mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

立憲主義無視が習い性になっているワケ

2016-07-11 14:13:46 | 日記
 
 国連の「敵国条項」について、昨日記した。アメリカに追随するへなちょこ政府と、日本政府のことを見限るような書き方をした。だが「へなちょこ政府」というと、まだ愛着のあるものを上から目線で表現したもの。それほど距離をおいてみるほど他人事とは思えない。どうして日本政府は国民に二枚舌を使うのであろうか。
 
 そんなことを思うともなく考えていた去年の6月、憲法調査会で集団的自衛権は合憲か違憲かが論点になったことがあった。そのとき、政府側委員の長谷部恭男・早稲田大教授が「違憲である」と証言して、論議が沸騰した。菅官房長官は「合憲とする憲法学者もたくさんいる」と居直り、追求されて「数の問題ではない」と訂正する一幕もあったが、そのとき合憲論者がもちだしたのが、「砂川判決」であった。
 
 そうかそういえば、「砂川裁判」の「伊達判決」が出て、大騒ぎしていたなあ。それとそれをひっくり返した最高裁判決があって世の中が騒がしかったなあと、高校生の頃を思い出した。「砂川判決」の子細をみようとネットで「検索」してみると、なんと、当時の最高裁の田中耕太郎長官が、「伊達判決」の後に、アメリカ大使などと頻繁に接触して、判決前に判決文を示して了解を得ていたことの方が、大きくライン・アップされている。いちばん古いのは、2008年の記事。アメリカの公開された公文書に、最高裁長官との接触のいきさつが残されていたという特ダネ・ニュース。つまり政府が根拠にしている「砂川裁判最高裁判決」すら、違法性が高いと指摘されている。
 
 これを記した本を探したら、吉田敏浩他『検証・法治国家崩壊――砂川裁判と日米秘密交渉』(創元社、2014年)に出会った。この本の共著者・新原昭治さんがアメリカ国立公文書館で1通の(秘密指定解除された)「極秘公電」を見つけたことからはじまっている。アメリカの駐日大使からダレス国務長官に宛てたもの。伊達判決の翌日の日付。
 
 藤山外務大臣と会談し、伊達判決に憂慮を示し、跳躍上告など、早急に手を打つべきだと話し、藤山は今日の閣議に諮ると約束したという内容。その後、田中耕太郎最高裁判所長官とも会談を重ね、12月16日の判決の翌日、やはり駐日大使が国務長官に「田中耕太郎の手腕と政治的資質」を激賞する「公電」まで追いかけている。実際の事態の進展は、ほぼ駐日アメリカ大使の要請通りに運んだことが写真付きの「公電(写し)」で明かされる。
 
 これでは、「裁判の独立性」、「憲法の番人」という最高裁の立場すらも危ういじゃないか。とりあえず、そちらに踏み込まないで、どうして(何を根拠に)最高裁の長官がこのような振る舞いをしたのか。それを探がしてみると、意外なことがわかってきた。「砂川裁判・最高裁判決」は「日米安保条約のような高度な政治的問題については、憲法判断をしない」という。「統治行為論」と呼んで、日本の大学の法学部では「定説」のように教えられているそうだ。「砂川裁判・最高裁判決」はこれをうらづけるものになった。以後、「最高裁判決」は行政(厳密に限定すれば、法務省法制局)の見解を超えない枠組みができる。国会議員が「頭がいいだけで裁判官になったものに、国民の選良である我々が作った法律の適否を判断してもらっては困る」と居直るのも、こうした「慣習」が定着したことを示している。
 
 とは言え、政治家も、最高検察庁も、最高裁判所も、なぜ、アメリカの駐日大使(=国務省)の「指導」を受けなければならないのか。これではまるで日本は、アメリカの信託統治のようではないか。その「法的根拠」を矢部宏治『日本なぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社、2014年)が解き明かしている。
 
 簡略にまとめれば、上述の「砂川裁判・最高裁判決」以降、アメリカとの条約が憲法を含む日本の国内法よりも優越することが確定した、と。だから「官僚たちが忠誠を誓っていたのは、「安保法制」だった」と述べている。これでは、安倍首相が内閣法制局長官の首をすげ換えて「憲法解釈」を軽々と変え、「集団的自衛権」を「合憲」としてしまうのも、不思議ではない。彼らにとって「憲法」そのものが、その程度のものだし、法を超越する(アメリカの)御意向を伺うのも、アメリカがそのように操縦しているからという「陰謀論」ではなく、日本の優秀なシンクタンク官僚の習い性になっているとみた方が、良さそうだ。では、10条からなる「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」にそのようなことが書き込まれているのかというと、そうではない。第4条に「安全保障協議委員会[5]の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される」とあり、第6条に「在日米軍の細目については日米地位協定に定められる」とあるだけである。
 
 つまり、1952年発効の安保に付属する「日米行政協定」、1960年に改訂された安保条約付属の「日米地位協定」と、毎月2回行われている「日米合同委員会」の合意文書。それらの諸文書が明確な「法的規制力」をもって作用している。この会議には、外務省の北米局長をはじめ、いろんな省庁のエリート官僚と在日米軍のトップとが顔を合わせているそうだ。
 
 この著者・矢部宏治は、孫崎享の『戦後史の正体――1945~2012』を担当した編集者。孫崎亨は元外務省国際情報局長。退官後に、上記の書を上梓した。「2013/1/12」のこのブログに、私は次のように記している。
 
《……孫崎氏は、戦後日本の占領からはじまり現在に至るまで、日米関係は「追随派」と「自立派」との相克の歴史であり、つねに米国の対日政策は追随派のみを許容し自立派を許さない歩みであったと、あたかも陰謀史観を例証するように物語っている。それが単なる陰謀史観といって片づけられないのは、孫崎氏が国際情報局長として担当してきた日米関係の具体的な裏事情から説き起こしているからである。》
 
 矢部宏治の前掲書は、孫崎の本の編集をしたのちに、さらにもう一歩踏み込んで、なぜ「陰謀史観」的なイメージが湧いてくるのかを探索した成果である。
 
 ここで二つの疑問がわく。
(1)ひとつ、日本の対米追随路線は、どのように常態化したのか。日本に独立志向の動きはあったろうに、それはどのように消えてしまったのか。
(2)もう一つは、安倍政権の「自主憲法」と「集団的自衛権」路線は、対米自立と対米追随という矛盾する志向性をはらんでいるが、それはアメリカの意と矛盾しないのか。逆に、自主憲法制定を主張する人たちは、対米追随を唯々諾々と受け容れているのか。
 
 そんなことを考えていると、アメリカ大統領選の共和党トランプ候補が面白いことを言っている。「アメリカは日本を守らない。日本は核武装でも何でも、自前でやれ」とか「すべての駐留米軍の費用を日本は負担せよ」と。こういう主張が、(日本にとっては)好機到来に思えたりする。そうだよ、トランプさんに呼応して、日本は米軍基地を全部撤廃して、代わりに自衛隊を配備して自主防衛の路線に切り替えた方がいいよと、思う。
 
 もちろんどこかの週刊誌が計算していたが、米軍抜きで自主防衛をすると年間予算が24兆円かかるそうだ。その負担に耐えかねるなら、中国や韓国、北朝鮮ともっと穏やかな関係が結べるように、外交路線を修正しなくちゃなるまい。そのときはじめて、憲法の前文にあるようなことも、本気で求めなくてはならないのではないかと思う。
 
《日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。》
 
 こうして読んでみると、結構誇らしい響きを持っている。そう、これこそ、私たち、戦中生まれ戦後育ちの培った「戦後民主主義と平和主義の精神」だと思えてくるのである。