デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

別れを告げない

2024-12-09 05:39:12 | 買った本・読んだ本
書名 「別れを告げない」
著者 ハン・ガン(斉藤眞理子訳)  出版社 白水社  出版年 2024

今年のノーベル賞作家ハン・ガンの最新作。ノーベル賞作家ということで読もうということではなく、済州島事件(4・3事件)を扱った小説ということで、読もうと思った。
かなり読むのがしんどい小説であった。歴史小説ではなく、現在と過去を行き来しながら、さらにはこの島に住んでいた主人公(作者を投影されている)の友人との過去の経緯などが、主人公が友人の家を大雪の中訪ね、そこにいるはずのない友人との会話の中で語られるという、幻想と現実が溶け合ったなかで見事な小説世界が構築されているのだが、この独自の小説空間にはいりこむまでがしんどかったのと、やはりここで語られる済州島事件の悲劇と惨劇が鋭角に切り取られていることが胸に響き、それがきつかった。でもこのきつさに対峙しなければならないという決意が、このタイトルにこめられているのだろう。
ちょうど読んでいたとき、韓国では戒厳令事件があった。ハン・ガンもこの事件についてコメントしていた。多くの人はやはりハン・ガンが光州事件を題材にした小説「少年が来る」のことを思い出している。今度はこれを読まなければ。
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外岡秀俊という新聞記者がいた

2024-12-02 05:48:21 | 買った本・読んだ本
書名「外岡秀俊という新聞記者がいた」
著者  及川智洋  出版社 田畑書店  出版年 2024

いま新聞は存亡の危機に面しているといっていいだろう。ニュースは新聞でもテレビでもなくネットでということが当たり前のようになり、新聞もネット講読を進め、紙で新聞を読むということはどんどん減っている。スポーツ紙だが東京中日スポーツが紙での発行を来年からやめるというニュースも入ってきた。この波はさらに拡がっていくだろう。そうした中一番問題なのは、新聞が紙で存在する意義それ自体を自ら否定して、ネットニュースの手法を踏襲しようとしていることだ。そんなときにこの本が出版されたことの意義は大きいと思う。
新聞がまだ輝きを放っていた時代を記者として現場やデスク、さらには編集局長という管理者として、朝日新聞のまさに一線で働いてた外岡が退職後、朝日の後輩記者だった著者を相手に、長い時間をかけて、新聞記者としてなにをしたのかを語るオーラルヒストリーとなっているこの本は、外岡自身が、生前葬とも語っているように、単なる回顧談に終わっていない。新潟支社時代からはじまって、支社での記者生活、文化部での仕事、ニューヨークやロンドンでの海外での仕事、さちにはアエラ時代と、外岡が朝日新聞のエース的存在であったことが、よくわかる。記者生活での彼の姿勢は一貫していた。現場での取材、そして歴史的検証をしていることだ。時代になびくのではなく、歴史のなかでどう位置づけるかということを常に意識していたこと、これこそ新聞の一番の使命ではないか、そう思う。
もうひとつ大事なことは、安倍が最初に政権をとった時、外岡が権力がマスコミに介在してくることを予知、それに対して危機感をもって対処していたことだ。二度目に政権をとった安倍そして菅は、マスコミに圧力をかけ続け、そしてマスコミ側はそれに対して忖度ということで応じてしまった。外岡があの時持っていた危機感をほかのマスコミが共有できなかったこと、それがいまのような脆弱なマスコミの体制をつくってしまったのではないか、そんなことも気づかせてくれた。
外岡さんは同世代、彼の書いた「北帰行」は当時一番衝撃を受けた書だった。新聞記者を早期退職して、独自に東日本大震災を取材しながら、マスコミのなかではなく一ジャーナリストとして活動、最晩年彼が北方文化圏を意識しながら、またギアチェンジして次なるものを目指そうとしていたことを知って、いま自分がやろうとしていることは、これだと思った。どちらかというと新聞記者ではない外岡のことをずっと意識していたのだが、この書を読んで、新聞記者外岡秀俊もすごい人だったのだと思い知らされることになった。惜しい人を亡くしてしまったものだと改めて思う。

