要するに、政治権力をにぎり、統治することをいうのだろうが、日本では、国民主権であるのだから、国民が天下をとっていることになる。
だが、実態は、「下々の国民」が権力を持っているとはだれも考えない。時の政治権力であり、政治権力の指し示すところを進めるというタテマエの官僚機構あたりに、その自覚があるのかもしれない。
それでも、派閥があり、抗争していて、自分こそ第一人者の権力者であるとは、なかなか言い難いし、言ったとたんに、梯子を外されてしまうことだろう。
権力側が、本当に国民の暮らしを考えているのだろうか、と考えれば、基本的には、そんなことには、関心がなく、国民は、道具ないしは、家畜なみに考えているのだろう。
かれらは、コストのためには、庶民の暮らしに関係あることでも、バッサリとカットして平気である。仕組みをいじるにしても、市場原理をいい、強きものはさらに強くなり、弱者から、その成果をわかりやすく、えげつなく取り上げていくのだ。
そこには、正義もなく、公平でもなく、搾取と支配の論理が動くのみである。こ奴らは、いつの日にか、必ず、何らかのかたちで、報いをうけることになるのではないか。