mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

わたしへの旅の途上

2023-10-17 08:19:26 | 日記
 宇宙飛行士の野口聡一が『どう生きるか つらかったときの話をしよう』と銘打った著書を発表している(アスコム、2023年)。その「はじめに」を読んで、9月のささらほうさら合宿におけるOさんの「発表することがない」を思い出した。
 野口は「つらいことだらけの時代」があったと述べている。


《2回目のフライトの後、僕は非常に大きな苦しみを抱えることになりました。苦しみの大きな原因の一つは、それまで寝ても覚めてもずっと頭の中にあった「宇宙でのミッション達成」というプレッシャー(重石)が取れ、今後自分がどこへ向かっていけばいいのか、方向感を失ってしまったことにありました》

 そして退職後に辿り着いた感懐を「宇宙よりも遠い、自分の心の中への旅を通してわかったこと」と見出しをつけてこう述懐している。後述の都合のために引用者が番号をつける。


(1)「他者の価値観や評価を軸に、『自分はどういう人間なのか』というアイデンティティを築いたり、他者と自分を比べて一喜一憂したり、他者から与えられた目標ばかりを追いかけたりしているうちは、人は本当の意味で幸せにはなれない」
(2)「自分らしい、充足した人生を送るためには、自分としっかり向き合い、自分一人でアイデンティティを築き、どう生きるかの方向性や目標、果たすべきミッションを自分で決めなければならない」
(3)「自分がどう生きれば幸せでいられるか、その答えは自分の中にあり、自分の足の向くほうへ歩いていけばいい」


 合宿におけるOさんの「何も話すことはない」という感懐に通じることなのではないか、と思った。燃え尽き症候群と言ったりすることもあるかもしれない。いや、Oさんはまだ大学院大学の「仕事」を続けているから、燃え尽きようとしてはいるが、熾火はまだ残っている状態なのかも知れない。
 Oさんは、野口聡一の言う(3)「自分の足の向くほうへ歩いていけばいい」というのがわたしにはないのだ、というかもしれない。「自分の足の向くほう」とはそこまでの人生で身に培ってきた「無意識」だ(と私は考えている)。人は自らの身に蓄えた人類史的蓄積を与件として生きている。「与件」とは予め与えられている様々な条件。ほとんど無意識のうちにわが身としてわが振る舞いを支えている。野口はそれに気づいたと言うことか。人も羨む才能を持ち宇宙飛行士として人類未到の世界を体験していながら、何をグジグジと悩んでいるんだと、人は思うかも知れない。だが、灯台もと暗し、自分の無意識には気づかないものだ。
 それに気づいたとき、(1)が浮かび上がってくる。
 宇宙飛行士としてのめざましいミッションも、あれこれ思い合わせてみれば皆、他人様の様々なご苦労の総集である。野口宇宙飛行士のミッションは、何から何まですべてそれらの成り行きによって初段階で吟味されて定められたもの。どこに自分の意思が介在されているかと考えてみれば、な~にもない。なんだワタシは空っぽじゃないか。たぶん野口宇宙飛行士は、まず、そう気づいたのだ。
 ワタシって何? 《『自分はどういう人間なのか』というアイデンティティを築いたり》と野口は言うが、50代半ばを過ぎる今から改めて「築く」ことではない。すでにワタシの無意識に堆積している。「気づく」こと、それを発見すること、つまり「青い鳥」と同じことなのだ。
《他者と自分を比べて一喜一憂したり、他者から与えられた目標ばかりを追いかけたりしているうち》というのは、青い鳥を求めて彷徨っている姿を象徴する。だがそれは「空っぽのワタシ」にすれば、何の不思議もないこと。自らを「空っぽ」とみることがなければ《人は本当の意味で幸せにはなれない》と野口がいうのであれば、私はそうそう、そうだよと全面的に野口に賛同する。
 だが野口はまだ、その地点に到達していない。それを示すのが(2)の述懐だ。《自分一人でアイデンティティを築き、どう生きるかの方向性や目標、果たすべきミッションを自分で決めなければならない》と、気張っている。いや、気張って悪いわけではない。「築き」「自分で決めなければならない」という自律の志が、彼の内発的なエネルギーとなって次のステップへ向かわせている。
 だが「築き」「自分で決めなければならない」ということではない。「宇宙よりも遠い、自分の心の中への旅を通してわかったこと」と彼自身が述懐するように、すでに彼の身の裡に備わっている。ワタシの無意識を「気づき」「発見」し、認識すること。これに尽きる。つまり彼は、まだ「自分の心の中への旅」の途上にあると、私は読み取った。
 そう思うから、もう古希を超えているOさんが、58歳の野口聡一と違う人生観をもつことは言うまでもない。だが、「置かれた場で生きてきた」Oさんがそこを離れたら自らの生きる足場も失ったように感じるのを、どう受け止めて考えたらいいのか、八十路のワタシもわからない。Oさんが、野口宇宙飛行士の述懐を踏まえて、さらにどうそれを説明してくれるか、私は期待をもって待っている。