自分の言いたいことを主張して、他者の言うことには耳をかさない。議論を噛み合わすことはしない。とすれば、そんな議論になんの意味があるというのだろう。自民党は野党時代、民主党がどんなに論理を尽くしても、まったく耳を貸さず、邪魔することに徹していた。気分が悪くなるぐらいのイヤラシさであった。
今、政権をとって、どうしているか、野党がなんと言おうと、自分の言い分を変えることはない。状況が変わった、の認識のもと、憲法だって無視してかかる。法的安定性なんてことは関係ないと言い放った首相補佐官の言い方は、この認識をよく伝える。
したがって、安倍さんは、この官僚を更迭するつもりはない。口では、法的安定性を大事にする、という。それは、まさにいうだけである。本音は違う。戦争をできる国にすることこそが、状況に反応する最も適切なことだと考えている。
それで、戦争になれば、仕方がない。そういう考え方である。では、どうすればいいのか。力の裏付けがない限り、相手がひかないとすれば、力をもつしかないと考えるのは、自然である。だが、人類は法律による紛争解決の手段を手にした。
国家間にしても、力関係ではなく、法律による紛争解決に習熟しなければならない。もめごとを常に力による解決を選んでいては、命がどれだけ損なわれることか。いい加減に、国際法がキチント守られるような時代を構築しなければ、不幸のタネは根絶できない。