自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「フレスコ画のダイナア」

2006年03月21日 | ⇒トピック往来

 人と人の顔が似ている、似ていないはそれを見る人の感性の違い、と言われる。その点を踏まえて秘蔵の写真を一枚を紹介しよう。イタリアのフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会の壁画に描かれている「聖十字架物語」の一部。フレスコ画である。金沢大学は国際貢献の一つとして、この壁画全体(幅8㍍、高さ21㍍)の修復プロジェクトにかかわっており、ことし1月、現地を訪れた。

  キリストが掛けられた十字架の木の由来を説明する8枚の連作の一部に描かれたこの絵は、4世紀はじめ、ローマの新皇帝となったコンスタンティヌスの母ヘレナ(中央)がキリストの十字架を発見し、エルサレムに持ち帰るシーンを描いたもの。ふと、聖女ヘレナの横顔が故・ダイアナ妃にとても似ている感じがして思わずカメラを向けた。1380年代にアーニョロ・ガッティが描いた大作がこの「聖十字架物語」なので、正確に表現すれば、97年8月に事故死したダイアナ妃がこの作品に似ているとすべきなのだろう。

  と同時に、「うつくしい」女性を見る感性や描き方はヨーロッパでは14世紀も21世紀もそう違いがない、ということに気がつく。聖女なので一番「うつくしく」表現されている。側の侍女もそれなりだが聖女にかなわない。ここで思う。日本ではいわゆる万葉美人や江戸の美人画からは現代のそれとは感覚を異にするのではないか。歌麿の美人画を私は「うまい」(巧み)と思うが、「うつくしい」と感じたことはない。でも当時の感性には訴えたのであろう。

 日本のように、歴史を経て美の感性や表現は変わるものだと思っていた。時代とともに人々の感性が変わるからだ。ところがヨーロッパでは変わらない。これは一体何なのかと、この「フレスコ画のダイアナ」を見て思いをめぐらした。結論はない。

⇒21日(火)午前・金沢の天気  はれ

コメント (1)
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