mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

〈帝国〉以後の帝国主義

2016-07-21 16:43:00 | 日記
 
 明後日のSeminarのテーマ、「私たちの戦後71年」の最後の部分で、加藤典洋の「憲法九条改正構想」を説明してまとめようと思ってはいたのだが、それがまるで荒唐無稽な夢物語のように聞こえてしまうから、困っている。
 
 加藤典洋はかつて『敗戦後論』を書いて、第二次大戦後の「ねじれ」を克服して、戦後世界ときちんと向き合う視点を提出した。「ねじれ」というのは、「敗戦」によって戦死者の死が無駄死にになったことを悼むことによって、「戦後」の新しい出発点の礎とすることからはじめようということであった。さらに昨年、『戦後小史』を出して、あらためて「憲法九条」の改正構想を提示して見せた。
 
 簡略に言えば、自衛隊の2/3を国境防衛と災害救助のために使い、1/3を国連軍として国際的な平和維持活動にあてる。そして、自衛隊は国内の治安維持活動には使わないという条件を付けている。柄谷行人もそういう国際的な平和維持活動への参画を提案していたこともある。それを荒唐無稽と片づけるつもりはないのだが、現実的な提起かというと、今の国際情勢を見る限りでは、夢物語に思えてしまう。
 
 ちょうど1991年のソビエトの崩壊以降、アメリカの一極支配を、フランスとアメリカの哲学者、ネグリとハートが〈帝国〉と呼んで、ローマ帝国の支配に擬えて新しい世界秩序と規定したことがあった。つまり、パックス・ロマーナにかわるパックス・アメリカーナというわけである。そのときすでに、ソビエトが陣営として抑えてもいた勢力の上蓋が取れて、反乱活動の無秩序化の兆しが見られてはいたのだが、2001年の9・11以降、はっきりと国民国家の枠組みを超えたテロの時代に突入してしまった。アメリカーナというパックスの実力が損なわれ、米欧の国民国家勢力軍団が力を合わせても到底抑えきれないほど、世界的なレベルへのテロのまん延が見られる。国連の力は損なわれた。損なわれたというのは、「理念」(の力)が蒸発してしまったことである。せいぜい利害の調整機関という機能を辛うじて務めているにすぎない。理念的には、安保理すらももはや何の合意形成をなし得ないほど、5大国の拒否権は剥き出しの利害の体現権となりはてている。
 
 こんな様相を呈する世界情勢の中で、「国連軍」に自衛隊という軍事力を預けるということは、その指揮権が国連事務総長に預託される話の段階から、もはや夢想に近くなる。ネグリとハートが〈帝国〉と規定した一極支配どころか、「パックス」という理念すら消え失せて、2大国による太平洋分割支配が(臆面もなく)提案されるほど、「帝国主義」的になってきている。折角、第一次大戦後の世界戦争において「理念」が前面に押し出され、ファシズムや軍国主義という剥き出しの帝国主義的暴力を排除することに足並みがそろった。第二次世界大戦の連合国軍の勝利は、そういう意味では、冷戦という二大国の新しい争闘を生み出しはしたが、両陣営が「核」をもったことによって(不可避的に)を結んで究極的な対立に至らないような「恐怖の均衡」へ歩を進めることになった。そこでは、人類の死滅を避けるという「理念」が作動していたといえる。
 
 それが消えた。核の占有も、大国の国益と利害の反映として作用するばかりになっている。国連の「敵国条項」も「死文化している」と外務省は説明するが、それは「同盟国」のあいだにおいて同意されているにすぎない。もし中国が日本の「軍国主義の復活」を認定しておくようなことになれば、すぐさま国連憲章の53条を適用して「制裁戦争」を(日本に対して)しかける根拠となる。
 
 経済活動のグローバル化は、たしかに平和主義の一つのチャンネルである。相互に依存しあっているからこそ、手を振り上げて殴り合うことが出来ない。それはそうだが、同時に、一つの政府の正統性/正当性を、対立国への反発を煽ることによって確保しようとすることも、国際関係を見ていれば、常に目にする情景でもある。「恐怖の均衡」の仲間入りをしたいと手をあげている国家もある。
 
 そこでとうとうアメリカの大統領候補に名乗りを上げたトランプさんは、歯に衣着せぬ物言いで、はっきりとパクス・アメリカーナから手を引くと闡明している。米国内のもろもろの意見を統合する必要があるから、その言葉通りに事が運ぶと心配しなくてもいいであろうが、日米地位協定の改定ですらほとんど手を付けられない日本の官僚の追随感覚では、アメリカの国益主張の論法に立ち向かえるかどうか、大いに疑問である。むしろ、日本の国益主張が全面に出てきて、アジアにおける緊張が高まることを、私は懸念する。
 
 私は、日本がささやかに、(かつての大帝国であった)ポルトガルのようにひっそりと、アジアの片隅で、そこそこの一国平和でも築いていられてば、十分良しとするくらいの腹積もりである。だが、それすらも許されない混沌に、これから遭遇するのであろうか。