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鯨鯢の鰓にかく ~商業捕鯨 再起への航跡~

2024-11-07 22:00:25 | 買った本・読んだ本
書名『鯨鯢の鰓にかく ~商業捕鯨 再起への航跡~』
著者 山川徹  出版社 小学館   出版年 2024
タイトルでこれだけ難しい字が並ぶ本は珍しいのでは、「けいげいのあぎとにかく」と読み、鯨に飲まれそうになったけど、アゴのところでひっかかり助かったということで、絶体絶命の状況や、そこで命をかける人のことをいうとのこと。この言葉は、この書のある意味核になっている鯨博士大隅清治の言葉である。
著者がまえがきで書いているように、国際捕鯨委員会脱退、調査捕鯨から商業捕鯨に大きく舵を切ったいまの日本で、捕鯨問題が大きな問題としてとりあげられることはない、いまさら捕鯨かよということになるだろう。そんななか二度調査捕鯨船に乗り、さらに商業捕鯨船にも乗り取材を続けてきた著者が、捕鯨の問題をいまこそ、感情論抜きに冷静に見直し、もう一度振り返り、捕鯨の未来を考えるべきだと訴える力作ノンフィクションである。いままでこのテーマを追い続けてきたからこそ書けたもので、説得力をもった捕鯨の未来への提言ともなっている。著者の書は熱い語り口が特徴なのだが、ここではそれを抑えながら、静かに捕鯨の未来を見すえようとしている。そこに大隅の姿が重なり合う。捕鯨船に実際に乗った著者が、そこで鯨を捕る人たちと裸の付き合いをし、さらには調査捕鯨から商業捕鯨に切り替わるという時間差のなかで、かつて取材した捕鯨員たちの心の動きもとらえ丹念に描くことで、捕鯨する側の目線をしっかりと入れていることが大きな特徴となっている。そこで浮かび上がるのは、捕鯨の技術はいったん途絶えると、捕鯨が成り立たなくなるという事実である。捕鯨を続けるべきだというひとつの裏付けにもなっている。それ以上に説得力をもつことになったのは、大隅とじっくり付き合い、話を聞いたことで著者がしっかりと受けとめることができた大隅の生き方や考え方、クジラ博士としての苦悩などを描ききったことが大きい。
大隅の「南極海のクジラは、地球全体の財産、世界中の人にクジラ肉を食べろというわけではない、世界的に見れば、これから人口が増えていく。クジラに限らず南極海の生物資源を放っておいたら、世界的な食糧危機につながる恐れがある。海に頼れないなら陸へということになれば、いま以上に農業や牧畜が盛んになり、陸の環境が破壊されるおそれがある。それならいまあるクジラ資源を合理的に利用すればいい、クジラは全人類の福祉のために還元できる」
という主張はしっかりと受けとめるべきだろう。これが捕鯨の将来を考えるときに、一番大事な視点になるのではないだろうか。
クジラを食べている人がいなけれは、クジラを捕る意味がないのではないか、「石巻学」3号で牡鹿とクジラを特集したときにそんな疑問が常にあった。最近「クジラのレストラン」という映画が見たが、クジラ肉を美味しく食べる人たちやつくる人たちばかりを描いているのに、これじゃないと強く思った。その視点では捕鯨問題は解決できない。これだけ貧富の格差をひろがるなか、日本だけの問題でなく、食糧危機は訪れるし、いまも貧しい人たちは食べるのに困っている。そんな人たちにこのクジラという資源を利用することはとても大事になるはずだ。いまだけの問題ではなく、将来を見すえて、捕鯨を考えて行くことの大事さを本書は教えてくれる。調査捕鯨と商業捕鯨に変わったなかで、政府の援助はなく、商売として成り立たせないといけない、そのなかでこそ見えてきたものがあると著者は言う。「三二年にわたった調査捕鯨は新たな「知」を掘り起こし、「技」を維持する役割を果たした」という言葉は、調査捕鯨船だけでなく、商業捕鯨船にも乗ってクジラを捕る人たちを実際に見て、話を聞いた著者だけに説得力がある。
新たに建造された関鯨丸の初航海と、そしていままで捕られなかったナガスクジラの初漁という、日本の捕鯨が新たなフェーズに突入したいま、この書が出た意義は大きい。
最後に個人的エピソードをひとつ。
「石巻学」3号で私は大隅さんと対談をしているのだが、できあがった本を見た元捕鯨船員の父(この号には父の半生記を私が聞いた記事も出ている、父はこの記事をほんとうに喜んでくれて、ディサービスで通った施設には、この本がぼろほろになって残っていたと、ケアーマネージャが話してくれた。父の葬儀の時、そのことを思い出し、横浜から駆けつけた妻に頼んで、この本をもってきてもらい、柩のなかに入れた)が、この人と捕鯨船で酒を飲んだことがあるとつぶやいた。この話を大隅さんにすると、ほんとうです、お父さんのことを覚えていますとすぐに返事がきたことだ。大隅さんとは対談したあと少しだけお酒を飲んだが、私のサーカスの話にも興味をもって話を熱心に聞いてくれた。クジラ博士と少しだけだが、一緒の時をすごせたこと、つくづく良かったと思っている。
余談であるが、「石巻学」3号には、父の半生記の他、本書の著者山川徹の鮎川探訪記、大隅さんと私の対談なども入っている、残部僅少となっているが、在庫はあるので、ご希望の方は、私までお問いあわせを。http://deracine.fool.jp/books/isnmk/03.htm
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無理難題「プロデュース」します

