自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆古民家のアーキテクチャー

2005年06月24日 | ⇒キャンパス見聞
   別に建築美というものを意識して造ったわけではないだろう。人間の知恵の限り合理的に木材を切り込んで組み立てたら、それが建築構造的にも美しく仕上がっていた、と表現したらいいのかもしれない。美の感性ではなく、知恵の美である。金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」は白山ろくの旧・白峰村から寄付してもらった古民家(280年)を再生したものだ。完成間近の4月上旬にこの館を見学させてもらった時、何か胸にこみ上げてくるものがあった。昔、この家に住んだことがあったかもしれないと不思議な錯覚に陥ったものだ。それ以来、この家に愛着がわいた。


   冒頭記したように、古民家には知恵のアートというものを感じる。光を取り込む工夫、家の耐用年数を限りなく延ばすための工夫などである。それは環境に応じた自然な発想で、現代の建築家が意識するアートと違って気負いというものがない。上の写真(左)は梁(はり)がむき出しなった2階の部屋である。真ん中を通る照明とマッチしてかえってモダン建築のようにも見える。採光を貪欲に意識した窓。雨天の農作業に欠かせない長く伸びた「ひさし」=写真・下=は、少人数のゼミにはもってこいの空間になっている。

   もともとこの家は養蚕農家で、建築の専門家が言うには岐阜・白川の合掌造りのような3層構造になっていた。それをベースに改築が重ねられたものらしい。築280年というのは白峰村に移築されてからのことで、それ以前は福井の大野か勝山にあったものらしい。つまり、この家の本当の年齢は280年プラス何年かは分からないのである。ただ、合掌造りの名残をとどめるとすれば、それが350年か400年かと私には想像をめぐらすことしかできない。

   一つ言えることは、金沢大学に来る前は白峰村、その前は白峰村の桑島地区にあった。1980年に完成した手取ダムのダム底に沈む運命にあったものを引き上げたのである。さらにその前は石川と福井の県境である谷峠を越えてやって来た。13㍍もある棟木、数知れない柱。運搬のためにどれほどの馬車が峠を往来し、あの急坂に苦しげな馬のいななきがこだましたことだろう。そして、白山ろくの厳しい風雪に耐え、ダム底に沈む運命をかろうじて免れ、そして2005年の春、金沢大学のキャンパスにやって来た。この家の柱についた傷は人々が生きた証である。これを眺めているだけで、この屋根の下で織りなされた何百人という人の人生、暮らし、泣き笑いがまぶたに浮かんでくるようで自然と涙が出てくる。

   私は建築家ではないので専門的なことを語る術(すべ)はない。ただ、カメラを携えていろいろなアングルを撮っているうちに、黒光りする柱に人生で言えばベテランの「いぶし銀」のような生き方を感じ、人として共感する。ただそれを私は美しいと感じる。

⇒24日(金)午後・金沢の天気 晴れ
コメント (2)
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