デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

2004年をふりかえる

2004-12-31 01:38:00 | お仕事日誌
今年も残すところ今日一日。23日からはじまった休み、なにをしようか、ずごく楽しみにして、あれもしよう、これもしようって、メモしていたけど、結局は机の上、まわりに積み上げられた資料の山を整理するので終わってしまった。しかたがないよなあ、と思う。9月以降土日休めたのは、わずかなもの、こんだけ資料がたまるのも無理がない。
整理もほぼ終わり、やっと一息というところだ。
ということで、ちょっと人並みに今年の回顧。
今年は、ぎっくり腰からはじまった。信じられないことなのだが、元日くしゃみをして、ぎっくりになり、そのまま寝たきりおやじになってしまった。そしてオスマンだよ、正月早々、ローラバランスのテーブルを盗まれて、とんでもない目にあった。なかなかハードな日々だった。こんなスタートだったから、あきらめがついたというか、たいへんな年になるという覚悟はできたかもしれない。
1月は30日の桜木町閉鎖ということで、野毛に入り浸っていたような気がする。しかしあの日はとんでもない混雑だった。あの日の野毛はすごい人出だった。でも結局あれは断末魔みたいなもんだった。いま桜木町がなくなり、野毛もずいぶん寂しくなった。
『虚業成れり』を出版、おもいのほか書評でとりあげられた。結局は自分にとっての最大の夢であった重版には届かなかったが、いいものを書けた、そして読んでもらったという満足感があったのは確か。いま自分がもっているネタはいくつかあるのだが、神さんの話で重版できないということは、もう他では無理。なんかあきらめがついたような気がした。あとは、好きなこと、書きたいことを、どう本にしていくかということになるだろう。そして呼び屋として、これからも生きていこう、そんな決意が固まったこと、これも自分にとっては大きな意義があった。あれから吹っ切れたような気がする。そんな意味でも区切りになった本の刊行だった。

今年は韓流がキーワードとなったが、自分にとっても韓国が重要な意味をもった年となった。3月済州島で見た、モンゴルの馬サーカス、10月安城でのチュルタギフェス、大地に根を生やした芸能の力強さ、それを目の当たりにした喜び、そこからひとつの自分にとっての未来が見れたような気がする。
春のハンガリーサーカス、秋のオリンポスサーカスは、ほぼ自分のプロデュース、いいものができたことにとても満足、なによりリトルワールドが前年より集客数で上回ったということは、うれしいことだった。
胃の痛くなる思いは何度もあった。
夏のルスツのサーカスでは、空中ブランコの道具の輸送で胃がキリキリなった。そして同じ時期漂流民の会主催で取り組んだ展示会、講演会もたいへんだった。何度仙台や石巻に行ったことか。夏はほんとうにたいへんだったが、結果オーライ、自分にとっても、会社にとっても、そして漂流民の会にとっても、大きな財産が残った。
苦労した甲斐があった、そんなことが実感できた年でもあった。
なによりもうれしかったのは、石巻の山下小学校で、6年生が「若宮丸漂流民」という芝居をつくったこと、このビデオを見て、思わず涙がこぼれてきた。子供たちがこの芝居を演じるなかで、若宮丸漂流民のことをたどり、自分のものにしようとしている、これって、なにものにも代えがたい財産ではないか、漂流民の会をやってきてほんとうに良かったと思った。
やはり汗を流すことで、はじめてなにかが動くということなのだろう。
いろいろあった今年、デラシネの掲載コーナー的に、印象に残ったものを最後に並べておく。
観劇案内板コーナ。1月の山本光洋、カナリア諸島のクラウン、フール祭のオキドク、札幌芸術の森でみたボーヤジ、前から二列めで見たアレグリア、12月のダメじゃん小出のライブ、これがベストステージ。注目すべきは、山本光洋がフールBでやろうと思ったネタ「信号機」。本番前日にぎっくり腰で、休演となったが、これは山本の新たな可能性を開いたもので、忘れがたい。で、一番はBPズームのベルニーがでていた映画「ピエロの赤い鼻」。これは傑作である。ベルニーがクラウンに命を賭けたその意味がほんとうに伝わって来る素晴らしい映画であり、クラウンでなければいけない、そんなことを思い起こさせてくれた。
「今週買った本、読んだ本」
圧倒的に面白かった本は、「ダヴィンチコード」。ほんとうに何年ぶりかで、夜を徹して読んでしまった。
最も印象に残っているは、林芙美子の「下駄で歩いた巴里」。岩波文庫になったこの本、旅すく人の心構え、姿勢、そして旅へかける思い、とても素直に書かれている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5.チラシ校正

2004-12-28 12:30:29 | カバレット制作ノート
12月23日 原宿にて
カバチッタのチラシは、遊び心もあり、斬新なデザインで評判が良かった。今回は小屋も変わるし、イメージも変わってくるので、あえて別なデザイナーの人に頼んだ。今回は尾形まどかさんにお願いした。彼女は、レ・クザンや、今年のフール祭のチラシをつくった方で、サーカスやクラウンのことをとてもわかってくれているデザイナーで、カバレットも見てもらっているし、そんな雰囲気はつかんでくれるはずで、一緒にやりたいと前々から思っていた。
本来であれば、11月には出来上がっていなければならないのに、こっちが愚図愚図していたものだから、かなりマキでお願いすることになった。
クリスマス返上で、ずいぶん無理をしてもらったのだが、いいものができたゾ!
昭和30年代のレトロな感じで、元グランドキャバレーという空間をいかしたものというオーダーを出したのだが、実際にデザインを見たら、それにぴったり、今回のコンセプト通りのものに仕上がった。
こういうのが上がってくると、やる気が湧いてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4 ジャグラー森田の演技

