デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

自分なりの年度おさめ

2013-03-31 11:50:14 | お休み日記
昨日道に迷ってしまった桜が丘の桜並木のところまで走る。今日あたりが最後という感じかな。小さな公園にテントが何体か張られている。本当は来週に予定されていた桜祭を今日やるみたいだ。ただ雨が降ってきた。
昨日設置したパソコンのネットを開通させる。漂流民の会のニューズレターの発送をしたあとに、せっかく広くなった机の上を片づけ。
昼飯を食べてから、連載読み物を書く。どうやらこれで5月上旬まではもちそうだ。
ラジオ番組も、今日で司会が代わったりとか、番組自体が終わりというのも多い。年度末ということだ。
連載読み物はしばらく、書くのはお休みにして、来月一杯まで仕上げなくはいけない原稿書きにとりかかることになる。今日でもろもろ整理し、明日からとりかかることになる。
「相棒」の映画版を見て、明日からの原稿書きの準備をしてから就寝。

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花冷え

2013-03-30 14:10:51 | お休み日記
土日の楽しみは、長浜公園まで走って鳥たちを見ること。今日は能見台経由で走る。ほんとうは冨岡の桜ヶ丘の桜を見ることも目的だったのだが、道に迷ってしまう。野鳥観察公園の鳥たちは、前回よりは減っているような気がする。
今日あたりはちょっと寒いくらいだから、もう少しこっちにいようかなという感じなのだろうか。
昨日の夜から来ていた長女が持ってきたは勤めていた高校の卒業写真を見せてもらう。皆ハデな顔しているなあ。
娘はこの高校は3月まで、4月からまた違うところに転勤する。
古いパソコンがもうダメになったので、前に購入していたXPの中古をセットアップ。なんとかセットアップ完了。
週末の毎度のことで、整理に勤しむ。
連載の原稿は4月半ばまで持つというメール。いま書いている分をあわせると5月上旬までもちそうだ。一挙に余裕ができた感じ。
なので明日は見れそうにない韓ドラ「太陽を抱いた月」のビデオを見る。
夜出れなかったが岩手のおばさんから電話。本を受け取ったとのこと。89歳になるおばちゃん、声はめちゃめちゃ元気だった。
原稿のブラッシュをしているうちに眠くなる。24時前に就寝。

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年度末

2013-03-29 18:28:09 | お仕事日誌
昨日おふくろから電話があり、岩手のおばが新聞で自分の写真を見たらしく、かなり興奮状態で、本が見たいと電話が来たらしい。すぐに送ってほしいということなので、メール便速達で送る。新聞の威力健在である。
夏に呼ぶ芸人さんから書類が送られてきたので、それを翻訳。
携帯にモスクワのクラウン、ユーリイから電話、毎年舞台サーカスで来日するのだが、今年はミミリッチ(あのミミクリーチの弟分)が日本に行くので、舞台サーカスはないという。それよりなぜフェイスブックをやめたんだ、世界中の芸人たちからどっとリクエストが来て、うんざりしたのかという。まあそれに近いが、いろいろ嫌なことがあったので、やめたのだが、やめて良かったと思っている。今度はスカイプのアドレスを教えろという。しかたなく教えることに。
メルマガのデラシネ号外を配信。高校の同級生からメール。今日で定年なので、会社ではなく自宅のアドレスへということ。彼は再就職するとのことだが、同じように今日定年という同輩はあちこちにいるはず、感慨深いものがある。
ずっと見なくてはいけないと思っていたbingoの新しい番組を見る。
森下のいの屋という桜鍋の店で、知人の記者と一杯。この店有名なところらしい。いやあ美味しかった。

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津波のあとの時間割

2013-03-29 16:19:53 | 観覧雑記帳
作品名 「津波のあとの時間割-石巻・門脇小・1年の記録」
監督 青池憲司
観覧日 2013年3月5日
会場 ポレポレ東中野

