風月庵だより

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友ヨゼフの死

2019-10-26 22:51:09 | Weblog

10月26日(土)晴れ【友ヨゼフの死】

昨晩は、高校時代の友人の葬儀ミサがありました。友の洗礼名はヨゼフですので、ここではヨゼフと呼ばせてください。とても紳士的な方でした。
高校時代は全く交流の無い方でしたが、私が3年前に永平寺での高祖大師(道元禅師)献供諷経の焼香師をつとめさせていただいたとき、随行してくださったのです。なぜわざわざともに永平寺まで行ってくださったのか。いまでも不思議に思っています。

彼がクリスチャンであることは、後で知りました。そうしてこの度、彼がお亡くなりになり、ミサがあるという知らせを、高校時代の友人が、知らせてくれました。たしか永平寺に一緒に行ったと思うので、ということで教えてくれたのです。

その友人も列席すると思っていましたら、自分は高校時代全く接点がなかったから行かない、ということでした。それから私は急にヨゼフという名の友と、おそらく前世からの縁があったのではないか、という思いが強くなりました。

ヨゼフのミサに列席してさらにその思いを強くしました。彼が所属していた教会は、フランシスコ会でした。やはり彼は正真正銘のクリスチャンで、勿論洗礼も受けていましたし、ご家族も全員洗礼を受けていることを、パンを司祭様から頂きにでたのでわかりました。そのような彼が永平寺に共に行ってくださったのは、永平寺という禅寺自体に興味があったのかもしれませんが、都内のご自宅から、2時間ちかくかけて私が住職をしているお寺まで来てくださり、それから貸し切りバスで永平寺に伺ったのです。今でもどういう縁なのだろうかと不思議にさえ思っています。

たまたまフランシスコ会の教会員ということですが、私はイタリアのアッシジに聖フランチェスコを慕って、半月ほど滞在したことがあります。サン・ダミアノ教会もポルツィウンクラの小聖堂も、フランチェスコが祈りを捧げ続けた洞窟も鮮明に記憶にあります。

ヨゼフも私も前世において、共に道を求めていた修行者の灯が入っているのかもしれません。生まれ変わりという表現は安直にできませんが、来世もさらに学び続けようと共に誓ったエネルギーも入り込んだのではないかと感じました。ヨゼフさんは、キリスト教に。私は仏教に。私も中学時代はキリスト教の日曜学校に真剣に通っていました。

ミサではヨゼフのために多くの讃美歌を一同で歌い、司祭様の先導で、葬儀ミサでお唱えする聖書の一節一節を唱え、ヨゼフの死を讃えました。

仏教のご葬儀の式次第とは、全く違いますね。また、死に対しての受け取り方も違います。それぞれと思います。
友ヨゼフの冥福を祈ります。私もそのうちに天に帰ります。そしてまた来世生まれくるどなたかの新しい命の火に、再び道を求める願いを吹き込める炎になりましょう。


初めに歌った讃美歌の歌詞を、紹介しておきます。

讃美歌 445番 「世を去る友」

1、世を去る 友をば かえりみたまえ 死こそは 神への 門出(かどで)なりせば  

2、愛の みあるじよ かなしき わかれ   み旨と あおぎて 忍びて あらなん  

3、主に 賜わりては 主に 召さるるぞ 此上(こよ)なき 御恵み(みめぐみ) おもうも なみだ     

4、とうとき 御陰(みかげ)を たのみまつりて 逝きにし 霊(たま)をぞ 御手(みて)に ゆだねる  

たまたま昨日は、御苑の隣にある高校の前にある建物に出かける用がありました。何十年ぶりかの学び舎は、木造の2階建てであったときの風貌はすっかり変わってしまっています。滅多に新宿には出かけませんが、たまたまこのように重なることは、縁を感じます。

お寺に帰って来てから、永平寺を参拝した時の集合写真を開いてみました。まことに温厚な紳士然としたお顔を改めて拝みました。また来世でお会いできますように。

#来世の縁

#前世の縁

#聖フランチェスコ

#ヨゼフ

#讃美歌「世を去る友」


墓じまい お骨洗い

2019-10-22 09:58:24 | Weblog

10月22日(火)雨【墓じまい お骨洗い】

このところ台風や大雨の被害が各地にあり、多くの犠牲になられた方々や被災なさいました皆様に、お悔やみ申し上げます。

当寺は、今朝の大雨を見て回りましたが、駐車場と境内に池ができてしまっていたりしますが、今日のような大雨の時には、お参りの方もないと思いますので、被害はありませんでした。

