mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

氷解した積年の疑問だが……

2016-07-10 14:09:11 | 日記
 
 長い間、ずうっと疑問に思っていたことがある。国連の「敵国条項」がなぜ今になっても削除されないのか? 日本が国連に加盟して今年で60年になる。国連への負担金の支払い額はアメリカに次いで第2位。今月は安全保障理事会の議長国まで務めている。にもかかわらず、「敵国条項」が適用されているまんまだ。
 
 「国連」と日本語ではいうが、「United Nations」が連合国を意味していることは周知のこと。国連の原加盟国51カ国(厳密な最初の署名国は47カ国)が第二次大戦の連合国であったことを、そのまま継承している。つまり戦後体制というのは、第二次大戦の「戦勝国の世界支配体制」ということである。その国連憲章の53条と107条(と77条の一部)が「敵国条項」と呼ばれている。77条の一部は「旧敵国の信託統治領」であったことの処遇に関することであるから、ここではひとまず検討圏外に置く。
 
 53条第1項(安保理の許可の例外規定)は《「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策(ファシズム、覇権主義)を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できない》としている(Wikipedia)。中国が日本の(例えば、安倍首相が靖国神社を参拝することを指して)「軍国主義の復活」と喧伝するのが、この53条を念頭に置いていると考えると、いつ中国から「制裁戦争」が起こされても不思議ではないということになる。
 
 第107条(連合国の敵国に対する加盟国の行動の例外規定)は、《……旧敵国の行動に対して責任を負う政府が戦争後の過渡的期間の間に行った各措置(休戦・降伏・占領などの戦後措置)は、憲章によって無効化されない》というものである(Wikipedia)。これが意味不明であった。
 
 いずれにせよ、なぜ、この二つの「敵国条項」を削除するよう日本政府は働き掛けないのか。なぜアメリカは、「同盟国」である日本やドイツ、イタリアを「敵国」として規定するこの条項の削除をしようとしないのか。これが、長年にわたる私の、不思議のひとつであった。
 
 それが氷解した。加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書、2015年)を読んで気づいた。「ポツダム宣言」である。「軍国主義(勢力)の除去」、「基本的人権の保障」などに加えて、第12項に《日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。》とある。つまり、アメリカ占領軍は大戦後、占領終了時に「撤退すべきである」と規定していたのに、時をおかずして冷戦がはじまったことによって、日本独立後も「日米安全保障条約」によって米軍が駐留することになった。それを「保障」する根拠がなければ、アメリカは「不法に」日本の駐留していることになり、「ポツダム宣言」に反することになる。
 
 もちろんアメリカと日本の、独立国相互間の安全保障条約の成立を妨げる国際的な制約はない。だが、「サンフランシスコ講和条約」にソ連は加わっていない。だから、国連憲章を打ちたて推進しようとするアメリカにとっては(ことに冷戦下では)、国際法的な正当性の根拠が欠かせないものであった。占領していた国と(独立時点で)安全保障条約を結ぶというのは、いかにも傀儡政権を打ちたてたようなもの。ソ連からの批判にも耐えられない。国連憲章の107条は、アメリカ軍の日本(ドイツ、イタリア)駐留を根拠づける「国際法的な根拠」にほかならない。つまり、「敵国条項」は、現在の日本政府とアメリカ政府の双方にとって、「必要な国際法的な根拠」なのだ。
 
 まさか、日本政府が国連の「敵国条項」を必要としていたなんて、考えたこともなかった。そうなのか、そうなんだ。愕然としたね。でももう一つ、アメリカというのは、それほどに「条約」や「宣言」という文言による誓約に、厳格に従う「契約の国」でもあるんだと感嘆する。とすると、モンダイは、「敵国条項」を必要とする日本政府の「誇り」の方である。それを国民にどう説明するのか。おそらく合理的な説明は、出来ないのではなかろうか。だから、佐藤内閣が行ったような「密約」が横行する。それも、アメリカの公文書を通じて明らかになったにもかかわらず、「存在しない」と応答する。恥も知らないと言わねばならない。
 
 まいったなあ。積年の疑問が氷解した先に、こんなへなちょこな政府の姿が浮かび上がるなんて。こんな調子で、「国際平和に貢献できる法制を設けたい」ということを、信じられるか。そんな不信感を抱いているのに、元首相のように「日本国民なら国歌を斉唱するのは当たり前だ」などと言うのを聞くと、「押し付けるのはやめてくれ」と言いたくなる。
 
 今日は参院選挙の投票日。私も一応一票の「権利」を行使してきたけど、何だかそんな次元の問題ではないような気がする。18歳に広げても、そこんとこをどうするのかね。そうか、人に訊く問題ではないか。自分で考えろよ、と。