mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

朝の幸運と至福の紅葉

2023-10-26 16:37:44 | 日記
 奥日光湯元で5時半に目覚め。朝風呂に入り、荷造りをする。バイキング方式の朝食。寿司飯を用意して、その上にイカそうめんやいくら、小さなホタテをてんで勝手に盛り付ける「海鮮丼」がある。珍しい。だが、いかんせん、器が小さいご飯茶碗。ま、何度もおかわりをすれば量は食べられるが、そういうワケにいかないのが、年寄りの胃袋。
 お腹をいっぱいにして、湯の湖のまわりを経巡る。日陰はさすがに上着がいる。お腹にごま斑のついたルリビタキの幼鳥が地面に近いシャクナゲの枝の下を立ち去りがたくうろうろとする。巣立ったばかりなのだろうか。師匠は大喜びだ。陽の当たる湯の湖南西の水辺には6人ほどのカメラマンが三脚を据えて湯元の物産センターの方を撮っている。構図がどうのと遣り取りしているから、風景写真のカメラグループのようだ。
 朝日を浴びた紅葉が映える。逆光に透ける紅葉の赤と黄色がひときわ鮮やかに際立ち、ほほうこりゃあ、すごいと思わず声が出る。キラキラと陽ざしを照り返す水面も、風のない穏やかな晴天を言祝いでいるように見える。湯の湖が湯滝になって落ちる近くの駐車スペースは、ずらりと車で塞がっている。朝早くやっきた観光客が多い。水と陽ざしと紅葉の揺れ動きに目を奪われている。
 湯の湖の沖合水面に水鳥がぷかりぷかりと群れて浮いている。マガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロ、オオバン、ハシビロガモも見えたように思った。何羽ものマガモが、頭を水につけ尻尾をみせて何かを啄んでいる。一回り約1時間20分。
 9時近くになって大型バスが何台も湯元の方へ向かう。小学生の修学旅行シーズン。紅葉の奥日光は何よりの舞台。たぶん昨日はどこかの宿に泊まっていたのであろう。いろは坂が渋滞になる前に上がってきたような雰囲気だ。湯の湖一巡が終わる頃になって、向こうから小学生の集団が4クラスほどやってくる。木道の片隅に身を寄せ、彼らが通過するのを待つ。
 こうして車に戻り、光徳牧場近くの探鳥地へ向かう。カラマツの林が取り囲み金色に輝く。カラマツの小さな枯れ松葉がはらはらと落ちて、一面に松葉の絨毯になっている。意想外に駐車場は空いている。光徳牧場へ行く車と山王峠へ向かう車が半々くらいか。ひっきりなしに通過してゆく。探鳥スポットには3人の人がいて、1人は椅子に腰掛けて長期戦の様子だ。ズミやマユミの実がたわわについて車道の向こうに樹林を広げる。そこへひょいひょいと鳥影が飛び込む。目で追い双眼鏡でとらえる。シロハラだ。ツグミが何羽も来ては飛び移る。おお、なにか4,5羽飛び込んで動き回っている。アトリだ。あ、あ、あの上の方に来たのはアカハラだ。おやコゲラもいる。3人のウォッチャーがいつしか6人になってお喋りしている。ときどき通りかかる車が徐行して、何を観ているのか訊ねたそうに助手席から顔を見せる。ほんの30分ほどの間に充分堪能した。
 10時半も過ぎたので帰途につく。光徳から中禅寺湖へ下るところの紅葉は、上から覗くようになって圧巻だ。竜頭の滝へ入ろうとする車とそこからでて戦場ヶ原の方へ向かおうとする車が、信号の手前で列をなしている。中宮祠へ向かう車も列をなして通過するから、やってくる車が渋滞になる。助手席のカミサンは紅葉の鮮やかさを目にするごとに声を上げる。中禅寺湖半の道路は道の両側から覆い被さるように紅葉のトンネルをなし、ヒャッホー、みてみて、あ、みないで、と運転手に声をかける。
 中宮祠の朱い大鳥居をくぐる道は、その先で華厳の滝駐車場に立ち寄る車が列をなすから、裏道を通っていろは坂へのショートカットの道をとる。そちらへ回る車は数が少なく、案の定、華厳の滝側から来る道路は空いている。
 いろは坂に入る。助手席はまたヤッホーの声を立てる。そのうち「ここらはまだ半生ね」となる。スムーズに下るうちに、向こうの山肌全体の紅葉がちょうど陽ざしを受けて目に入る。車列が、たぶん見物渋滞のようにゆっくり進む。はははと助手席は笑い、ゆっくりがいいわねとご機嫌だ。こうして、日光の紅葉見物は昨日午後の雨を忘れて上々に終わった。
 11時過ぎに日光宇都宮道路を走るせいで、まったく空いている。東北道の上り線も、トラックが多くなるもののやはり空いていて、快適に飛ばす。
 ちょうどお昼を過ぎる頃に蓮田SAに差しかかる。カミサンはここで昼食を狙う。このSAのお昼が多種多様、テーブルもいろいろとあって、面白いという。たいてい私は、この辺りを通過するときは、午後も遅くになるし、トイレ休憩は、その手前で済ませているから、立ち寄ったことはない。だが鳥友と探鳥に出かけるカミサンは、鳥とも運転手らの情報網のお陰で、ここのSAの得意技も知悉してしまったようだ。おこわの稲荷寿司のランチを買って、外のテーブルで口にする。美味しかった。