さて、先日、お一人でお住まいの檀家さんが、将来のことをお考えになり、墓じまいをなさいました。60年前に土葬された人のお骨と、22年前にお亡くなりの方は骨壺で埋葬されているというので、石材店の人たちが5人がかりで、墓所を掘りました。この家の墓所はカロートがありませんでした。墓石の近くを掘りましたら、土の中からポリバケツがでてきました。蓋を開けて見ましたら、骨壺が入っていました。それも、非常にきれいな状態です。水も入っていません。とにかく22年も経っているというのに、骨壺の下も全く汚れていなくて、驚くほどでした。

土葬の方は、まずどのあたりか探し当てることからはじまりました。地アマ(どのような字をかくのかわかりませんが、職人さんたちはそのように表現しています)が出てくるところは、掘り起こしていない、と言います。また6尺掘っているはずだ、と言います。6尺と言いますと人一人立てる高さですからかなり深いです。

「あ、これかな」という声で覗いてみますと、茶色になった木の枝のようなものが出てきました。それからどんどん堀り出されまして、ついに頭骸骨が出てきました。

60年経っても、土に全くかえっていませんでした。着物の切れ端も残っていました。
出てきたお骨は泥だらけですから、このまま合同供養塔に収めるわけにはいきませんので、またもお骨洗いです。お骨を洗うのは、父のお骨、先代のお母さんのお骨、そして今回と、これで三度目です。しかし、さすがに頭骸骨を洗うのは、なかなかです。

こんなことをする住職は少ないかもしれませんね。しかしお蔭様で無事にお骨を掘りだすことができ墓じまいをきちんとなさることができ、檀家さんもほっとしたようです。

このような墓じまいをなさる檀家さんのためにも、合同供養塔は必ず必要であると思い、昨年建立することができよかったと思っています。しかし、このお骨は焼骨し直さなければ、と思っています。古いお墓の墓じまいは、なかなか大変ですね。

(きれいに保存されていた骨壺とポリバケツです。まさか土葬の方は、写真にもとりませんし、ブログには掲載できませんが、骨壺は許されるでしょう。)

#墓じまい

#お骨洗い

 


母からの別れの言葉 百カ日

2019-10-07 17:16:03 | Weblog

10月7日(月)晴れ【母からの別れの言葉 百カ日】

今日はかなり涼しい朝でした。皆様この気候の変動にうまく対処なさっていますか。
私はこのところお寺の仕事も忙しく、ご葬儀や法事もつとめさせていただいています。
しかし、あっという間に百日がたちました。卒哭忌とは言いますが、これで泣き止むというのではなく、そろそろ泣くのは止めようか、というような優しい促しのような区切りかと思っています。

しかし、この間、母は夢にも全く訪れがありませんでしたが、昨日の早朝、はっきりと夢に出てきて「さようなら」と言って消えていきました。私はすぐに目を醒まし(母はついに天に帰った)と感じました。

「元気でね」でもなく、「頑張って生きなさい」でもなく「さようなら」という言葉が何とも言えません。四十九日の間は軒端に居るとよく言われますが、百日と二日間(後でなぜ102日後のお別れなのかと思いましたが、母の満年齢は102才でしたので、母は洒落たのかと思いましたがいかがでしょう)、母はまだ居てくれたようです。きっと私がなかなか思い切れないので、心配していてくれたのかもしれません。それとも長く生きましたから、この世に名残があったのかもしれません。

本師がご遷化なさったときも、泣き続けていましたが、「天に与した」という声を聴いて、泣き止んだ時と同じ感じを母の「さようなら」から感じました。

この百日の間も、つい一昨日は本師の娘さんがご弔問にお越しくださり、懐かしく母の思い出話をしてくださいました。私よりも母の一面をよく理解してくれていたことがわかりました。母はいつも一生懸命な人間であったと理解してくださっていたようです。

書きそびれましたが、四十九日の後もW大学時代の友人たちが弔問に来てくれまして、母への感謝の言葉を述べてくれました。まだ二十代の若き日、我が家に友人たちが集まって、大声で校歌を歌ったり、騒いだそうですが、母がいろいろとご馳走を出してくれたようです。五十代になってから通ったK大学でもやはり母の手作りの料理をご馳走になった友人たちがいますので、母と私の生活の密着度はかなりなものだったと、弔問の皆様からあらためて教えてもらいました。また大変まめな人で、よく若者たちの世話をしてくれたのだとあらためて感心した次第です。そうして遠路にもかかわらず、多くの人たちが母の弔問にいらっしゃってくださったので、母もなかなかあの世に帰りきれなかったのかもしれません。

母がようやく天に帰ることができたと感じますので、私も切ない思いはありますが、私自身あの世に帰るまで、やるべきこと、やりたいことをしっかりと努めたいと思っています。

「母よ、あの世でお元気で」

ご訪問の皆様も、どうぞご健康にお気を付けいただき、この世の人間としての日々をお楽しみくださいますよう。

(お寺の猫たちのママです。)