自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆能登から金沢への視線

2010年11月27日 | ⇒トピック往来
 金沢に住んで、能登を仕事で行き来しながら最近思うようになった。「金沢のこの停滞感は何だろう」と。能登、とくに奥能登の自治体(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の首長たちの迫力が違う。「珠洲市が乗るか反るか、この10年が勝負です」と泉谷満寿裕市長は4年前に名刺交換をしたときに語った。それから、金沢大学のプログラム誘致に動いた。奥能登には高等教育機関がなく、「大学を」との地域のニーズとマッチしたことが背景にある。さらに、大学が研究交流施設として使いやすいようにと、改修工事のため4600万円の予算付けに市長自ら動いた。決して楽ではない財政の中でのやり繰りに、自治体の期待と熱意が伝わってきた。

 昭和29年(1954年)の合併時に3万8千人だった人口が半世紀余りで1万7千人と2万1千人も減った。そして高齢化も急テンポです進む。ことし7月に全国に先駆けて地上デジタル放送への完全移行を成功させたのも、高齢世帯の対策をどうするかということが市長自らを走らせた。6月に再選を果たした泉谷氏は「あと6年」と自ら到達年を設定して、手探りながら環境問題や財政建て直しなど次世代に引き継ぐ政策を打つ。市長だけではない。市職員からも切実感が伝わってくる。大学のプログラムに参加する都会からの移住者への対応も実に丁寧だ。

 そんな珠洲市のいまの姿を見ていると、金沢市のことが気になる。行政や商店街からは「金沢が停滞しているのは、金沢大学が郊外に移転したからだ」「2014年に新幹線が開通すれば景気浮揚のチャンスだ」との声が聞かれる。この言葉を聞いただけで、「金沢はいつから他人依存症になったのだろう」と愕然してしまう。

 歴史や文化的な背景を探ると、金沢は2度没落している。明治維新後と戦後だ。武家社会に成り立った政治経済の構造は根底から崩れた。映画化され話題になっている著書『武士の家計簿』を読めば、その悲惨さがにじみ出ている。武士の惨憺たる姿である。そして戦後、陸軍第九師団司令部があり「軍都」と名乗った時代が去り、一時低迷した。こうして振り返ってみると、金沢の人々がオリジナルに創り上げた地域再生のための独自の工夫というのは一体どこにあるのだろうかと考えてしまう。殿様任せ、国政任せ、奇妙な風土が定着した観があると感じるのは私だけだろうか。

 新幹線が来るのならば、どう魅力的な街づくりをしたらよいのか、市民サイドから湧き上がるアイデアが必要だ。官製ではなく、民が動く仕組みを。あす28日は金沢市長選だ。そんなことを考えて、一票を投じたい。

※写真は加賀藩大名の隠居所・成巽閣(せいそんかく)の石垣

⇒27日(土)・七尾市の天気  くもり
  
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