紅葉真っ盛り

2023-10-25 14:54:31 | 日記
 奥日光に来ています。昨日(10/24)はいろは坂の渋滞を避けるために、午前中は日光植物園に遊び、お昼を済ませてから三本松に向かった。
 植物園の紅葉は未だし。いくつかの樹種が色づいて緑の中に色どりをなしている。人は少ない。だが、狂い咲きのツツジが花開いていたり、リンドウが花盛り。カンボクやガマズミ、マユミが朱い実を付けている。3時間も過ごして飽きないほど浮世離れした時間が流れていた。
 いろは坂も混んではいない。いつもと違って列をなしている。いろは坂の上りは二車線あるから一つが連なっていても、ストレスはない。バイクが追い越し車線を走り、わが軽もその後を追う。中宮祠の三叉路とか、竜頭の瀧の入口はさすがに信号待ちの車列となっていたが、ま、そんなものよと思えばなんでもない。助手席のカミサンは「運転手には悪いわねえ」といいながら、声を上げて紅葉を堪能している。運転手もちらりほらりと目に入れて「気配」を感じて通過していく。上へ行くほど彩りが華やかになるのを身の裡にとどめる。
 二本松の駐車場は、しかし、8割方が埋まっている。茶店は大繁盛だね。車を置いて樹林の間を抜けて光徳方面へ向かう。スコープを担いだカップルとすれ違う。「アカゲラくらいですね」と笑って挨拶を交わす。声を聴いて鳥の師匠となったカミサンはエナガをみつけ、ホオジロやシジュウカラをとらえる。ぶらりぶらりと2時間ほどを過ごして宿に入る。空にポカリと浮かぶ綿雲も、いかにも秋の気配をまとって山を際立たせている。
 今朝も晴れ。8時少し過ぎに宿を出て赤沼に車を置き、戦場ヶ原から北戦場ヶ原をまわり、そこから引き返して小田代ヶ原に回って赤沼に戻るというコース。約14kmほどの距離。取りを探しながらゆっくりと移ろう。マヒワの群れを4回もみた。午前5時半頃には100羽くらいの群れが戦場ヶ原に来たそうだが、以後は西側の樹林に飛び込んで出て来ないと耳にした。キバシリも泉門池の近くでひょいひょいと木の幹を伝って上り下りしていた。ゴジュウカラも姿を見せ、コガラ、ヒガラ、ゴジュウカラ、ツグミ、カケス、モズなどを双眼鏡にとらえる。
 戦場ヶ原を歩いているときには晴れ渡る空に、男体山から太郎山、大間中尾山、小真名子山に、山王帽子山と三ツ岳が肩を並べて周囲を取り囲み、日光連山を上げて紅葉を言祝いでいる様子をみせている。紅葉見物の観光客も多く、コロナどこ吹く風という風情であった。
 お昼を食べようとしていた頃、雨粒が落ち始め、でも大雨にはならず、鳥観の意気を挫いたってところかな。小学背の修学旅行に出遭わなくて良かったねえといいつつ赤沼に戻っていたら、〈そんなことはないよ〉とご挨拶に現れたように小学生が8クラスほどが戦場ヶ原へと向かっていくのとすれ違った。赤沼の駐車場も観光バスが十数台止まって、賑やかであった。
 こうして2時頃宿に戻り、雨を頭に受けながら露天風呂で骨休めをするのでした。

