デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

幕末の海防戦略

2023-11-29 16:07:46 | 買った本・読んだ本
書名 「幕末の海防戦略  異国船を隔離せよ」
著者 上白石実  出版社 吉川弘文館  出版年 2011

幕末の海防についての本で、しかもロシア船来航がどれだけ幕府の政策に大きな影響を与えたかということを詳述した本にも関わらず、基本的というかもっとも大事な名前の表記に間違いがあり、その他にも誤解を与える記述があるという、近代稀に見るひどい本だったので、メモとして残しておく。
まずリコルドをニコルドとしていること
レザーノフが連れてきた漂流民を光太夫としていること
著者も著者だが、歴史専門出版社の吉川弘文館ともあるものが、こんな基本的な間違いを校正できなかったというのはいかがなものだろうか。
それと気になったのは、
レザーノフの長崎来航について、ナデジダ号とネヴァ号を率いたレザノフが、長崎に来航したとあるが、これだとネヴァ号も来航したように受けとめられかねないのでは
また梅が崎という土蔵に士官を収容したとあるが、土蔵という表現はいかがなものであろう。中国の荷物を置く倉庫のところにつくった仮家であり、家屋であったはずだ。梅が崎の仮宿舎について土蔵という表現をいままで見たことがない。
とにかくこのようなひどい間違いをしていた本だったので、途中で読むのをやめてしまった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きつね

2023-11-16 05:30:27 | 買った本・読んだ本
書名 きつね
著者 ドゥブラヴカ・ウグレシッチ (翻訳奥彩子)
出版社 白水社   出版年 2023
不思議な小説だった。東京、ナポリ、ロンドン、アムステルダム、さらには著者の母国クロアチアなど舞台を転々としてがら、そこでふと現れるその土地の精霊の化身きつねが、迷宮のような物語の世界へと案内していく。しかもその物語の世界が、ピリニャークやハムルスのメンバー、レーヴィン、ナボコフといったロシアアヴァンギャルドに連なる作家をめぐるというなんとも魅惑的なものになっている。沼野充義さんとか奈倉友里さんのようなロシア文学読みの達人たちはこの本を読んで、おそらくどんどん世界がひろがっていくのだろうなとうらやましくはあったが、私のようなロシア文化をちらっとかじっているものでも十分に楽しませてもらった。そしてこの作家が巧みにつくりだす、虚実の仕掛けについて、それが真実なのかどうか気になってしかたがなかった。ピニリャークが利用としたという日本で育ったロシア人女性の手記はあったのか、レーヴィンの未亡人はほんとうにいて、このような人だったのか、ナボコフが探し求めていた蝶を発見したときの助手をめぐるエピソードは、ほんとうなのかとか、それとも作家がつくりだしたものなのか、そんな仕掛け満載の本であった。
この物語の底流には、移民問題がある。物語を紡ぎだすこの作家はディアスポラのひとりであり、彷徨うことを定められている。旅先で現れるきつねは、自分の化身でもあったといえるかもしれない。「(きつねは)永遠の密航者であり、世界を軽々と飛びまわる移民だ。無賃乗車で捕まったら、尻尾で球を回して、安っぽい得意芸を披露する。一瞬だけえられる賞賛の瞬間は、近視眼的に(ああ、きつねの弱点!)、愛のかわりとなる。それがきつねにとっての栄光の瞬間、あとは恐怖、狩人の銃弾と猟犬のやむことのない吠え声からの逃走の歴史だけ、迫害され、打ちすえられ、傷をなめ、侮辱され、孤独に、つかの間の慰めとして鶏の骨をしゃぶる歴史」と書くとき、物語の案内役をつとめていたきつねは、著者と一体化する。
語り手が、故国ザグレブ近郊の村に一軒家をもらい、そこに行くとすでに誰か住んでいたのだが、その男が地雷の取り外しをしているという設定、そしてその青年が地雷で亡くなるという「悪魔の庭」と題された3章は、かなり突き刺さってくるものがあった。そこにはディアスポラにとって故国は、センチメンタルなどというものを遥かに越えた過酷な意味をもつことを伝える。
サーカス学を志しているものとしては、2章の「均衡の芸術」がとても興味深く刺激的だった。サーカス学の大著「文化空間のなかのサーカス」の中で、オリガ=ペトロワが、サーカスの本質が均衡にあると繰り返したことを思い起こさせる。この章では、「いまの実験文学はサーカスにたとえると、さしずめ「小人」、髭女、ゴム人間あたり。サーカスの芸は世界最古の「芸術」形式で、わたしたちの多くがいまも文化的記憶として持っているものです。学術的な美学に則った裁定はなくなって、重要な芸術理論もいまでは死に絶えて、ただ一つ残された、芸術作品とそうではないもののちがいを決定する指針は、芸術の原始的概念に一番近いということ。ようするに、サーカスの芸ね」とか、「考えてもみなさいな。わたしたちが「芸術作品」として体験するものはすべて、何らかの方法でいつも、サーカス、市場の芸術につながっています。世界最古の芸術からそう」のように、さかんにサーカスと芸術について比喩的に語られているが、この章のエピローグに、シクロフスキイが1920年代に書いた「サーカスの芸術」という小論文が出てくるのには驚いた。この論文のことは知っていたが、読んではいなかったと思う。ここではこの小論の3分の2ほどが引用されている、これが「サーカスの困難さは、構成上の障害という一般的な法則に近い」とか「何よりも、サーカスの手法は「難度」と「恐怖」にある」など、オスラニエーニエなどにも通ずる、サーカスの本質に迫るものであり、これだけでも読んで良かったと思うものだった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南北戦争を戦った日本人-幕末の環太平洋移民史

