デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

敦賀で富岡の人と会う

2024-07-26 06:40:42 | デラシネ日誌
MLBを見ながら、溜まっていた仕事をいろいろこなす。集中してやればできるものである。そして大谷君のホームラン。言うことなし。
9時半荷物を預けてチェックアウト、今日は暑い、それも半端ない。
まずは図書館へ。開館前に到着、待つ時間が暑かった。敦賀新聞の明治41年と42年を閲覧することが目的。ところが見始めたところでフリーズ。簡単なことか思ったら大事らしく、係員の方が次々に現れる。最初に受け付けたおばさんが横浜から来ているのでと係員の方に何度も言ってくれる。結局はデーターはDVDで見ることに。最初からそうしてくれたらよかったのにとは思ったが、みなさんいろいろやってくれたので文句など言っちゃいけない。閲覧自体はそんな時間がかからなかったが、1時近くになってしまう。港に向かう。途中気比神社の前にあったつけかもうどんという看板に目がとまり、入ってしまう。かも汁が抜群。美味かった。柱に伊勢太神楽の御札が貼ってあったので精算するときにその話をしたのがきっかけで、いろいろ話をしているうちに、ご主人が富岡の並木に住んでいたということで一挙に話が盛り上がる。まさか敦賀で富岡駅付近や並木の店の話をするとは・・・
歩いて港を目指す。とにかく暑い。さっきのうどんやさんがあった通りは神楽町というところだった。神社の近くということはあるのだろうが、お囃子が通りのスピーカーから流れる。
そして港へ到着。

かつての敦賀港駅は鉄道資料館となっている。

かつてはここまで電車で来て、ここから船に乗ってウラジオに行き、シベリア鉄道に乗って大陸をめざしていたんだと思いをはせる。展示室にはその当時の切符やパスポートなどが展示されていた。敦賀に惹かれるのは、やはりここが大陸と鉄道と船によってつながるその結節点だからだろう。

そしておそらくここから何組ものサーカス一座が大陸をめざして旅立っているはずだ。敦賀は人道の港ということで、ポーランド孤児、ユダヤ難民たちを受け入れた最初の町でもある。その歴史を振りかえる敦賀ルゼウムも見学。大事なことをこうして顕彰する施設があることはいいことだ。
歩いてまずはホテルまで戻る。とにかく暑い。せっかくなので途中気比神社にお参り。

荷物をピックアップして敦賀駅へ。
東京までは3時間ちょっと、うどん屋さんになんで米原に出てそこから新幹線で帰られないと言われたが、たしかにその方が近いのだろう。ただ北陸新幹線もそんなに遠くはない。車中持ってきた「蓑虫放浪」を読了。なかなか面白かった。
21時前に帰宅。すぐにシャワーを浴び、着替えて、ノンアルをぐっと喉に通したところで、ほっと一息。さすがに今回は暑さで消耗させられ、疲れてしまった。22時すぎに就寝。
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金沢へ