声を聴きたくなる

2023-10-24 05:55:19 | 日記
 日曜日、秋が瀬公園へ行って驚いた。駐車場がどこもここも一杯。9時前の時刻。涼しくなったから、草野球もやってみようか。サッカーも練習試合やります。ラグビーもやっているようだったが、後で聞いてみるとアメフトだったようだ。楽器を持ち込んで鼓笛隊の練習に来ている人たちもいた。これまでも何度も日曜日に来ることはあったが、こんなことは初めて。暑い夏は身体がいうことをきかないが、涼しくなるとやたらと動き回りたくなるってところか。秋の啓蟄みたい。
 散歩をとりやめて家へ戻り、図書館へ出かけた。こちらはいつもより空いている。本を三冊返し二冊借り、ぶらぶらと遠回りをして帰宅する。行きには日向を選んで歩いたのに、帰りには日陰を辿るようであった。秋とは言え、まだまだ暑さの名残があるのかな。
「本」の校正がすっかり終わったようなものだから、解放された気分で四国お遍路のことを考えはじめている。60番札所から88番札所まで。十日間ほどのお遍路最終章と考えている。のっけが石鎚山中腹のお寺。これまでと同じように不信心者のスタンプラリー風になるのか、それとも生まれ故郷の香川県をはじめて西から東へ歩いて辿る旅になるのか。楽しみと同時に、何だかこれまでの調子で歩いては罰が当たるような気分がしている。お大師さんの生まれ故郷・善通寺も通る。これはなぜだろう。行ってみなくちゃわからないが、9年過ごした「ふるさと」というものに対するワタシの意識していないこだわりがあるのかも知れないと不思議に思っている。
 今日(10/24)から出かけるための車の用意を調える。ガソリンの値段が、この所少し下がってきた。満タンにしても400kmくらいしか走れない軽。途中で足すかどうかという端境の距離だから、いつも帰りにははらはらしながら運転する。5㍑も足せば充分なのだが、高速道のスタンドは20円/㍑以上高くなる協定価格なのでいやなのだ。でもたとえ20円高くても5㍑で100円しか違わない。ケチなことをいわないで、ゆったり運転しなさいよと、わが身の裡の声も聞こえる。ケチな性分は、治らない。
 3年前に亡くなった神戸の古い友人の奥さんから電話が入る。その方はもう90歳。なんでも先祖代々の墓を故人の弟が継ぐことになったため、そこに収めていた故人の御骨を別の永代供養のお寺さんに移したという知らせ。
 うん、でも何で、私に知らせるの? と思ったら、故人がなくなったときに送った私の追悼の手紙にかかわっていた。それを遺骨とともに骨壺に入れて納めていた。それを今回取り出してみると、骨壺の中には水が溜まり、追悼文は読めなくなっていたのだが、新しいお寺さんのお坊さんが手を加えて消えていた印刷を復元して読めるようになった。改めて読むとご亭主の面影が浮かんできて、つい電話をしたくなったというのである。いや、有難いことですと御礼を言って御挨拶をした。そうなんだね。何となく声を聴きたくなることってあるんですよね。
 そういえば昨日、大阪の96歳になる叔母から「声を聴きたくなった」と電話があった。目がよく見えない。TVも新聞も本も読めなくなり、ご亭主を半年前になくして介護ホームの独り暮らし。「早くお迎えに来てほしいのに」と仏さんに愚痴をこぼす。そう訴える声はしっかりしている。耳はいいのだ。「耳がいい人は長生きする」という話を神戸の方から聞いたばかりだったので、だからお迎えはまだまだ来ないよと言う。叔母も「でも来てほしいわあ」と私に嘆願するように言って、笑う。良かった。笑って話が交わせる。
 昨日の夕方、編集者から下巻の「念校」が送られて来た。これをチェックして全部終了。印刷所に入稿するという。万々歳。これで3日ほど遊びに行ける。向こうで記事を書いてアップできるかどうかはわからない。
 では、行ってきます。