津波震災の記憶をきちん後世に伝えていかなくては、という思いから元石巻教育長の阿部和夫さんが中心となり、製作委員会をつくり、青池憲司を監督として迎えつくったのがこの映画である。阿部さんは石巻若宮丸漂流民の会の会員でもある。阿部さん曰く、「七人の侍と同じ、専門家の方を雇って、映画をつくってもらった」とのこと。
黒こげになり、焼きただれた門脇小の建物は、今回の震災津波の象徴的なものとなっている。ここに通う子どもたちは、高台にある門脇中学校に移り、勉強を開始した。このドキュメンタリーは、6月から門脇小にカメラを据え、子どもたちの姿、そしてこの地域で生きている人びとの生活、復興をめぐって、特にどこに移住するのかそうした問題をめぐっての行政側と住民側のやりとりなどもはさみながら、淡々と描いていく。
子どもたちの明るい表情、そして笑顔が印象深い。どれだけ恐ろしい思いをしたか、どれだけ恐かったのか、それを胸にぐっと秘めて、明るく振舞う姿に胸を打たれた。彼らは忘れているわけではない、でも笑顔でにこやかに生きようとしている。きっと無理をしているはずなのだが、それをいきがらずに自然体で行こうとしているのだ。
3年生が半年かけて、どうやって復興させていくのか、それを真剣に話し合い、調べながら、プランをつくり、それを発表するというプロセスが一本の大きな柱となっている。人工島をつくるとか、高い堤防をつくり、その地下に貯蔵庫をつくるとかという発想がつぎつぎに出されるのは、あの津波がほんとうに怖くて、それを逃れるためにはどうしたらいいかということを真剣に考えた結果ではないか・・・
市と住民との復興プランについてやりとりもこの映画ではとりあげられているが、海岸線に公園をつくるということだけしか、いまのところアイディアがないようだ。子どもたちのプランを絵空事だというだけでなく、しっかり聞くべきであろう。そこには根幹となる大事な話しが含まれているようでならない。




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あかきくちびるあせぬままに

2013-03-29 14:19:59 | 観覧雑記帳
公演名 「あかきくちびるあせぬままに」
原作:連城三紀彦「紅き唇」
脚本:八木柊一郎
演出:黒岩 亮
出演:
佐々木愛  阿部敦子  佐藤哲也 小谷佳加  白幡大介
髙橋美沙 小林悠記子 皆川和彦 
会場 東京芸術劇場ウエストシアター
観覧日 2013年3月20日

このところ文化座のお芝居をよく見に行く。長谷川濬の取材で代表の佐々木愛さんとお会いしてから、案内が毎回くるようになり、東京にいる時には必ず見に行くようになった。
今回は佐々木さんのお母さん鈴木光枝さんが70歳の時に演じた作品を、佐々木さんが演じるということで話題になった。
昔はサイパン島で戦死した初恋の陸軍歩兵少尉との思い出が忘れられないまま、若くして亡くなった次女の夫が、その少尉と生き写しということから、その夫の元に住み込んでしまうタツという64際になる女性を、愛さんが軽やかに演じ、泣き笑いさせられるコメディー、存分に楽しませてもらった。
喪服から、達彦さん(娘の夫)のところに行く転換で、64歳になっても、そのときになっても、君が必要だと云ってくれますか? ―というビートルズの「When I'm Sixty Four」が流れ、そして洋服姿に転身する場面が秀抜だった。喪服でモノローグ、そのあとの家族たちのなかでの言い合いという暗いトーンが一挙に明るい世界へと転換、そのあとはタツさんというか佐々木さんの独壇場となる。
休憩入れて2時間という尺のなかで、笑いあり、涙ありの喜劇をつくりあげるのはたいしたもんだと思う。ストーリー的にはそんな簡単なものではない内容をもっている。
佐々木さんの大事な当たり役としてこの作品を続けてもらいたいと思う。

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