2024-07-25 06:10:56 | デラシネ日誌
10時前にチェックアウト、迎えに来てくれたアレーマーさんの車に乗って、新高岡駅近くのコメダ珈琲へ。アレーマーさんが声をかけてくれた人とアレーマーさんから2時間ほどお話を聞かせてもらう。澤田さんのまた新たな一面を知ることができた。それにしても澤田さんは業界とはまったく関係のない人でも親しくなったら、とことん付き合っていたんだな。
新高岡駅まで車で送っていただく。これで取材は終わり。いい取材ができた。アレーマーさんのおかげである。感謝、感謝である。
今回の切符は北陸フリー切符、せっかくなので急遽金沢に行くことにする。金沢に来たのはいつなのだろう。大学3年か4年の冬だったような気がする。あの時は内灘に行って、大雪が降り始め、一泊だけして仙台に帰ったのではないかと思う。数多くの旅のなかでも、なにかとても辛かったような記憶がある。
その時の金沢は大雪で、兼六園ぐらいしか見ていなかったと思う。金沢駅についてびっくり。観光客であふれかえっている。8割方外人さん。なんのプランもないので、とりあえず来たバスに乗りこみ、名前だけは知っていた21世紀美術館で降りる。今日は昨日とうってかわって暑い。外歩きは辛いということもある。この美術館も外人さんが多い。せっかくなので企画展を見る。現代美術なので、なにも考えず頭空っぽにして見れるのがいいかもしれない。ここは迷路のようになっていて、いくつもある展示室をどう見ていくかも楽しみのひとつになっているようだ。なかなか楽しかった。腹が減ったので、ここのレストランで食事。ランチメニューが高いのには驚いたが、他で食べるあてもなく、ここで食べることにしたが、値段に相応してボリュームがたっぷりのランチとなった。
金沢といえば、中原中也が「金沢の思い出」でサーカスを見たという神明宮だよな、ということになる。長女がここの写真を撮ったのをもらってはいるが、やはり行かないと。香林坊という繁華街のすぐに近く、犀川大橋を渡ってすぐのところにあった。思ったより町の中心部になったのにはびっくり。

「サーカス学」のサーカス遺産にはちょっと使えないかな、この看板は。中也「サーカス」の原点とはっきり謳ってくれているといいのだが、それは定説というわけではない。ただ自分は中也がここで見たサーカスが何かを、日記と新聞での広告をてらしあわせて、マスダサーカスだったということをつきとめ、ひとり悦んでいた。さらにこの時の演し物に大一丁という空中ブランコの演技がなかったかまで調べ、あのゆあーんゆよーんは、この時見た空中ブランコ(大一丁)がもとになっているのではないかとまで勝手に深読みしていた。

それにしても暑い、兼六園を見ようかとも思ったが、とても歩けるような外の気温ではない。近江市場をちらっとのぞいて駅に戻る。
敦賀までの新幹線は本数が結構ある。
そんなに待たずに新幹線に乗れた。敦賀にも二度ぐらい来たことはあるかと思う。一度は矢野サーカスに入っていたチェコの熊のショーの場越しの時に来たのではないかと思う。ひとり入った飲み屋で、水槽にいたおこぜを料理してもらい、越乃寒梅をひとりで一升ちかく飲んだ。若かりし日のことである。
新幹線開通してまもなくということで、敦賀駅はまあ立派なこと、そしてめちゃめちゃ広い。ホテルは駅の近く。かなり汗をかいたのでまずは大浴場で汗を流す。昼飯が遅く、それもがっつり食べたので、夕飯は適当にすまそうと19時過ぎに町に繰り出す。冷やし中華をコンビニで買ってたべるかのつもりだったのだが、なんとも魅惑的な居酒屋の看板に誘われて入るも、ウェーティングの人がかなりいて、あきらめる。近くにスーパーがあったので、そこで簡単な食材と酒を買って、今日はホテル飯にする。ホテルに戻って、ここはwowwowが見れるのでチャンネルを合わせたら、なんと「冒険者たち」をやっているではないか。酒を飲みながら見てしまう。ほんとうにいい映画だなと改めて思う。何度も涙ぐんでみていた。まさか敦賀で「冒険者たち」と出会えるとは・・・

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澤田さんの第二の故郷

2024-07-24 06:33:31 | デラシネ日誌
起きてストレッチしてシャワーを浴びる。メールの返信など雑用を片づけ、ホテルの朝飯を食べてからでかける準備。9時前にホテルを出て、まず駅からのバスを確認。ちょっとだけ町を歩いてみる。今日は涼しい感じ、予報では30度が最高気温。これはありがたい。ただ曇り空で降雨確率はかなり高い。バスで赤口前というところで降りて、大島絵本館まで歩く。副館長さんとお目にかかり、お話を伺い、そのあと館内を案内してもらう。ここは孫たちを連れてきたら喜ぶだろうなあと思う。