清流が本流になり海になった。泳いでいるのはワタシだ。

2023-10-23 09:30:47 | 日記
 ダイヤモンド・オンラインに面白い記事が載った。《「芥川賞候補作家」が激白!芥川賞作品をツマラなくした“意外な元凶”とは?》と題された「神納まお の意見」。神納まおは、芥川賞候補にもなった作家のようだ。
 面白いというのは、この作家が「文学」を「社会と個人の関わり」において論じていること。簡略にいうと、(新人の登竜門と言われる)芥川賞の選考対象になる「文芸雑誌」の掲載作品が「社会的・政治的正しさ」において平準化してきていること、《「正しさ」への同調または分かりやすい抵抗》に堕しているという。
 それに対して「文学」は、その作家の「個人を対置する作業」であり、「徹底的に個人から見た世界を掘り下げていく作業こそ文学なのだ」という。つまり作家の身の裡から噴き出てくる世の中の理不尽な壁を描き出し、「まだ名付けられない領域に言葉を与えてくれる小説」こそが「文学」だ、と。
 これはたぶん神納の思いに反して、きっぱりとした文学読者の身を置く、お立ち台宣言のように響く。文学の読者は「まだ名付けられない領域に言葉を与えてくれる」ことを期待する人に向けられる、と。《文学というのは、もとより一般的な感覚とは距離がある》。
 となると、世の中の流れに棹さすワケにいかないから、世間にはウケがワルイ。文芸雑誌は売れない。それじゃあ困るから、雑誌編集者はウケのイイ方向へ舵を切る。いやそうじゃないよと、現実の編集者はいうかもしれない。ウケがイイを狙うのは直木賞作家、芥川賞はやはり「純ブンガク」だというかもしれない。
 ここでいう「現実の編集者」というのを私は、映画『騙し絵の牙』(2021年)に登場する文芸雑誌をイメージしている。この雑誌「薫風」(木村佳乃演ずる)編集長や(佐野史郎の務める)保守派常務が、まさしく「純文学」の伝統にしがみつく役。これは神納のいう「文学」のもっている「まだ名付けられない領域に言葉を与えてくれる」ことが長年かけてつくりあげてきた「権威」である。「近代文学」と呼ばれて江戸期からの大衆文芸とは別物として神棚に祀られてきた。もともとウケるものとは考えられていなかったのである。それが、時代と共に変わってきた。
 変わってきた根柢には、大衆社会状況の進展がある。国語教育で「文学」が取り扱われたことが緩やかに広がり、深まり、庶民大衆が「近代文学」に触れるようになった。その広がりの根柢には社会の全般的な富裕化が実現したことがあったろう。さらにそれに加えて情報社会化というメディアの変化もあって、「純文学」が知識人のものではなく広く大衆のものになってきた。そのお裾分けのお蔭で私も「文学」に触れて、現世の人やコトゴトを定型以外の「まだ名付けられない領域」があることを感受することにもなった。それに伴って「文学」の方も変容してきたのであった。
 文芸雑誌の出版社と編集者の欲望が刺激され、「権威」から「売れること」へ緩やかな変質がみられるようになった。「芥川賞」もその変容と変質を堆積して現在に至っている。その転換を、文字通り絵に描いたように表現したのが、映画『騙し絵の牙』だったというわけであった。
 作家としては、「書きたいものが書けないという現状」に感じられ、出版社・編集者においては「出版社の自主規制」が情報化社会のコンプライアンスとして定着してきた。ポリティカル・コレクトネスが世界規模で「常識化」してきた。逸脱すると世界規模で非難に晒される。「純文学」さえもエンタメになってきた。
 それと並行しているわけではないが、大衆社会の人々も多くは、自問自答しながら読む「文学」よりも、一時憂さ晴らしをするエンタメ的なライトノベルへ傾くようになった。消費するようになった。むろんそれがイイとかワルイというわけではないが、もはや「まだ名付けられない領域に言葉を与えてくれる小説」はメンドクサイことに分類され、棚上げされている。歳をとったワタシも、同じように自身の変遷を感じているから間違いない。
 さて、作家・神納まおは、こう二つの提案をしている。

《まずは二つに一つ、割り切って共感を得て売れる小説を目指すか、売れなくても文学的な道をいくのか。いずれにしても今の中途半端な状態から抜けなくてはならないことだけは確かだ。/もし売れる方向へいくならば、芥川賞は「直木賞の新人賞版」といった位置付けにすべきだろう》