2004-12-28 00:43:26 | カバレット制作ノート
12月18日 東村沢入サーカス学校にて
ACCの代表西田が、校長をつとめる東村のサーカス学校の後期終了発表会を見る。去年初めて見て、大道芸ではなく、サーカスで、やっていこうとしている芸人さんが確実に育っているなという実感を持ったのだが、今回はさらにみんな技量をあげている。すぐにでもカバレットでやってもらいたい若い芸人さんが何人かいた。今回はジャグラーの森田智博君に出演してもらう。森田君は今年のジャパン・ジャグリングフェスティバルの個人の部の優勝者。出演してもらおうと思ったのは、「あいつほんとうにすごいセンスを持っているし、練習の鬼だし、いい芸人になるし、カバレットに出たら、また大きな刺激になるはずだ」という西田の話を聞いて、出てもらうと決めた。そのつもりで彼の演技を見ていたのだが、とにかく去年とはくらべものにならないし、ビデオで見た今年の夏の公演の時とも違うし、格段の進歩で腕をあげている。ステージで勝負できる、本格的なジャグラーが誕生する、そんな予感がした。
公演後森田君とちょっと話す。彼は他の出演者の顔ぶれを知って、こんなすごい人たちと一緒にやるんですか、とびっくりしていたが、かなり心に期するものがあるなという、ある心構えを感じた。
今回は大熊さんの音楽で、やってもらうわけだが、大熊さんの音楽とガチンコするなかで、彼の演技がまた変わるかもしれない、それがとても楽しみだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3 出演者決定

2004-12-28 00:36:07 | カバレット制作ノート
12月××日
大熊さんからメール。交渉してもらったヨロ昆撫さんが出演をOKしてくれという。これは楽しみだ。3回目のカバチッタが終わった後、みんなで打ち上げをしたとき、次回やるときはこの人も誘いましょうよと、大熊さんがビデオを持ってきて、初めて見たのだが、これがめちゃ面白かった。着流しでラップを歌うそばで、若いお姉さんのダンサーが踊っている。なんともアンバランス、ミスマッチ、カバレットらしくていい。
ダメじゃん小出から推薦があった、寒空はだかさんに連絡。浅草的な大衆路線も入れるような泥臭いものがしたいという話を小出にしていたのだが、彼からそれにぴったりの芸人さんということで紹介を受けた。寒空さんも快諾してくれた。この話をしたら大熊さんたちも良く知っているという。これに江戸和妻の藤山さんが入り、面白いものが出来そう予感がしてくる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チラシ校了

2004-12-28 00:18:09 | お仕事日誌
朝8時起床。次女と朝散歩。今日が三日目。娘からすれば冬休みぐらいもっと寝かせろといいたいところなのだろうが、とりあえず付き合ってくれている。ふだんジョギングしているところも、ゆっくり歩くとそれなりに発見がある。昨日は冨岡総合公園が、かつて横浜航空隊があり、いまでも格納庫があるという看板を見つけ、どこにあるのだろうといろいろ探し、機動隊の中にあることが分かった。15年以上住んでいるのに気がつかなかった。
14時原宿のデザイン事務所に行くことになっている。その前に神奈川県立図書館に寄り、長谷川濬の作品が掲載されている雑誌をチェックすることに。去年の今頃、「虚業成れリ」の作業が終わり、最初にやったこと、それは長谷川濬の作品が掲載されている「作文」のコピーをするために、ここに来たことだった。あの時コピーしたものが不鮮明で見えないところがあったので、その箇所を確かめる。1時間ほどですみ、歩いて横浜駅へ。
今日の日経に漂流民について書いた記事が出ているはずなので、駅の売店で購入。文化欄を見たら、載っているはずのページには、84才の現役のアワビ採りのおじいちゃんの記事。愕然とする。編集の人間からなんの連絡もなかったから、昨日メールでいろんな人に案内を出したのに・・・。なかには買った人もいるんじゃないかなあ。恥ずかしい・・・。それにしてもどうなったのだろう。もしかして急遽ボツ?
ちょっとへこんだまま、原宿へ。休みとはいえ、この3ヶ月ぐらい休日はほとんど家にいなかったので、いろいろやることが多く、結構へばり気味。そのせいもあったのか、電車のなかで爆睡。「せい家」でラーメンを食べて、原宿の事務所へ。
チラシの色稿を見る、いいんじゃない、予算の関係で紙がペラペラなのだが、それが逆にいい雰囲気、レトロぽい感じを出している。色の感じもいい、文字だけをチェック。年の瀬にずいぶん急かせてしまったが、いいものができた。ありがたい。仕上がりは11日。

帰りの電車でも爆睡。上大岡のヨドバシに寄り、レザープリンターを購入。これが結構重い。
16時過ぎ帰宅。日経からはなんの連絡もない、どうなっているのだろう。とにかく昨日メール出したところに、ででませんでした、ゴメンナサイメールを出しておく。会員の一人で、高校からの悪友からすぐに「アッポ!ずいぶん探してじゃないか、でもアワビ採りのおじちゃんの記事に感動」という返事が来た。ゴメン!
やっぱ、ちゃんと確認してから連絡すべきだった。いつも悪い癖なんだけど・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー

2004年12月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

バックナンバー