JR豊肥本線には99年3月の第2次九州遠征で全線乗車し、02年8月の第3次九州遠征で熊本~阿蘇間で乗車している。1回目の乗車はキハ185系による特急あそで、2回目は熊本~肥前大津間815系、肥前大津~阿蘇間キハ200に乗っている。1回目の時は急行えびので肥薩線乗り潰し、熊本で少しブレイクした後、午後の特急あそで大分まで乗っている。コンパクトカメラで撮った写真は残っているが、九州横断特急全盛の時代となり、特急あその写真が貴重となっているので、もう少し小マシな写真を撮っていればなぁ…と後悔している。有名な立野の3段スイッチバックもつつがなく通過して、それ以外は波野村ってオ○ム事件でよく耳にしたなという程度であまり印象に残る景色はなかった。
2回目の豊肥本線はたまたま両親が阿蘇まで観光で来ていたので、私の鉄旅行とドッキングして阿蘇から大阪までクルマを運転するという家族サービスを伴ったため、熊本から阿蘇まで豊肥線に乗って、阿蘇からは草千里などを観光して運転手として大阪まで帰っている。両親が阿蘇駅に到着するまでの時間を利用して阿蘇駅近辺であそBOYの撮影を試みた。この当時は大阪近郊での駅撮りはそれなりにこなしていたが、フィールドでの撮影はほとんどしてなかったので、異例の撮影となった。この頃はデジ一はまだまだ高嶺の花でコンデジが幅を効かせていた時代に買った富士フイルムのFinePix 4900Zを使用していた。コンデジとしては最高峰に近い種類のカメラでシャッターのタイムラグなどを感じながらも走行写真もそれなりに撮れていた。今でもデジ一は高嶺の花ということで手を出さず、コンデジの最高峰とも言えるパナソニックのFZシリーズ(20→30→50)を愛用している。あそBOYの写真は見ての通りで、日が陰ったこともあり暗い出来の悪い写真で逆光にもなっているので位置取りもよくない最悪の写真となっている。SLの姿が何とか見られるように補正してこのレベルだから場所取りから腕に至るまでロクでもない写真だったと言える。位置取りも未だにいい加減な設定ではあるが、腕の方はさらに輪をかけて一向に上達していない。