mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

こんなこと考えていたんだ――4年ほど前のこと

2016-07-17 06:22:26 | 日記
 
 古いパソコンに「windows10に切り替えますか」と問い合わせが来た。いま使っているのは切り替え済みだが、古いデスクトップはwindows7。こちらの方が、地理院地図をプリントアウトするのには、都合がよい。windows10は、印刷に持ち込むときに余計な表示がくっついて離れない。たぶん私が、操作の仕方を知らないから、こうなってしまうのだとは思うが、ではどうしたらいいか、誰にも聞けない。そういうわけで、ときどきデスクトップをつかっている。と、そのPCに古い記述が残っていた。それを読んでいると、へえ、こんなことを考えていたんだと、つい4年ほど前のことなのに、別の自分に出逢ったような気がした。物忘れが早いっていうのは、そういう驚きを何度でも味わえるっていうことでもあるんだね。ちょっと長いが、お読みになるみなさまも、すっかり忘れていなさることだと思うので、再掲する。私が、入院している老母に会うために、田舎に帰っているときのことだ。
 
*****2012/11/28
 
 新橋のKさんに言われていたSさんと会う。自転車をタマヤにおいて、車で喫茶店に行く。田井の海岸沿いにあるおしゃれな「海カフェ」。海が眼前に広がり、島々がそれを割る。彼女は見晴らしのいいお店を案内してくれていたのだ。一番遠くにかすむように台地状の山が見え、それが西へ向けて海へ切れ落ちている。「あれ、屋島が見えるのか」と思う。高松にいた時、屋島はランドマークであったから、懐かしい。こちらから屋島を見るのは、はじめて。
 
 Sさんの話は面白かった。当初Kさんに「玉野に帰ったら、Sさんに連絡を取って」と言われて電話番号を聞いていたが、私がこちらに帰る直前に衆議院が解散になった。となると、彼女の亭主は忙しくなるに違いない。何しろ、亡くなった元首相の選挙参謀のようなことをしているらしいと聞いていたからだ。元首相亡き後息子が議員を務め、2009年の総選挙で落選している。どうこういっても応援をしなければなるまい。亭主のこととはいえ、面倒見の良いSさんのことだ。気分だけでも忙しいに違いないと思ったから、今回は会わないとKさんに話をしたら、すぐにSさんに電話をしたらしく、時間をつくることにしたらしいのだ。今回の多党化の中、[たちあがれ日本]が[維新]と合流し、元自民党の古だぬきが[維新]から立候補している。それに加えて、民主党の若手もパッとしない。などなど、地元筋を通しての右往左往が、「古い体質そのまんまに繰り返されている」と手厳しい。「日本も一度、本当にダメにならないといけないのかな」とこぼす。
 
 カフェに入ってからの肝心の話が面白かったのだが、それはまた改めて記す。2時間も話し込み、自転車のところまで送ってもらって、今度は標高差50mを、自転車で登って実家まで戻った。てきぱきと夕食にし風呂に入り、少し本を読んで横になったのは9時。今朝の5時過ぎまで熟睡した。
 
*****2012/11/29
 
 今日は曇り空。予報では、午後50%の降水確率という。雨具を用意しておかねばなるまい。
 
 朝食を済ませて、パソコンに向かっていたら、Sさんから電話が来た。今日の予定は? というから、母親のところに行くおおよその時刻をいうと、午後に会おう、もう少し話をしたいという。「朋あり遠方より来る、接待せざるべからず」と。こういうところが、Sさんのホスピタリティの真骨頂なのだ。
 
 午前と午後の2回、母親のところに行く。昨日までと同じように、上半身を起こしている。やはり背中をさする。看護師さんが来て、「ええなあ」と言うと、「ありがとうございます」と応対する。「誰が来られとん?」ときくと、返答がない。と思ったら、ふた呼吸も遅れて、看護師さんが隣のベッドのほうへ行っている時に、「子どもです。」と応答が出た。へえ、わかってるじゃん、と思う。それぞれ30分も、背中をさすったり軽くたたいたりして過ごす。ご機嫌である。首筋なども軽くもみながら、ひょっとすると、こういうのが脳の活性化につながるかもね、と期待したりする。
 
 Sさんと話したことに触れよう。
 
 彼女は高校の同期生である。でも私は、全く知らなかった。9月に同期の小さな(40人くらいの)会が開かれ、その幹事役を彼女が仕切ったことから知るところとなった。ご亭主が自民党の地元選挙参謀のような仕事をしていたことから、ご自分の仕事をしながらそちらにもかかわり、ずいぶんと広い人脈を持っているようだ。同期会の時には、てきぱきと実務処理をし他人の手配を調え会計処理を行い、そのドライな運びが、あまり社会経験のない方からいくぶん不評を買ったりしていたが、私からすると、男勝りの実務能力をもっている、竹を割ったような気性とみた。話してみると、政治関係の粘つくような裏側についても、ズバッと切り裂いて、自分の見解をもつ。人の性格の見て取り方と見切り方、つまり人物評価がからりと明快なのは、政治関係を見てきたからかと思う。
 
