MLBを見ながら、溜まっていた仕事をいろいろこなす。集中してやればできるものである。そして大谷君のホームラン。言うことなし。
9時半荷物を預けてチェックアウト、今日は暑い、それも半端ない。
まずは図書館へ。開館前に到着、待つ時間が暑かった。敦賀新聞の明治41年と42年を閲覧することが目的。ところが見始めたところでフリーズ。簡単なことか思ったら大事らしく、係員の方が次々に現れる。最初に受け付けたおばさんが横浜から来ているのでと係員の方に何度も言ってくれる。結局はデーターはDVDで見ることに。最初からそうしてくれたらよかったのにとは思ったが、みなさんいろいろやってくれたので文句など言っちゃいけない。閲覧自体はそんな時間がかからなかったが、1時近くになってしまう。港に向かう。途中気比神社の前にあったつけかもうどんという看板に目がとまり、入ってしまう。かも汁が抜群。美味かった。柱に伊勢太神楽の御札が貼ってあったので精算するときにその話をしたのがきっかけで、いろいろ話をしているうちに、ご主人が富岡の並木に住んでいたということで一挙に話が盛り上がる。まさか敦賀で富岡駅付近や並木の店の話をするとは・・・
歩いて港を目指す。とにかく暑い。さっきのうどんやさんがあった通りは神楽町というところだった。神社の近くということはあるのだろうが、お囃子が通りのスピーカーから流れる。
そして港へ到着。
かつての敦賀港駅は鉄道資料館となっている。
かつてはここまで電車で来て、ここから船に乗ってウラジオに行き、シベリア鉄道に乗って大陸をめざしていたんだと思いをはせる。展示室にはその当時の切符やパスポートなどが展示されていた。敦賀に惹かれるのは、やはりここが大陸と鉄道と船によってつながるその結節点だからだろう。
そしておそらくここから何組ものサーカス一座が大陸をめざして旅立っているはずだ。敦賀は人道の港ということで、ポーランド孤児、ユダヤ難民たちを受け入れた最初の町でもある。その歴史を振りかえる敦賀ルゼウムも見学。大事なことをこうして顕彰する施設があることはいいことだ。
歩いてまずはホテルまで戻る。とにかく暑い。せっかくなので途中気比神社にお参り。
荷物をピックアップして敦賀駅へ。
東京までは3時間ちょっと、うどん屋さんになんで米原に出てそこから新幹線で帰られないと言われたが、たしかにその方が近いのだろう。ただ北陸新幹線もそんなに遠くはない。車中持ってきた「蓑虫放浪」を読了。なかなか面白かった。
21時前に帰宅。すぐにシャワーを浴び、着替えて、ノンアルをぐっと喉に通したところで、ほっと一息。さすがに今回は暑さで消耗させられ、疲れてしまった。22時すぎに就寝。