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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

面子

2014年10月06日 08時56分58秒 | 思考試行

これから自由になると、人生かなり楽になる。自分なりに、自信のもてる生き方、暮らしぶりをしていれば、誰になんと言われようとも平気でおれるはずである。

ことさら、敬われたいとか、感心してもらいたいとか、感謝されたいとか、とにかく他者依存にならないことである。

自分のライバルは自分だ、などと保険会社の朝礼で、言わされていたが、自分のコントロールがついていれば、確かに、生き方が楽になる。

その意味では、外との付き合いが、少なくなった昨今は、あまり、面子なんて思う機会が少なくなった。そして、意識的に、そんなことを気にしてはいけないという風に考えるようになってきていることもある。

近所の医者が、どこか横柄なところがあって、彼などは、相当この面子など気にしているのだろうなと想像するのだが、肩に力が入っているようで、ちょっと哀れに思ったりする。

陽気な感じがないのである。そんなにイキランでもええではないかと忠告したいものだが、そうもいかない。彼の面子を傷つけるし、反撃をくらって、ないように思っていた自分サイドのメンツがおおありだったりする可能性もある。


徒労

2014年10月05日 11時05分22秒 | 思考試行

保険会社が、従来は無料でおこなってきた業界の資格試験を有料とし、しかも、試験合格しても、反社会的な団体とはつきあわないとか、法を守るとか、言わずもがなの誓約をさせ、誓約しないのなら、資格の認定はしないという具合に、高圧的な、支配の姿勢を強めてきている。

そして、従来からの代理店手数料の決め方を大幅にかえて、細かな指標を導入して、そこそこの売上であっても、なんとか生活できる手数料だったのが、基準のバーをひきあげるなどして、ついには、通常の手数料の五分の一までに下げられてしまった。

種目によっては、銀行振込手数料で完全に赤字となる。契約をとれば、それだけマイナスになるという考えられない事態になっている。それでも従来の顧客との付き合いがあり、顧客が希望すれば、それを拒否はできない。顧客は、契約を、当然、代理店のためになっていると思っている。

郵送費や、顧客との折衝、交通費など、経費は、全部持ち出しである。これでは、保険会社に無料奉仕どころか、五分の一の代理店手数料しかない代理店が、保険会社を財政援助している始末である。

普通なら、やめるか、どこかの代理店に吸収されるかするということになるのだろうが、その道を選択しなければ、こうなるということである。そして、冒頭に書いた資格制度について、かつては、保険会社が無料で、資格試験を受けさせて、きたものを、代理店側に費用負担させるように変えてきた。

どこまで、資本の欲望が実行されていくのか、実態をみるためにも、今の状況を続けているが、まさに徒労の状態である。


「周辺」がなくなる

2014年10月04日 10時30分07秒 | 思考試行

日米ガイドラインの見直しで、グローバルに米軍に協力するという話がでてきている。集団的自衛権とのつながりで、いよいよ自衛隊が、世界に派遣されるようになっていきそうだ。

憲法9条は、かくして、空洞化されてしまう。こんな姑息なやり方ができるのは、まさに、議席を、過半数に満たない得票しかなくても、大多数を占めてしまうという小選挙区制選挙制度のなせる現象である。

経済を口実に、根こそぎ、国民のくらしと命をうばうようなことだってやってのける。

一方では、憲法9条を持つ、日本国民がノーベル賞平和賞受賞か、の話の記事が出ていた。その9条を空洞化してしまっては、話にならない。

人の欲望というのは、とどまるところを知らないようで、イスラム国の問題にしても、背景には、富の格差の存在がある。ありあまる富をどうして、分配しようとしないのか。そのために、さまざまな紛争がおこり、問題が生じているのであるから、いい加減に気付いていいのだが。


認識

2014年10月03日 16時15分50秒 | 思考試行

同じ時代に生きていても、人はそれぞれ、考え方が違う。価値観が違う。争いの根源にこの認識の違いがある。国と国の関係においてもそうだし、同じ国にあっても、政党間の認識の相違は、埋め難いものがあるようだ。協力しあっていけそうな問題でも、そうはならない。

全く話にならないほど、認識の違いがあるのかどうかは、本当のところはわからない。昔、非合法であった、共産党員が獄中で転向したり、獄中でなくとも転向して、今度は保守派の大物になったりしている。認識そのものには、そんなに、遠いがないのかもしれない。

イスラムとキリスト教だって、イスラムのなかのスンニだったり、シーアだったり、どれほど深刻な違いがあるのだろうか。命のやりとりしなければならないほどのことなのであろうか。

紛争が起きれば、そこには、理由もあるだろうし、その紛争から新たな恨み、さらなる紛争のタネがひろがることとなる。武力による制圧が可能と考えるから、武力をふりまわすのだろう。

認識の相違を、どうやって、克服して共生できるようにするのか、それさえ実行できれば、人類存亡の危機も免れるのだが。


普通におこる事件から

2014年10月02日 20時12分54秒 | 思考試行

アジア大会で、選手が窃盗事件を起こしてしまった。当然、そんなことをすれば、人生にたいへんな影響を与えることは少し考えればわかることだろうが、それをやってしまう人間がいる。

というより、それは、誰の身にも起こる可能性があって、実は、自分の人生をふりかえって、そんな事件がなかったかといえば、いくつか、心当たりがある。

こころして生活しなければ、ずうーっと真面目に暮らしてきたにもかかわらず、大事件を起こしてしまう可能性がある。それが、人生の実態である。

品行方正で通ってきた人が、お酒を飲んで、車を運転、対人事故を起こして、逃げた。それで職を失い、刑務所にはいることになった。なんて具合である。

個人として、自己を律しながら、ややこしい時代でもある、注意しながら、戦争はしない国を目指して、変な動きには、注意をしていくことだろう。

 


天下をとるとは

2014年10月01日 22時24分02秒 | 思考試行

要するに、政治権力をにぎり、統治することをいうのだろうが、日本では、国民主権であるのだから、国民が天下をとっていることになる。

だが、実態は、「下々の国民」が権力を持っているとはだれも考えない。時の政治権力であり、政治権力の指し示すところを進めるというタテマエの官僚機構あたりに、その自覚があるのかもしれない。

それでも、派閥があり、抗争していて、自分こそ第一人者の権力者であるとは、なかなか言い難いし、言ったとたんに、梯子を外されてしまうことだろう。

権力側が、本当に国民の暮らしを考えているのだろうか、と考えれば、基本的には、そんなことには、関心がなく、国民は、道具ないしは、家畜なみに考えているのだろう。

かれらは、コストのためには、庶民の暮らしに関係あることでも、バッサリとカットして平気である。仕組みをいじるにしても、市場原理をいい、強きものはさらに強くなり、弱者から、その成果をわかりやすく、えげつなく取り上げていくのだ。

そこには、正義もなく、公平でもなく、搾取と支配の論理が動くのみである。こ奴らは、いつの日にか、必ず、何らかのかたちで、報いをうけることになるのではないか。