mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

いきなりの秋

2023-10-07 08:59:32 | 日記
 3日間留守にして帰ってきた一昨日の夜、駅を降りて風が冷たいことに気づいた。出かける前の気温は日中30℃を軽く超える。秋というのに何だこれは、と半袖シャツで過ごしていた。向かう先は標高500m~800mの田舎であったのに長袖一枚で過ごし、快適であった。それなのに、浦和に帰ってくると途端に冷(ひ)やい風が吹く。
 ぶぉっと暑くなり、どかっと冷気がやってくる。何とも風情のない季節の変わりようになった。
 昨日(10/6)、歯医者に行く。羽織った長袖のボタンを一番上まで合わせて首筋が冷えないようにする。日陰ではなく日向を伝い歩く。そうそう、この陽の当たるところを日向と呼ぶことが、柔らかい陽ざし、秋を意味するように思う。3日前までは日向ではなく日射と呼ぶようであった。
 いきなりの夏、いきなりの秋だ。
 それでも11時を過ぎると日差しは少し暑くなる。そうそう、そうやってゆっくりと移り変わるものですよとお天道様にもの申す。近頃はお天道様もデジタル化したのか、YES/NOの単純二元化したような変わり様を呈している。雨って言えば、土砂降り。しとしととか、そぼ降るとか、小降りってのを忘れたように、繁吹(しぶ)く。
 何ですよ、あなたまでアナログ世界を忘れちゃったのかい?
 この冷やさが好きだ。自分が生まれた季節が好きになるって誰かがどこかで言っていたが、その通りかも知れないと思う。6月生まれのカミサンは夏が好きという。体温くらい暑い日でも平然と明るい。だが秋のお彼岸を過ぎると元気がなくなる。世界が暗くなるように感じると言うから、「秋気うつ病」じゃないかと私は思う。そういう病名があるのかどうか知らないが、気分が沈むようだ。これも困ったもんだね。
 10月5日に富士山が初冠雪したと聞いた。例年より3日ほど遅いという。そういえば、思い出した。2014年頃だったと思うが、富士山の初冠雪は9月12日であった。長兄の誕生日だったので憶えている。そして今年、10月5日。長兄の没後9年、10回忌だ。
 こうして書いていると、私の季節感覚には人の要素がくっ付いている。では季節の進行とワタシの固有性はどういう所にあるのと問われると、応えられない。自分のことはワカラナイと思っているから、応えられないで困ることはないが、他の人との関係でワタシのことは表されていると思う。ちょうど「人柄」とか「特質」とか「個性」というのを自分では言い表わせられないように。
 あっ、こういうことはもうすっかり昔のセンスになったね。
 いつごろからだろうか、自分の特性を積極的に表現するのが頼もしいとなったのは。私が子どもの頃は、そういうことは口にすることではないと叱られた。能ある鷹は爪隠すとか、能ある猫も爪隠すと謂っていた。得てして自分の善いところ悪いところというのは当人には分からないものという意味のほかに、自分の個体性は、長年の佇まいのなかで滲み出るように現れていつしか他の人の、振る舞いや評価・評判に表れてくるものと言われてきた。
 子どもの頃にはそう振る舞うことが麗しいと思っていた。それがいつしか、自分の長所を最大限表明して売り込むことが常態になってきた。情報化社会のせいか、アメリカ文化が流れ込んできたからかはワカラナイ。だが、列島文化が育んできた振る舞いの作法も、それなりの社会性をもっている。世界がグローバル化したからといって、手の平を返すように廃却していいものとも思えない。
 おやおや、すっかり本筋から離れて、また懐古的な感傷に浸っている。八十路の老爺も困ったものだ。アナログ時代がよかったねえと、デジタル機器を使いながらぼやいている。バカだねえ。