車で小杉駅まで送ってもらう。高岡に戻って、昨日見て気になったブラックラーメンを食べる。確かに黒い。めちゃめちゃ美味いというわけではなかったが、まあまあかな。

駅の案内所で伏木の行き方を聞く。昨日この地名を見て、行きたくなった。長谷川しゅんはサハリン行きの木材船にここから乗りこむことが多かった。しゅんさんのノートを読むとき気になっていた。氷見線の伏木駅までいく電車を1時間近く待って、伏木へ。小さな駅。

案内に入り口というロシア語が。あとで聞くとここは木材船、ソ連解体後は中古車を載せる船がたくさん行き来し、ロシア人がウロウロしていたという。伏木の町はかつてはにぎわっていたのだろうという雰囲気があった。しゅんさんはこの町で泊まることもあったのだろう。伏木の駅に着いたときどんな思いだったのだろう。なんとなく夜駅に着いた時のしゅんさんの姿が見えてきたような気がする。
どうしても港が見たく、歩き始めると、道がかなり陥没していたり、液状化した形跡が見られる。

能登震災の影響だろう。雨が降り出す。一時的にかなり強い降り。埠頭に着いたのはいいが、一望できる遊歩道は地震のため入れないようになっている。ここまで来てそれはないだろう、ということでトラロープをまたいで入ってしまう。やっとここで港が一望できた。ここからしゅんさんが船に乗ったんだと思う。

帰り道北前船資料館があったので、観覧。大野が見たら喜ぶだろう。

昔このあたりは北前船で賑わい、昭和になってロシア船でにぎわっていたことになる。高岡で活躍しているアレマーさんから電話、仕事が終わったのでどこで会いましょうかということになる。
そんな遠くにいないので、これから迎えに来てくれるということになった。
資料館の前で落ち合い、それからせっかくなので澤田さんが朝鮮から引き揚げたあと住んでいたという澤田家の実家に案内してもらう。とんでもなく立派な門がある庭も広い立派な家だった。アレマーさんが何度か訪ねているところらしく、いまこの家で暮らしている澤田家の本家にあたるご夫妻からいろいろお話を聞くことができた。
今回の一番の収穫だろう。
18時すぎにホテルに戻る。ちょっと休んで、朝歩いているときに気になった居酒屋さんに行ってみる。19時前なのにほぼ満席、あたりかもしれない。
カウンターの上にはファミレスによくあるメニュータブレット。興ざめかなと思ったが、なかなか便利。料理がみな美味しかった。なにより岩牡蠣が食べれたのに満足。締めは昆布おにぎり。これが食べ応えがあった。昨日の昆布お好み焼きも訳があって、これはみな北前船で運ばれてきた北海道のとろろ昆布だったのだ。これは資料館で知ったこと。
今日はいいものが食べられた。
昨日もそうだが、ホテルに戻るとバタンキュー
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岡部文明サーカス展

2024-07-23 06:43:09 | デラシネ日誌
火曜日の心配事は、プラサイのゴミをネットを組みたてないまま捨てる人がいること。昨日妻が貼り紙をしたので、大丈夫かと思ったのだが、気になって5時前に行ってみると、やはり組み立てないまま捨ててあった。がっくり。まだカラスが食い散らす前だったので事なきを得たのだが、それにしてもな・・・
慌ただしく旅支度。なんとかリックに入りきり、8時過ぎに家を出る。まずは義歯を調整してもらうこと。簡単に治るかと思ったのだが、そう甘くはなかった。義歯をつくり直すことに、とりあえずは右の奥歯だけをそのままにしてもらいあとはカット。これだとあたらないので痛みはなくなるが、はたしてこれだけで食べれるのかということ、不安を抱えつつ、北浦和に向かう。駅に降りてうんざり、まちがいなく東京より2度ぐらいは高い。美術館は駅から近くの公園のなかにあった。場当たりてきなことをやってあとはランチしながら打合せ。ハンバークにしたのだが、ちゃんと食べれた。これはうれしい。5日ぶりぐらいにちゃんと食べている感じ。とりあえずこれでしのげるかも。
14時のオープニングセレモニーを前に、ゆっくり展示を見る。大きな画面に細かくサーカスアクトが描きこまれていたり、道化師を追い求めつづけていた岡部さんの魂の軌跡のようなものが伝わってくる。