 前者をとるなら、映画『騙し絵の牙』の粗筋にあったように《文芸誌を現在の月刊体制から季刊に変更して、「文学」の質を高めるようにしていく》。
 後者をとるなら、文字通り大衆社会の商品として売り出し、その中に《文学というのは、もとより一般的な感覚とは距離がある》作品を紛れ込ませる。
 そもそもエンタメというのは、一般的な感覚に順接するように見えながら、実は視聴者・観客・読者の身の裡に潜む無意識を掘り起こし、意識世界に浮かび上がらせて「発見」させる仕掛けを必須とする。はははと笑い、きゃあきゃあと驚き、はらはらしながら、身も心も揺すぶられる「発見」を娯しむ。そうしながら、いつしか直に無意識に働きかけられている。
 そんな仕掛けの芥川賞が読めるようになったら、うん、面白い。

正念場を超えた

2023-10-22 07:13:04 | 日記
 一昨日の夕方、待ちに待った「下巻・後半」の「第五校」が届いた。当初送られて来た「工程表」より3日遅れている。これを済ませれば、「念校」という簡単なチェックを残すだけになる。上巻はすでに印刷所に回っている。「下巻・前半」の五校・校正はすでに送ってある。
 夕食を挟んで取りかかる。ワタシの活動時間が朝型になっているせいだろうか、少ししか捗らない。きっぱり打ち切って一昨日は切り上げ、昨日朝早くから取りかかった。
 いつもは朝飯前に済ませる消息日誌のブログはどうしようと思ったが、いずれこの作業に疲れ、一休みすることになろうから、そうなってから書けばいいやと後回しにした。150ページくらい。「五校・前半」の校正は驚くほどスムーズに運んだ。編集者の念入りな仕事ぶりを窺わせるような仕上がりで、表現を何カ所か追加して読みやすくすることで済んだ。
 ところが「下巻・後半」は、意外に手子摺った。ああこれは、編集者がめんどくさいなあと思いつつ仕事に向かっている気配が漂う。この「後半」は、コロナ禍がやってきてからの1年間の山行と山の会の活動が十年目に入ってからすぐに起こった私の遭難事故の報告、「追い書き」という山の会の終了を告げるあとがきのようなことが記載されている。コロナ禍との関わりと遭難事故がもたらした1年前の私の感懐である。
 つまり坦々とした山行記録と違って、私のいろんな思いがグジグジと書き記されている、「本」の中でも異質な要素を多く含んだ「章」がふたつ連なっている。たぶん、山に縁の深い編集者も、流石になれない領域の愚痴を聞かされるようで手子摺ったのではなかろうか。
 この「下巻・後半」が本書の「オチ」になっている。そう感じたから、ああこれで起承転結が決まったと、なんだかドキュメンタリー・タッチの小説を書いたような感触が私には湧いていた。いや実際、ドキュメンタリーが記録として文書化されるとき、単なる「記録文書」であるにもかかわらず、その行間に、記録者の視線に付随する様々な無意識が漂い表れる。だからドキュメンタリーも、「記録文学」という翻訳を当てられることになったりしているのだ。そういう思いが湧いてきたってワケ。
 昨日の午後3時頃、「後半」の一つの「章」を済ませ、一先ず編集者に送った。昼間眠くなったときにはココアを飲んで一息ついたが、とても消息日誌を書き付ける余裕はなかった。残りが片付いたのは夕食を挟んで夜の8時頃。編集者に送り、正念場は越えたと思った。
 カミサンがみていたネパールのドキュメンタリーで、森林保護のために政府から現金支給されることになった遊動部族の人たちが、忽ち暮らしを乱して危機に瀕している様子が伝えられている。子どもたちまでアルコールを手にして酔っ払っているのをみると、自給自足的な経済が資本家社会的交換経済に移り変わるときの、心持ちの準備のない人たちを襲う悲劇が象徴的に表れていると思った。
 ドキュメンタリーといえども、小説以上に問題提起をしている。切り取り方によるのかもしれないが、ヒトの暮らし、ヒトの社会の変化が辿る必要のあるゆっくりとした径庭が欠かせないと感じさせる。ということは、私の山歩きも、こうした長い径庭を経て、山行記録を本にするような次元にまで達している。その辿ってきた「心持ちの準備期間」は、まったく先達たちの御蔭に拠っていると思う。有難いことだ。
 まさかお前さん、さてワタシも先達の列に名を列ねることができるかって、考えてんじゃないでしょうね。
 いえいえそうじゃありませんよ。名を列ねるというよりも、蝶の羽ばたきですよ。こんな羽ばたきをする蝶もいたんだって、知る人ぞ知る。それで十分です。
 そんな自問自答が湧いて起こった。