中にいた子猫ちゃんです。)


道元禅師伝 その2

2024-02-12 19:56:08 | Weblog

2月12日(月)晴れ【道元禅師伝 その2】

簡単な禅師伝で恐縮ですが、自分の勉強の為。

二、出家と修行時代

①家出:1212年の春、13歳。夜中、人に知られないように比叡山の麓に住む良顕法眼を訪ねる。外舅(母方の伯父、叔父)といわれる。

一門にとって将来を嘱望されていたので、思いとどまるように説得されるが、その意思は堅く、ついに横川の千光房(般若谷)で出家の為の準備に入る。

幼いころから賢く、藤原基房の養子になっていたので、祖父の基房の期待は大きかったでしょう。

②出家:1213年(4月9日)、14歳。天台座主公円(1168~1235)のもとで剃髪。延暦寺の戒壇院で菩薩戒を受ける。

③道元禅師の疑問:「本来本法性 天然自性身」一切衆生はそのまま仏である、という天台本覚門の教えであるのに、何故(諸仏は)修行しなくてはいけないのか、という疑問。

④問法:
*三井寺の公胤僧正(1144~1216)を訪ねる。その指示により建仁寺に。

*1217年8月、18歳。建仁寺の栄西禅師(1141一~1215)を訪ねるが、栄西はすでに示寂。

*建仁寺の明全和尚(1184~1225)に入門。坐禅中心の修行に入る。

(梅が咲きました。)

⑤承久の乱。1221年5月、後鳥羽上皇等公家方と、北条義時率いる鎌倉幕府の戦い。上皇方の敗北。後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇は流罪、他の公家方も流罪、打ち首、梟首(きようしゆ)などの刑。公家勢力の翠微。道元禅師の縁戚も多く処罰される。上皇に与しなかった公家も多くいた。

*六波羅探題(もと京都守護)が承久の乱以後おかれるようになる。六波羅探題は旧平清盛の館を改築。建仁寺の近くで、建仁寺と同じ現在の東山区にあった(建仁寺より南、現在の六波羅蜜寺のすぐ傍)。後に道元禅師の外護者となる波多野義重(生卒年不詳)は承久の乱のとき、北条時氏(1203~1230)に従って上洛し、六波羅評定衆として在京している。

このように地理的に近いところで、道元禅師と波多野義重が住んでいたという縁で、永平寺のある福井の波多野義重の所領を提供されるほどのつながりができたといえましょう。

明全和尚から1221年に,印可をうけるという説もありますが、果たしていかがか。