mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

へなちょこでごめん――空洞化する「誇らしさ」

2016-07-18 17:05:39 | 日記
 
 今週末に第21回のSeminarがある。今回は私が担当。テーマは「私たちの戦後71年」。その準備の仕上げに取り掛かっている。暑くて外出を控えた方がよいというので、このところ図書館へ資料を探しに行く以外は、引きこもり状態である。
 
 簡略に言えば、太平洋戦争がはじまってから生まれた私たちの世代は、乳幼児期に「戦争体験」をしている。だがもう少し厳密に言えば、戦争を日常として過ごしていて、気付かないうちに身体に記憶しているともいえる。手を弾き、背負って、空襲の中を逃げ惑ったときの親との一体感、防空壕の中での体感であろうか、夜中に天井が崩れ落ちてくる恐怖の悪夢を小学校の6年生くらいまでみていた。
 
 ものごころつき始めて、昭和24年に小学校に入学している。そうして、あとから振り返れば、文部省の「新しい憲法の話」などを耳にしながら育った。いうならば、「新憲法の第一世代」ともいえる。この憲法を「押しつけ憲法」と悪態をつく人がいるが、私たちにとっては、GHQがあろうとなかろうと、すべてが「押しつけ」である。しかしそれを、「押し付け」と言われると、いやな気分になる。つまり、我がからだが一体感を覚えていた「環境」全体(アイデンティティ)を否定されたように感じるからだ。
 
 知り合いの新聞記者が北朝鮮を訪ねた時のちに、「(北朝鮮の人たちは)洗脳されている」と話していたことがあった。私は「いやだな、洗脳って言い方は」とすぐに違和感を表明した。「どうして?」というのに、うまく答えられなかったが、いまなら、上記のアイデンティティを全否定されるような気分と、応えることが出来る。
 
 「洗脳」という言い方をすれば、私たちも子どものころは「洗脳されて」育ったのではないか。それが、ものごころついて、「自分」というものが感じられたころに、世界と自分とが分離しはじめて、「洗脳されていた」自分と出逢う。つまり、「洗脳される」というのは、(自分が意思的に選択した)自分の好みの考え方ではないということを言っているだけに思えたのだ。北朝鮮の人たちにすれば、「情況」に適応して懸命に生きている。その口にする言葉も、「情況」を汲みとって我が身の保安に配慮しているのかもしれない。その心裡の(当人にははっきりそれととらえきれない)「もやもや」に思いを及ぼせば、ロボットを操作するように「洗脳」と言ってほしくないだろうと、思う。逆に言うと、私たち日本の社会では、それほどに自分の思うがままに「自分の意思」をかたちづくっているだろうか。新聞やTVというマスメディアに、あるいは「論壇」の雑誌や「専門家」たちの言説に(自ら選んで)組み取られ、どこか腑に落ちないで「もやもや」していることはないだろうか。
 
 だが戦後教育の中で「刷り込まれた」新憲法の精神は、案外、自己形成がはじまってからも「誇らしさ」をもっていたように感じる。ひとつは、「戦争責任」を大人たちはそのように表明していると受け止めた。つまり、「戦争はもう御免だ」と。ふたつは、私たちの「自我の目覚め」という親(の価値軸)からの自律というとき、「戦争を起こし/戦争に敗北した」大人たちの(古い価値観)とは違う生き方の引き受け軸として、新憲法の「基本的人権、民主主義、平和主義」は遜色がなかった。だから私たちは、「新憲法の第一世代」と誇らしく口にできる。
 
  その「新憲法世代」を経済主義に突っ走って防衛のことを忘れていると、叱る人たちが出てきた。山本七平ではない。日本人は空気と安全をただのように思っていると非難したイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」が出たとき、私は和辻哲郎の「風土論」を想いうかべていた。1970年ころのこと。もう半世紀近くも前の話になる。おそらく今の「平和ボケ」と言われる「気質」が、高度経済成長の波に乗って全開であったころであろう。ほんの少し前の中国人のような「勢い」だったろう。「それがワルイか」と居直りたい気分もあった。なにしろ、経済一本槍の路線くらい「平和主義」を体現するアクションはない。ベトナム戦争を見ろ。あれがいいのかとさえ、口にしたかもしれない。
 
 だがすでに、世の中は、「安全」を考えなければならない時節になっていたのだね。だって、そのときいまだ、沖縄はアメリカに占領されていたし、日米安保条約で軍事面はアメリカの属国のように振る舞っていたのだから。長く外務省の情報分析官を務めた孫崎享は、従米派と自立派がせめぎ合ってきたとリタイア後の著書に記している。田中角栄は自立を試みようとして、アメリカに刺されたとロッキード事件のことを記してもいる。
 
 居直りついでにいうわけではないが、私はこと「防衛」ということに関しては「へなちょこ」である。何しろ、人を殺すことが出来ない。怖い。刃物を持たされさあ突いてみろといわれても、自分の腹に突き立てるような感じが先だって、動きが止まる。それくらい非暴力的に「洗脳」されてしまっている。「ボケ」なんてものではない。でも、人を殺すくらいなら、自分が殺された方がよいと「覚悟」もしている。たぶんその「覚悟」が、私の身体が覚えてきた「戦争責任」であった。そしてそれを、イザヤ・ベンダさんにいかに謗られようとも、誇らしく感じている自分を意識する。
 
 たぶん私のこどもたちも、同じような感性を身につけていると思う。自分の「安全」を守るために脅かすものを殺すこともあるというのは、頭では理解できるが、身体がそのような振る舞いを拒んでいる。ヘイトスピーチもまた同様に、我が身にそぐわない。へなちょこだが、何が悪いと居直るしかない。もし何か攻撃を受けたら、逃げるしかない。逃げきれなければ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、と端然と腹を据えよう。
 
 世界は騒がしい。一国平和主義で通そうなんて甘いというのは、よく理解できる。あとは万一の時に、もっと知らない自分が噴き出して暴発しないことを祈るしかない。孫や子には、へなちょこでごめんね、と詫びる。そんなことを考えるともなく思っている。