mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

無知の知の後

2016-07-03 09:31:26 | 日記
 
 酒井啓子『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』(みすず書房。2015年)を読んでいる。世の中に知らないこと、思い込んでしまって指摘されるまでわからないことってこんなにあるのかという驚きに満ちて、読みすすめている。著者は50歳代半ばの中東研究者。いや、その「中東」ということばの持つ規定性というか、つくりあげてしまって(私が思い込んで)いる枠組みの(傾きの)つよさにも、あらためて気付かされる。
 
 本書は表題の2012-2015の間に著者が発表してきたエッセイなどを収録したもの。そのときどきの出来事に即して、積み重ねてきた考察と所見が記されて、異彩を放っている。2012年といえば、「アラブの春」と称された「革命」がエジプトやリビア、チュニジアなどアラブ諸国に広がり、情報化(IT)による民主化運動と盛んに報道された年だ。なんとなくソ連が崩壊する最初の段階に立ち会っているような気分で、私などは報道に接していたものだ。それがどういうわけか(進行する事態のモメントが???のまま)軍事政権が政権を掌握したり、国内混乱に陥ったり、ボコハラムとかIS国などという無頼派が出現したりして、???を増殖させてきた。私の胸中の???は、じつは最初の「アラブ諸国」のとらえ方自体が、近代西欧的国民国家の枠組みであったことに起因していると、酒井啓子に指摘されている。
 
 ある地域の「くに」を理解するということを私は、ごく自然に近代西欧的国民国家の概念で行っている。現代の国際政治のモメントが欧米中心主義的に動いていることに従ってそうしてきたのだと、今にして思う。ところがアラブ諸国の人々が、日々の暮らしを積み重ねて歴史的に蓄積してきた「くに」のとらえ方は、遊牧的な、商業的な、「かかわり」方。当然国境という概念も、部族とか宗派という観念も、帰属するものとして「問われれば」応えるものとして持っているだろうが、自らそうだと考えているかどうかは、わからない。と同時にいつの時代にも、支配するものはいたわけで、その支配するものの抑圧をより軽くし、自らの暮らしをより上手に営めるように、「保護的集団」に所属する体裁をとって、身過ぎ世過ぎを取り計らってきた。その点では、アラブならずとも私たちも同じだ。だから、スンニ派とシーア派の対立というと、すぐに私たちは宗教宗派的な対立として構図を描き、イランはシーア派、それに対してイラクはフセイン政権がスンニ派であったが今はシーア派が政権の主流を担っているから対立関係は和らいだなどと簡単に理解したつもりになっている。だが、そもそもフセイン自身がその宗派的な対立を越えた絶対者として独裁を行っていた。彼ら政治家が、自らの政権を保持するために利用できるものはすべて利用するというセンスからすると、イランと対立したからスンニ派をかついでアラブ諸国のスンニ派の支援をあてこんで、切り回しをしていた。その結果スンニ派を優遇しシーア派を差別するとなると、イラクに暮らす人々はスンニ派であることを意識して表に出し、シーア派であることを懐に隠して出歩くようになる。そういうことを宗派対立というだろうかと、若いころフセイン政権時代のイラクで3年間を研究者として過ごした酒井は疑問を投げかけている。しかもそれを、ただイラクに暮らした「感懐」として記すのではない。フセイン政権の懐に潜り込んで地道な「資料」を駆使して膨大な著書を成したイラク人研究者の業績を掘り出して評価する。その慧眼、その視線の鋭さは、さすがに怒涛の地域の日々の暮らしの奥底にとどく深さをもっている。そのような目で、私は自身の暮らしを見ただろうかと(いや、じつは見ても見えないとは思うが)、我が胸に手を当てる。
 
 たとえばシリアのことを研究していた一人の若い外国人研究者が「こんな土地のことを外国人が研究して、(何かを解明したとして)何になるのさ」と問われて思い悩む。それを我がこととして引き受けて酒井は自問自答する。そうして、その国の人(の日常)だからこそ見えないことがあり、外国人だからこそ「発見」することがある。そこには、イラクを研究してわかることとは、じつは日本のことであり、イラクを「発見」することは同時に日本を(あるいは自らを)「発見」することと識るに至る。その姿勢の清々しさは、「識る」ことの奥深さと広大さを感じさせる。
 
 ひとつ私の無知を思い知らせる記述をあげてみる。イスラエルに関することだ。
 
(1)ユダヤ人の国家をつくろうとする「運動」の源泉は、ヨーロッパにおける(ナチス登場以前からの)ユダヤ教・ユダヤ人排斥の結果であり、いわばそれ自体が、ナチス同様ヨーロッパにおける自民族浄化運動の陰影であった。
(2)第一次大戦の秘密協定の結果行われることになったイスラエルの「建国」は、じつはアフリカのどこかにしようと検討されていた。
(3)シオニズムによって故郷とされたパレスティナのイスラエルは(二十世紀に入って)、神話に基づいて作りだされた「くに」であり、ユダヤ人のあいだにも(固定的な国をつくることに)厳しく反対する人たちがいる。
 
 イギリスやフランスのトルコの解体とアラブ植民地化のもたらした「イスラエル国家」という幻想が、バビロンの捕囚以来の2600年に及ぶユダヤ人の夢の実現、と単純にとらえていた私の概念は、簡単に覆った。と同時に、ユダヤ人のあいだにある、国をもたないにもかかわらず、ユダヤ教という「信仰」によって心の結びつきを保つ「紐帯(信仰)の共同体」という観念が崩れていくことへの懸念、という考え方にも強く心を打たれた。民族の栄枯盛衰を繰り返すばかりか、この先それすらも見通せない時代を迎えて、イスラム教の登場がもたらした強烈なインパクトを感じる。と同時に、アラブの民は、もっとずうっと昔から、そうした試練に向かい、そのような観念をかたちづくって、自分たちの暮らしを守り受け継いできているのだ。我が日本の、島国として孤立してきたことの、幸運をあらためて肝に銘じる。
 
 酒井啓子の研究は、人々の暮らしの中にかたちづくられ、継承されていく原基となるようなことと、外からの力の支配によって適応しようとして身に装う「民俗」や観念、概念との腑分けを丁寧に行って、社会構造や政治支配のメカニズムを解明することに向かう。ここで「解明する」とは、現実過程を批判的にみてとることである。批判的というのは、そこに貫く世界を支配する暴力性をいかにして排斥する「根拠」を「発見」するかだと、感じた。
 
 その一つ一つが、日本の社会や政治の構造の批判でもある。それはまっすぐに私の心裡をターゲットにしていると思われた。知らなかったことに感嘆して、立ち位置を再構築するのは無知の知。そのあとに何をどう考えるのか、どうするのか、そこが問われている。