2023-11-14 19:02:15 | 買った本・読んだ本
書名「南北戦争を戦った日本人-幕末の環太平洋移民史」
著者  菅(七戸)美弥・北村新三  出版社 筑摩書房  出版年 2023

南北戦争で兵士として戦っていた日本人がふたりいた、そのふたりは一体何者だったかということを、移民史を専門としている著者が、探っていくのが本書である。ふたりが従軍したのは、1863年と64年。正式に移民が許された時代より前のことである。著者がここで提示したのは、5つの可能性である。
廻船などで漂流し米国の捕鯨船などに救助された水夫
一八六〇年の遣米使節団(ボーハタン号)と咸臨丸からの逃亡者・行方不明者
一八六四年の池田使節団からの逃亡者・行方不明者
幕府から派遣された留学生
開港場(箱館・長崎・横浜)からの密航者
外国人が連れ出した使用人
著者はこれらをひとつひとつ検証していくのだが、結局はこのふたりが誰だったのかをつきとめることはできなかった。漂流民で帰国したものたちの記録は残るが、帰国しなかったもの、死んだものについての記録は残らない。おそらくはそうした漂流民のひとりか、外国人が連れ出した使用人ではないかと思う。特に外国人が連れ出した使用人が最初のアメリカの記録に残る移民であり、その年代も1860年ということを考えると、他にもいたのではないかと思う。自分がなによりも興味深かったのは、幕末に漂流して、マカオやアメリカで生活していた漂流民たちが、帰国したいのにもかかわらず、打ち首になるのではないかと帰国を非常に恐れていたことである。善六のことを考えると、こうした事実は時代背景が違うとはいえ、ひとつのメンタリティを考える時に大きな意味をもつのではないかと思った。本書でとられている調査方法も、海を渡るサーカス芸人調査でヒントになるものがあった。
歴史の底に埋もれている人たちを掘り出すことがいかに大変かということをあらためて思わされた本でもあった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

.北方領土探検史の新研究

2023-10-29 18:47:37 | 買った本・読んだ本
書名「北方領土探検史の新研究-その水戸藩との関はり」
著者 吉澤義一    出版社 水戸史学会   出版年 2003

先日北海道の北斗郷土資料館の学芸員の方と話をしているなかで、水戸藩が蝦夷地にかなり関わりあいがあり、間宮林蔵と水戸藩は深い関係にあったという話を聞いて、ちょっと気になっていたとき、図書館で樺太で検索して、ひっかかった本。著者は48歳で急逝されていたとのことだが、水戸藩と北方探検について、いろいろ新史料を発掘し、先鋭的な調査研究論文も出していたようで、この本はその論集となっている。本書の中で、「従来の研究では最も等閑視されてきた水戸藩北方探検史を知ることが、探検家相互の関係、幕府の蝦夷地対策、日露交渉史を考察解明する上で、重要なポイントとなる」という著者の指摘は傾聴に値する。水戸藩主がロシアの蝦夷接近にかなり危機感を感じ、藩として積極的にその防衛を訴え、そのために藩士や学者を北方に派遣するなかで、間宮や松浦武四郎と接点を持つことになったというのは、いままで知らなかったところだ。著者がここで発掘した木村謙次の蝦夷調査記録や、光太夫が江戸に連れられたきたときにその調査にいったときの記録などは読みたいと思ったし、水戸にある蝦夷史料も注意しないといけないという気になった。その意味では刺激的な一書であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フレップ・トリップ

2023-10-27 17:06:29 | 買った本・読んだ本
書名 「フレップ・トリップ」
著者 北原白秋    出版社 岩波書店(岩波文庫)  出版年 2007

樺太やサハリン関係の本をこのところ集中的に読んでいる。これは詩人北原白秋が、大正14年8月鉄道省主催の樺太観光団に加わって、二週間にわたって高麗丸に乗り、横浜から小樽、国境安別、真岡、本斗、豊原、大泊、敷香と巡遊したときの紀行文である。よほどこの旅が楽しかったのか、初めからかなりの躁状態で全編はしゃぎまわっている感じが、その文体からみなぎっている。かなり意識的にこのような文体にしたと思うが、とにかくよくもこれだけ続くなとおもうぐらいはみ出すようなリズムに貫かれている。牧野富太郎を手元に置きたくなるような、樺太の花々の名前が羅列されているのもひとつの方法論なのだろう。本人も意識しているが、完全なお上りさん旅行なので、そうした目線から樺太アイヌや露西亜人も、いわばひとつの見世物として捉えられている。なによりも興味深かったのは、豊原でサーカスと出会っていることだった。
「と、町へ入る左口、とある広場に、これまた大げさな灰色の天幕。
おお、あのトロンボオンは、
クラリネットは、
おお、あの喇叭
おお、太鼓は、銅鑼は、
そうだ、曲馬、曲馬。
滑走、滑走、滑走。」
面白いのは曲馬に、わざわざチャリネというルビがふられていることである。
樺太でサーカスというと思い出すのは、「ゴールデンカムイ」に切腹のヤマダ曲馬団がでる樺太編。樺太にもたくさんの日本のサーカスが行っていたとしても不思議はない。まもなく実写で「ゴールデンカムイ」の映画ができるらしいが、このシーンはあるのだろうか・・・
ちなみに、この本の標題となっているフレップ・トリップとは、フレップが赤い実、トリップは黒い実というツンドラ地帯の灌木から名づけられたものだという。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー

2023年12月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

バックナンバー