自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★ノーネクタイは楽じゃない

2005年06月03日 | ⇒トピック往来
  6月の衣替えで、政府がノーネクタイを奨励している。政府が夏の服装でキャンペーンをはるのは、羽田孜元首相の例の「半そでジャケット」以来のことかもしれない。当時、スーツの袖をちょん切って半袖にしただけのファッションにも見え、不評を買ったものだ。本人はいまでも夏はあのルックで通してているが、あれ以来表立って政府が夏の服装でキャンペーンをはることがなかった。でも、今回のノーネクタイはある種の思い入れが自分なりにある。

  私は1991年1月以来、冠婚葬祭を別にして、職場ではずっとノーネクタイを通してきた。当時、ある事情で会社(マスコミ)を辞めたのがきっかけ。その時、会社に残った同僚らが「社蓄」にも思え、ネクタイはその象徴のように感じ嫌悪感を持った。それ以来、ネクタイをすると首が絞まるように感じ、ある種の「絞首恐怖症」になったのである。「なぜネクタイをしないのですか」と問われると、「首に不快感を感じるもので・・・」とだけ説明してきた。その説明が手っ取り早かった。

  しかし、儀礼を重んじる日本の社会でノーネクタイで通すのは至難の業である。目上の人との応対、会議などでジロリと睨まれたこともたびたび。その後に転職した会社(テレビ局)の初めての辞令交付式で、社長から「君はネクタイをしないのかね」と問われ、「ノーネクタイの宇野で通します」と答えると、社長は「そうか、ノーネクタイが君の売りならば、それで通せ」と理解のある言葉をいただいた。それ以来、半ば会社で公認となった。大臣や知事の取材、スタジオ出演、シンポジウムの司会など公の場もこれで通したのである。ただ、先に述べたように、葬式か結婚式か判然としないので礼服は一応、白黒をつけた。

  ところが、金沢大学に再就職したことし4月19日、私はネクタイを締めた。この日、打ち合わせがあり、かつてお世話になった会社をネクタイ姿のまま訪れた。専務に「初めて見た、おーいみんな・・・」と随分と冷やかされた。突然の心変わりのように思えるが、実は大学では周囲のほとんどがノーネクタイなので、「売り」が薄れたのである。自分なりの意地の張り合いがなくなったとも言っていい。むろん、毎日ネクタイで通勤しているわけではない。気分に応じて、である。

  今回の話はこれでお終い。最後にひと言、会社勤めでノーネクタイというのは、性格的にも相当変わった人物が多い。ひねくれているか、アウトローか、腹に一物持っているか、自由人と称すキザ男か、まともな人はいないと思ったほうがいい。これは同じ姿の人物を長らく観察したことから得た経験則である。自分はどのタイプかは分からないが・・・。

⇒3日(金)午後・金沢の天気 晴れ
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