午前中は掃除。珍しく玄関まで掃除。そんな時に郵便屋さんがハガキを。喪中のはがきだったのだが、それが三浦みどりさんが亡くなったという知らせであったのに、思わず絶句。十二月十三日に亡くなったという。年賀状を書くときに、そういえば最近みどりさんからのお知らせメールが来なくなったなと気になっていたのだが、まさか亡くなったとは。米原万里さんの次はみどりさん、優秀なロシア語通訳の方がまだ若くして亡くなるなんて・・・
みどりさんとは中央放送時代、ロメン劇場というジプシーアンサンブルの公演をしたときに通訳してもらったのが、最初で最後のお仕事のようなものだった。そのあとミミクリーチが衛星の番組に出たとき通訳していたみどりさんと再会して、なんとなく年賀状のやりとりやら、インターネットができるようになってからはメールのやりとりをしていた。みどりさんは私の流したニュースをロシア関係の人たちにすぐに紹介してくれた。ずいぶん元気づけられた。
優秀な通訳さんだけでなく、みどりさんはアレクシェービッチやアンナ・ポリトスカヤといったすぐれた時代の射撃者となるジャーナリストの仕事を著者と一体となって紹介していた。それは通訳という枠を越えた仕事だった。悔しい、そんな仕事をしてきたみどりさんがもういないなんて。
何があったのかはしらないが、とにかく悔しい。みどりさんがもういないなんて・・・
みどりさんとは中央放送時代、ロメン劇場というジプシーアンサンブルの公演をしたときに通訳してもらったのが、最初で最後のお仕事のようなものだった。そのあとミミクリーチが衛星の番組に出たとき通訳していたみどりさんと再会して、なんとなく年賀状のやりとりやら、インターネットができるようになってからはメールのやりとりをしていた。みどりさんは私の流したニュースをロシア関係の人たちにすぐに紹介してくれた。ずいぶん元気づけられた。
優秀な通訳さんだけでなく、みどりさんはアレクシェービッチやアンナ・ポリトスカヤといったすぐれた時代の射撃者となるジャーナリストの仕事を著者と一体となって紹介していた。それは通訳という枠を越えた仕事だった。悔しい、そんな仕事をしてきたみどりさんがもういないなんて。
何があったのかはしらないが、とにかく悔しい。みどりさんがもういないなんて・・・