mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

間隙を縫って

2023-10-10 05:25:12 | 日記
 昨日は1日、校正に掛かりっきりだった。朝5時前から夕方6時頃まで。途中眠くなって30分くらいボーッとしていたろうか。これでやっと、下巻の前半の四校が終わった。
 終わってメールボックスを開けると、これからの工程表が届いている。それでやっと、今週後半に印刷工程に入り、並行して上巻の「念校」と印刷、下巻の校正が進められ、やはり下巻「念校」をもって今月の23日に私の仕事はすべて終了し、印刷製本になるとわかった。「念校」というのは、初めて知った。ここまで丁寧に編集作業が行われているのだと感服している。
 昨日はそういうワケで、何かを書く暇がない。いやあれこれ考えることはあった。校正をしながら、私の山歩きの移り変わりが読める。70代の山歩きの危うさにも、感ずるところが多々あった。なぜか「エントロピーの増大」って言葉が浮かび、「エントロピーとエネルギーと生命力の関連について」、生成AIに聞いてみなくちゃねと、ぽつんと一件イメージが浮かんできた。でもそれらは、今は棚上げ。本になってから改めて考えてみるテーマになるように思いつつ、作業を進めている。
 あるいは、草臥れて一休みするときに開いた新聞の社会面。埼玉県議会に上程された「条例案」のことが報道されていた。「子どもを放置してはならない」という条例。県議会自民党が提案しているという。なんだこれは、台風後の登山道に「通行禁止」と掲げている自治体の注意書きと同じじゃないか。儂ら自治体の責任を、言っておいたぞという「注意義務」を果たしただけの「条例」ではないか。……などなど、思うことはあったが、考えるのも厭わしいほどで、黙過した。
 今こうして書いているのは、一つ片付けたその間隙を縫って、ちょっと忘れないようにメモしたという次第。
 なんだろうね、こうしていちいちメンドクサイことを、ついつい考えてしまうって、ワタシのクセ。ま、暇だから困るわけじゃない。ヒトの社会の凸凹道を、そればかりに注意を払って我を忘れて過ごすってのも、山歩き同様、瞑想状態創出の一工夫かも知れないね。