mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

晴れ晴れと、夏。ちっとは、頑張らにゃ

2016-07-01 16:13:48 | 日記
 
 7月1日、良く晴れている。朝から市の年に一度の健診。昨日の夕食から何も口にしていない。9時に病院に入り、一般客の合間を縫って、検査を受け、診察を受け、経鼻胃カメラを呑んでチェックをしてもらう。40歳代の医師が「おいくつですか」と聞く。歳をいうと、「年の割には胃が丈夫ですねえ」と一言。エコー検査も、つまり肝臓や腎臓もモンダイなし。2時間で終わる。あとは三週間後の検査結果を待つだけ。いよいよ、夏。
 
 昨日から読んでいた一冊を読み終わる。吉本ばなな『ふなふな船橋』(朝日新聞出版、2015年)。こんなふざけたタイトルの本を手に取ることなどないのだが、この著者がこんなタイトルの本を書くなんてと思って、図書館に予約した。ふざけた内容ではもちろんない。親の人生の余波を受けて苦しむ子どもを取り出して、親と別のところに自分の居場所を見つけ出し、場所とともに落ち着いて心を交わせる人とのつながりを大切にして生きる人の話。この著者の他者に対する心根の優しさが、人との関係をやわらかく、ふくよかに、静謐さを湛えてかたちづくられていくことに、生きるってこういうことだと思わせられる。と同時に、切ない。今の時代の忙しなく、他人と競い、争い、比べては優劣を判定したり評価したりする生き方とは、まるで違う世界が描きとられている。ほっとすると同時に、我が失いしものを、静かに見つめ直す機会になる。
 
 今月下旬のSeminarで私が講師を務める。お題は「私たちの戦後71年」。今日、会員の人たちに「ご案内」を送った。お題の解説を以下のように書いた。
 
《いま政府与党から最大の攻撃目標になっているのは「日本国憲法」です。日本国民が個人主義に走るのは、憲法の規定する人権規定があるからだ。日本が国際社会の平和維持に十分貢献できないのは、憲法第九条があるからだ。つまり憲法が、日本国民をわがままに、そして軟弱にし、政府の考える政治活動を制約している、と。
 戦中生まれ、戦後育ちの私たちは、考えてみると日本国憲法の洗礼を受けて生い育った世代です。ということは、自分勝手であり、軟弱であると名指されている日本国民とは、私たちのことにほかなりません。憲法は施行されて69年、私たちは73、4歳。考えてみると、憲法とともに生きてきました。では、私たちの戦後71年とはどういうことだったのでしょうか。人権尊重や平和主義、民主主義は、どのように私たちの身に刻まれ、時代とともにどう変わって来たでしょうか。そうしてそれは、いま政府与党がいうように、憲法のせいなのか。それともそれとは別の理由による時代的変化なのか。71年を振り返って、私たち自身の裡側を腑分けしてみようと考えています。》
 
 こういうテーマを設けて、約3週間かけて、メモをつくり、2時間の講師を務める。私が「問題提起をし、参加しているほかの人たちがそれに絡めて突っ込みを入れたり、陳述をするのが愉しみ。それには、「問題提起」を鮮明にし、それをとらえる角度をしっかりと据えなければならない。そこでまた私が、私自身の輪郭を、広げたり深めたりすることになる。ふだんずぼらに、つれづれなるままに読み散らかし、考え散らかしていることを、こうやってテーマを据えてまとめる機会を持てるのは、この上ない幸せ。ボケ防止にいいと口さがない高齢者参加者はいうが、そこにまた「我が失いしもの」の航跡をたどりながら静かに見つめる機会がある。ちっとは、頑張らにゃ。