同じ時代に生きていても、人はそれぞれ、考え方が違う。価値観が違う。争いの根源にこの認識の違いがある。国と国の関係においてもそうだし、同じ国にあっても、政党間の認識の相違は、埋め難いものがあるようだ。協力しあっていけそうな問題でも、そうはならない。
全く話にならないほど、認識の違いがあるのかどうかは、本当のところはわからない。昔、非合法であった、共産党員が獄中で転向したり、獄中でなくとも転向して、今度は保守派の大物になったりしている。認識そのものには、そんなに、遠いがないのかもしれない。
イスラムとキリスト教だって、イスラムのなかのスンニだったり、シーアだったり、どれほど深刻な違いがあるのだろうか。命のやりとりしなければならないほどのことなのであろうか。
紛争が起きれば、そこには、理由もあるだろうし、その紛争から新たな恨み、さらなる紛争のタネがひろがることとなる。武力による制圧が可能と考えるから、武力をふりまわすのだろう。
認識の相違を、どうやって、克服して共生できるようにするのか、それさえ実行できれば、人類存亡の危機も免れるのだが。