2024-10-30 10:18:40 | 買った本・読んだ本
書名 「無理難題「プロデュース」します 小谷正一伝説」
著者   早瀬圭一   出版社 岩波書店  出版年 2011

神彰より前に、ソ連からレオニード・コーガンを呼んだ男ということで、ずっと気になっていたのが小谷正一であった。澤田隆治さんも小谷さんの事務所に通って、いろいろ教えてもらったことがあった、さらに一番尊敬するプロデューサーで、とうてい叶わない人と言っていた人物である。小谷は、毎日新聞で井上靖と同期、小谷をモデルにした「闘牛」で芥川賞を受賞したことでも知られている。いままで評伝が出ていなかったのが不思議なくらい、魅力的なプロデューサーである。満を持して世に出た本といっていいのだろう。毎日新聞や電通という大会社に勤めながら、一匹狼的な、天衣無縫な活躍をしたプロデューサーの仕事の一面を知ることはできたが、全体像までは描かききれなかったのではないかという気がした。650枚の原稿を400枚にしたということだったので、そのあたりにも問題があったのかもしれない。
毎日、新大阪、新日本放送で興業、プロ野球球団創設、ラジオ局の立ち上げという小谷が電通に入る前までのことに絞ったのは、彼の仕事の大きさを全部描くのは難しいという判断があったのだと思うが、それではやはり全体像は見えてこない。電通時代に手がけた仕事やその後独立してからについてはあまりにも端折りすぎだろう。澤田さんが、蘭の博覧会とか、東京国際映画祭とか、いまでもやっている大きなイベントを手がけながら、一回成功すると、それ以上同じことはしなかったと言っていたが、そのあたりのことはもう少し突っ込んでもらいたかった。亡くなったとき何億円もの借財をつくっていたということがエピローグで触れられているが、その背景についても知りたいところだし、そこで独立してから小谷がやりたかったことが見えてきたような気がする。コーガン招聘の経緯ももって知りたかった。小谷のようなプロデューサーとか、興行師のことは、やはり知りたいことがたくさんでてきてしまう。それはないものねだりなのかもしれない。
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弁護士布施辰治

2024-10-21 04:55:01 | 買った本・読んだ本
書名「弁護士布施辰治」
著者  大石進     出版社  西田書店   出版年 2010
岩波新書の布施の評伝「ある弁護士の生涯」は布施の息子さんが書いたものだが、これはお孫さんが書いたもの。息子や孫と二代にわたって評伝を書いてもらう人はなかなかいないのでは。
身近にいたからこそ、最初は嫌だと思ったことも含めて、布施の実像がくっきりと見えてきた。布施辰治の生涯の骨格がはっきり見えてきたし、これからどんなところをみていくのかという方向性らしきものも与えてもらった、そのためにどんな本や彼が書き残したものを読んだらいいのかもわかった。一番気になったのは、彼の弁護士活動の最期となった三鷹事件である。最初は共産党員たちとの共謀で逮捕された被告竹内が、単独犯を自供、他の党員たちは無罪になったのに対して、死刑の判決を受け、そのあと無罪を主張した竹内。ある時は弁護士を解任されたりするなか、そして正木ひろしや他の弁護士が無罪ではなく情状酌量により減刑するという方向にいたのに対して、一貫してその無罪を弁護しようとしていた布施の論点をきちんとまとめてくれたことにより、この事件のことがとても気になってきた。そしてこの事件の弁護姿勢の中、弁護士布施辰治の生き方が現れているように思われた。朝鮮についても著者は韓国のテレビ番組なども出演し、そのビデオの上映などもしていたようで、もしご健在なら会って、いろいろ教えてもらいたいとも思った。それにしても布施辰治、大きな存在であり、どこからとりついたらいいかわからない山のようでもあるが、登りたいと思わせてくれる人物である。ますます惹かれていくのを感じている。
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