自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆眠りにつく夏

2005年06月26日 | ⇒キャンパス見聞
  古民家を再生した金沢大学「角間の里」で活動する人たちの数が格段に増えた。きのう25日も、水菓子を作り、棚田の小屋を造り、遊歩道の整備、ホタルの観察会と実に150人余りが活動を繰り広げた。それらの活動を記録しようとカメラを携え自転車をこいだ。

  古民家は井戸水と似たところがあって、夏涼しく、冬は暖かい。外気は30度は超えているものの、家の中は風が通って涼しい。エアコンはいらない。天然の風で十分である。ふと板場の部屋を見ると、イ草の座布団を並べて男の子が気持ちよさそうに眠りについていた。この子はどんな夢を見ているのだろうか、そう思わせるほど、「見事な眠り」だった。


   この子が眠っていたころ、キャンパスの裏山にあたる、通称・キタダン(北谷)では、大人の「よいとまけ」の声が谷あいに響いていた。棚田に休憩所と野鳥の観察を兼ねた小屋を造るためである。大勢で重い槌(つち)を滑車であげおろしし、地固めを行う。かけ声で力を合わせないと、この重い槌はあがらないのである。普段使ったことのない筋肉を使うので重労働だ。

   市民ボランティアの人たちは言う。「大学でボランティアができることにとても意義を感じている」と。ありがたい言葉である。では、大学人はどんなことに存在意義を見出すのか。それは、未来の人づくり、子供たちへの教育である、と私は考える。子供たちの未来のために大人が存在するのである。

しかし、どうもその道理が逆転している。きのうのニュースで、国と地方の「借金」が1000兆円にのぼったと報じられた。誰がこの天文学的な借金を返済していくのか、60年国債を無責任に乱発して、その肩代わりを未来の子供たちにまでさせようとするのか。子供たちに責任はない。理不尽な話である。もし、その子供たちが大人になって「国を出よう」と言い始めたら、日本という国は一夜にしてデフォルト(債務不履行)に陥ってしまうではないか。

   よく寝る子は育つ。熟睡は健全な証拠である。この子たちが目覚める前に、大人たちは膨大な国の借金の始末をつける必要があるのだ。

⇒26日(日)午前・金沢の天気  晴れ
コメント
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