富山地方鉄道本線には06年7月の遠征で電鉄富山~稲荷町間のみ乗車していたが、それ以外の区間についてはしばらく自分の乗り潰しの中でも懸案事項として残っていた。何度か計画しては天候や予算の都合などで中止しており、毎年計画しては中止し、また計画を立てるということを繰り返していた。それを漸く実行に移せたのが07年7月28日、29日での富山遠征となった。当初の計画では急行きたぐにで魚津まで行き、能登や北陸、日本海4号などの撮影と絡めて午前中に富山地鉄本線と黒部峡谷鉄道を乗り潰して、午後から立山線や不二越・上滝線の乗り潰しにかかり、高岡に泊まって、朝の夜行の撮影後、金沢へ移動して北陸鉄道2路線の乗り潰しをする計画を立てていた。この計画では富山地鉄が駆け足で過ぎ去ってしまう感じだったので、宿を魚津にとって、2日目に黒部峡谷鉄道乗り潰しを持ってきて、午後から金沢へ移動して北陸鉄道は浅野川線だけを乗り潰す計画に変更した。ほぼ後者の計画通りことを進めて帰ってきたが、誤算は新潟中越沖地震の影響で急行きたぐにが運休し、その他日本海縦貫夜行が軒並み運休となったため、JRの撮影はほとんどなしで帰ってきたことだ。これについては北陸鉄道石川線の乗り潰しと組み合わせて再度訪問することを考えている。
前置きが長くなったが、7月28日にサンダーバード1号で富山入りし、速効電鉄富山駅で2日間地鉄全線フリーの切符を購入し、立山行きに乗車。これで電鉄富山~寺田間の本線を乗り潰し、立山からの折り返しは不二越・上滝線経由で電鉄富山へ戻り、昼食をとってから再び立山行き普通で寺田へ。ここで誤算だったのは特急アルペンの運転で、時刻表では特急アルペンを見落としており、アルペンが運転しない時に運転される電鉄富山~宇奈月温泉間の特急うなづきが運転されるものと思い込んでいたため、計画と実際とで電鉄富山の発車時間に差があり、電鉄富山での滞在時間が計画よりも少なく、駅そばを急いで掻き込んでの出発となった。昼食をゆっくりとる間はなかったが、寺田でスイッチバックする特急アルペンを見られたのは収穫だった。スイッチバックを見物して、特急アルペンに乗り込みじっくり車窓を…と思っていたが、早朝からの活動の疲れのためか、上市でのスイッチバック後、いつの間にやら眠り込んでしまった。気がついたら列車は既に終点手前まで来ており、本線最初の乗車はほとんど記憶の外で終わっていた。
宇奈月温泉で黒部峡谷鉄道の撮影や翌日の切符を入手して、折り返し地鉄本線普通で電鉄魚津まで戻り、その日は魚津で宿泊した。この日乗った地鉄の電車のうち半数が元京阪3000系の10030系?で、富山地鉄に乗っているというより京阪電車の旧型車両を楽しみに来たという感じだった。大井川鉄道では京阪3000系は走っているのを見るだけで近鉄16000系ばかりに当たっていたが、富山地鉄では京阪3000系によく当った。
翌日は朝2番の電車で電鉄魚津を発ち、宇奈月から朝一番の黒部峡谷鉄道トロッコ列車に乗り、空いている間に黒部峡谷鉄道を楽しんだ。この判断は正しく、2本後ぐらいの列車からはトロッコ列車は観光客でいっぱいで列車を楽しむという様な状況にはなかった。欅平までの往復をして、宇奈月温泉から電鉄富山まで特急うなづきで一直線の旅となった。天気が良ければどこかで撮影でもしようかと思いながら特急うなづきにかぶりついていたが、雨こそ降らないものの天気がよろしくなく撮影は断念して、電鉄富山まで乗り通した。昼前の電車ということもあって車内は空いていたが、魚津、 滑川あたりから富山まで出るにはJRの方が速いし、それ以前にクルマを利用するということもあって、特急うなづきの利用者は予想以上に少なかった。宇奈月温泉からは観光客の堅い需要があるが、それ以外の地域間の利用に関してはあまり多くないというのが現状なのだろうか。富山近郊では普通電車の増発などにより下駄電としての利用が増える可能性はある。しかし、都市間を結ぶ特急については途中上市でのスイッチバックなど所要時分の面で、並行するJRやクルマに比べて不利となる面が大きいようだ。地方鉄道の特急としてはそれなりの走りをする特急うなづきだけに利用を喚起するようなウルトラCが出ることを期待したいものだ。