14時からトークショー。かなりの方が集まっていた。準備していた話はあまりせずに、岡部さんの絵について多く語ることになった。お世辞とか抜きに、ほんとうに想いを語れたのではないかと思うが、どうだろう。
山本光洋のパフォーマンスがしっかり客席を温めてくれた。彼の最後のスピーチも胸に沁みた。
Bokabe劇場の大好きな絵に囲まれてトークできたこと、幸せなことだ。温かい岡部さんの展覧会らしい幕開けなのではないだろうか。
終わったあと何人かの方とちょっと立ち話。そのあとわざわざ見に来てくれた橋本照嵩さんと9月にやろうと思っている写真展について打合せ。
いろいろもやもやしていたことが、多少は解決できたかと思う。
ここで橋本さんと別れて、大宮へ。ここから北陸新幹線に乗って富山まで。停車駅は長野だけ。どこを走っているのかさっぱりわからなかった。景色もそんなに見えないし。2時間ほどで富山着。ここで在来線に乗り換えて高岡に着いたのは19時すぎ。ホテルは歩いて一分ぐらいのところだったので助かった。
南口には何もなく、食事をしに反対側に行く。商店街らしきものがあるが、ほとんどしまっている。飲食店も今日が定休日なのか閉まっている店が多い。鉄板お好み焼きに入る。昆布お好み焼きというのが珍しかったのでこれを注文。ただお好み焼きの上にとろろ昆布が載っているだけのものだった。たいして美味しくなかった。ビールが美味かったけど。これは自分へのご苦労さん。
今日は移動疲れと暑さ疲れもあってホテルに戻り、ちょっとベットで横になっていたら寝てしまった。
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無用の石

2024-07-22 21:02:43 | 観覧雑記帳
ジャンル 演劇
観覧日 2024年7月21日
会場 代々木八幡神社

桃山亡きあと、本拠地を失いいきなり彷徨うことになった水族館劇場が、選んだひとつ生き方が夏の放浪芝居。今回は秋浜の台本、演出である。代々木八幡のこんもりした境内の空き地が見事はまっていた。灼熱のアスファルトジャングルからちょっと離れただけなのに、ここには静けさと束の間の涼があった。芝居は国貞忠治その後、女房のお徳をめぐって、かつての仲間や公卿も入り込んで、江戸幕府をひっくりかえそうという企みを描く。桃山のようなカオスはないが、旅芝居の雰囲気を濃厚に感じさせる村芝居の世界は出ていた。なによりセリフが役者によって肉体化されていた。DNAなのか桃山の元で役者として学んだことが生かされたのか、役者たちが気持ちよさそうにセリフを言っているのがよかった。
バクーニンをもってきたのはとても面白かった。アナーキズムと秩父困民党を結ぶものをもっと描き込むとよかったかと思う。あれはもっと突っ込んでもらいたかった。
あとで聞いた話ではここの宮司さんは、平岩弓枝の娘さんとのこと、この芝居のもとになっている忠治の話は、長谷川伸の世界とつながる。平岩さんは長谷川伸のお弟子さん、その意味でも関係はあったとのこと。これも聞くところによると、この場所は飛び込みで見つけたとのこと。たいしたもんである、この縁をぜひ繋いでいくべきだろう。
桃山ワールドは、桃山にしかできないこと、それはそれで水族館の血脈として続けていけばいい、例えば桃山が遺した芝居を演じ続けていくという道もあるだろう。それと別に秋浜の色で、いまの団員のやりたいものを模索していくのもとても必要なことになってくると思う。桃山ワールドを学んだ中で、自分たちの血となり、肉となっているものを核にして、自分たちのやりたいものをやっていくこと、それもまた水族館の道ではなかろうか。
旅興行どんどんやるべき,その中できっと本芝居の新たな台本も生まれてくるはずである。
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