自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★ヒロシマの祈り、法の形骸化の危惧

2016年08月07日 | ⇒メディア時評
  「6・9」の季節だ。広島に原爆が投下されたのが1945年8月6日、長崎が3日後の9日だった。あれから71年たつ。ことしも広島市の平和記念公園では昨日「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれた。午前8時からの式典には5万人が参列したという。ことし5月28日、アメリカのオバマ大統領が現職大統領として初めて平和記念公園の原爆死没者慰霊碑を訪れ、献花に臨んだこともあり、被爆者にとっても特別な思いがあったのではないかと察する。

   広島市長が読み上げた平和宣言では、あのオバマ大統領の広島演説の一節が引用されたようだ。「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」。大統領の一文はこうだった。Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.(わが国のように核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない。私たちが生きている間にこの目標は達成できないかもしれないが、たゆまぬ努力が大惨事の可能性を小さくする。)

   式典には91ヵ国とEUの代表も出席し、核保有国からはアメリカ、イギリス、フランス、ロシアの代表が出席(中国は欠席)し、成り行きを見守ったした。「核兵器なき世界を追求する勇気」は強調されたが、現実はどうなのだろうか。先月7月12日付の新聞各紙によると、ワシントン・ポスト紙の記事を引用し、オバマ大統領が「核先制不使用」の宣言を含めた核軍縮策を検討、さらに大胆な核軍縮・不拡散の方針を打ち出すことを模索しているという。

   このワシントン・ポスト紙の報道に連動して、民主党のサンダース上院議員らが、オバマ大統領あてに核先制不使用のほか、新型巡航ミサイルなどの核兵器近代化計画の見直しなどを求める書簡を送った。その中で「広島と長崎の原子爆弾(投下)の教訓は、核兵器を二度と使用してはならないということだ」と強調し、現政権での核政策の大胆な見直しを迫ったという(7月21日付・朝日新聞)。

   一方で、去年12月に国連総会で採択された、核廃絶への具体的、効果的、法的な手段を討議するための作業部会(ジュネーブ)の動きも注視したい。今年2月に第1回会合があり、5月に第2回会合が開かれた。今月8月下旬にも開催され、9月の国連総会で報告書が提出される。が、核保有国5ヵ国は欠席している。その対立の構図は、条約制定を急ぐメキシコやブラジル、インドネシアなど9ヵ国が核禁止のための法的措置についての交渉を来年2017年開始することを提案しており、核保有国との間の溝が深まっている。

   では、日本はどのような立場かというと、核保有国と非保有国を分断させるような議論の進め方には反対という立場だ。このスタンスは、日本だけでなく、NOTO(北大西洋条約機構)とも共同歩調をとっている。効果的、法的な手段での核廃絶ではなく、安全保障を重視しながら徐々に核兵器を減らすというアプローチを提唱しているのだ。

   この日本とNATOのスタンスは「どうせアメリカの核の傘に入っているからそう言っているのだろうと」と日本の国内メディアの論調でも一蹴されているが、やはり慎重に進めるという立場にならざるを得ないではないかと最近考える。それは、南シナ海の領有権問題をめぐってオランダ・ハーグの仲裁裁判所が先月12日に示した裁定ですら、「紙くず」と無視されているのが現状である。仮に核廃絶の法が非保有国などの賛成多数で成立したとしても同様に一部の核保有国に無視にされる可能性だってある。無理を通せば道理が引っ込むたとえのように、法が形骸化していくことを恐れる。どのようなプロセスで核廃絶に向かって踏めばよいのか。

⇒7日(日)朝・金沢の天気  はれ   

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