  でも話は、互いに見知った同期生の現在からさかのぼった、かつての消息にはじまる。
 
 彼女は9月の同期会をやって感動を覚えたという。[青春が再来するような感動]というのだ。[今と違って、控えめでおとなしい、目立たない私]だったことや、[付き合いの申し込みをしてくれた人が3人もいた]ことなどが、50数年前の自分を思い起こさせ、そのときの自分の心の動きが現在の自分を照らし出すかのように湧き起ってきたのであろう。それは、[ああいう人になりたいと他人に羨まれるような生き方をしたかった]という「悔恨」も含まれているかもしれない。つまり現在に至る過程の局面ごとに、なにがしかの決断をしながら人は生きている。そのときどきの(自分に対する)断念にこめられた「可能性に対する見切り」に、まだ十分な余白があったことが、今ならば見える。その、ありえたかもしれない「輝いた人生」を瞬時に夢想することを[青春の再来]と呼んだのであろうか。
 
 その、ときどきの決断は、しかし単純に自己の意思決定だけを意味しない。時と所を含めた偶然性にも左右されて、いわば自分と自分を取り巻く[環境・状況]のしからしむるところだと私は思う。だから私にとって(同期会)は、[青春の再来]というよりも[私の原点を見る思い]が強い。むろん[悔恨]はない。その時々の「優柔」も「不断」も、それに伴う逆方向への「やむを得ざる/いい加減な決断」も、総体としての[気分]も、その時点の[自分]を指し示しており、それは私一個に凝縮されたかたちの[状況]だったにほかならないからである。この[状況]こそ、同期の私たちが共有してきた[空気]であり、言葉にならずとも同調波が伝わる体感をもっている。しかしそれを言葉にしておきたい。それが「古稀の構造色」という試みだと、我田引水的に思う。
 
 しかしこの[状況]と[個々の決断]の間の、いくぶんパラドキシカルなことの運びの中には、[偶然性]と[運命論的な予定]とが入り込んでいるように見える。その点こそが、たぶん西欧と日本との、もっと厳密にいえば、キリスト教と仏教との分水嶺なのではないかと、あとで思った。この子細については、別の機会に記す。
 
 [青春の再来するような感動]とはまた、わがままな遺伝子がDNAを残そうとして触発する内的衝動である。もはや遺伝子の企みもかなわぬのだが、古稀という年になってはじめて、こうしたことをわだかまりなく男と女が語り合うこともできる。それは、自らの内面を対象化してみる視点を手に入れていることを意味する。と同時に、日常的に出会っているわけではないことが、内的衝動のもつ臭みを取ってくれているのだ。あたかも小説の登場人物を批評するように、わがことを淡々と口にする。そうできる自分に驚き、いまだ、それのできないキャリアを積んだ友人の言動をも、その裏側に張り付いているであろう、この年までの径庭に思いをいたして組み込もうとする。寛容とは、その地点に到達することであると、はたと気づく。
 
 もうひとつ、[いい加減さ]についてSさんが話してくれたことを記しておきたい。やはり同期のTくんのことを、まるで弟を見るような目で語る。彼の才能と人柄の穏やかさとを惜しむ気持ちがこもるのだが、彼自身の[いい加減さ]が才能の開花を妨げ、他人との関係の「ゆるやかさ」をもたらすと同時に、「信頼しきれない」欠点をもたらしている、というのだ。と言いながら彼女は、別のときに、自身がいい加減に生きてきた時期があったことを述懐しながら「これからはいい加減に生きていけばいい」と相反するようなことを言う。
 
 いつだったかHくんが[サボロー会]と命名したセンスを、ほどほど、いい加減に自らを侍していく、私と共通の感覚と書いたことがあった。気が付くと、Sさんの口から語られるTくんも、Sさん自身も、また今回私にSさんと会うことを計らったKさんも、[いい加減さ]をもっているということになる。それに対して現代のふるまい方の、ちまちまと許容量の少ない、デジタル的な厳格さは息苦しささえ覚える、とSさんも言う。考えてみると、Tくんは用品店の息子、Sさんの父親は衣服製作を戦前戦後と手掛けてきた、いわば工場の経営主。Kさんは造り酒屋の娘、Hくんと私は八百屋の息子である。つまり、いずれも前期近代日本の自営業主の出自を持つ。考えてみると、自営業主は、[いい加減]でないとやっていけない。予定していたことや見込みが、いつでも相手によって変わることは当たり前であり、時世によって変転することを余儀なくされるものであった。[かんけい]をわたる、とでもいおうか。それが直接影響しているかどうかはわからないが、そこに[いい加減さ]が生まれる契機があり、そのような生き方を(子ども心に)身に着けることをしてきたとは言えまいか。
 
 Sさんの話は面白かった。
*****