デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

大分編3 オフ

2008-04-30 08:27:29 | お仕事日誌
朝ジョギング。大分の街は前にも何度かきているので、街のようすはあらかたわかっている。ホテルから大分川に出て、川沿いを走る。帰って屋上の展望風呂に入る。9時朝食。今日はオフ。メンバーは自由行動。部屋でしばらく雑用、会社との連絡。昼前に部屋を出て、中津へ。以前世話になった人と面会。ここまで来たので、前から行きたかった古要神社へ行くことに。タクシーでいけばわかるかと思ったが、運転手さんもわからず、事務所と連絡をとりながら向かう。着いてそれがよくわかった。荒れ果てた無人の神社。簡単な紹介の看板が立っているだけ。日本芸能史に必ず出てくる神社なので、そこそこ大きい神社だと思っていたのだが、完全に期待を裏切られた。そのまま大分に戻り遅い昼食をとって部屋に戻る。持ってきたエノケンのDVDを見る。「近藤勇」。最後の寺田屋襲撃のシーンは見事。最初に女中たちがボレロの音楽をつかって食膳を渡していくシーンのしゃれていること。宝塚の階段のような使い方でのフィナーレの粋なこと。見事であった。
炉端屋で晩飯。開店したばかりということで大繁盛。結構飲んでしまう。部屋に戻ってなにをすることもなく、そのまま就寝。


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大分編2 下見

2008-04-29 09:30:57 | お仕事日誌
9時すぎに目が覚める。朝飯の時間はすぎてしまっているので、駅前のドトールで朝飯。今日は昭和の日ということがあるのか、右翼の宣伝カーが群れをなして、轟音を発している。うるさい!11時前には全員集合、オリガがカザフに電話したいというのでコンビニでカードを購入。バスでパークプレイスに向かう。天気がいいこともあるのだろうが、ものすごい人が集まっている。すでに立てられている空中もの用のトラスと演技場所を見学、太陽の位置が気になるようだ。軽くオープニングとフィナーレの練習をする。30分ほど見て、ホテルに戻る。自分はスタッフさんと残り、昼飯を食べる。見たかった映画「モンゴル」を上映していたので、見ることに。骨太の歴史ロマン劇。浅野のヂンギスハーンも立派。なにより映像がきれいだし、CG映像を見せられすぎなのだが、ロケを金かけてきちんとやっているので、迫力ある。映画が終わったのが16時前。ウクライナのでは9時。さっそく芸人さんに電話。ビザがおりたかどうかを確認。10分前にもらったという。良かった。問題はないと思っていたが、なにせ時間がなかったのでちょっと心配だったが、これで安心。ジャスコで買い物してバスでホテルに戻る。
部屋でメールをチェック。広沢虎造の浪曲を聞くこめにIpodを買った来たのだが、その設定に苦労する。モングルフリークの福田さんに、モンゴルの映画を見た方がいいと電話をしたら、すでに見ていたという。そのあと映画の感想と福田さんのモンゴルの蘊蓄話しを聞かされる。さすがモンゴルについては詳しい。勉強になった。飯でも食いに行こうかとエレベーターにのったときにサーシャと出くわす。一緒に飲もうということになり、デニスの部屋でウォッカを飲み始める。デニスが持ってきたソ連時代のコメディーのDVDを見ながら、ちびちびやる。このコメディーが結構笑わしてくれる。良き時代の良き喜劇とでもいうべきか。すきっ腹にウォッカを飲んだので、しんどい。これではいかんということで、22時すぎに皆に別れを告げ、駅前で冷麺を食べて、部屋に戻り、そのまま就寝。

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大分編1 出迎え

2008-04-28 17:52:59 | お仕事日誌
世の中すでにゴールデンウィークに入っているらしい。自分はいよいよ今日からカザフサーカスのメンバーと大分入りだ。10時出社。簡単に打ち合わせ。ストレンジフルーツと大道芸も無事終わった。メルマガの最後の編集、トリミングを同僚に頼み、14時前に会社を出発。16時の飛行機で福岡へ。機内で春名さんの「初めて世界を見た男たち」の重吉のところを読み返す。やはり鋭い読みである。国際線で待っていたら、マニラ便から降りてきた男のもとに、三人の男が警察手帳を見せて、同行を求めるのに出くわす。男の方も別に慌てた風もなく応じた。あれで逃走なんかするといい見せ物が見れたかもしれない。
20時すぎにカザフのメンバーがナースチャも入れて7人出てくる。皆元気そう。11月末に別れたから、四ヶ月ぶりの再会になる。ナースチャは相変わらず絶好調、元気満々である。車で大分に移動。2時間ぐらいと聞いていたが、山の中を通る高速はガラガラで、走る走る。22時すぎにはホテルに到着。食事代を渡し、解散。彼らは今日朝3時ぐらいから空港にいたはず。疲れているだろう。
スタッフの人と軽く飲みに行く。2時ホテルに戻る。荷物を適当にかたして、すぐに就寝。気になることがひとり残っている。ウクライナ組のビザがまだおりていないという。今日は領事館が休み。明日おりるとは思うのだが・・・

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エノケン・ロッパの時代

2008-04-26 18:24:05 | 買った本・読んだ本
書名 「エノケン・ロッパの時代」
著者 矢野誠一  出版社 岩波書店(岩波新書) 出版年 2001年

澤田さんの「決定版私説コメディアン史」を読んでいたら、エノケンとロッパのことをもう少し知りたくなり、購入する。澤田さんが、戦後引き揚げてきて最初に見たのが「東京五人男」であったと印象的に回想していたが、本書の著者の矢野誠一も、国民学校五年生の時見たこの映画のことを鮮明に思い出す。戦後まもなく戦前の喜劇スターたちがすぐに舞台に戻り、喜劇を演じていたことにも驚かされたが、戦後初の正月映画として封切られたこの映画に、いかに笑い転げ、暖房のない映画館でどれだけ笑って汗をかいたということを読むときに、大衆がどれだけ笑いに飢えていたかを知る。だからこそすぐに喜劇の黄金時代が訪れたのだろう。本書では新書という限られた頁数のなかで、この時の二大スターであったエノケンとロッパの戦前の活躍、戦時中のふたりの対応のしかた、さらには戦後の黄金時代のあとの不遇まで、じっくりと書き込んでいる。
ふたりがしのぎを削りながら活躍した戦前の浅草、そして丸の内の劇場都市としての賑わいぶりも蘇ってくる。
演芸界に生きる人々の評伝を数多く書いている著者ならではの、なぞっただけでない、読みごたえのある評伝となった。それにしても文字でしかたどることができないが、戦前の浅草のオペラ、喜劇がいかに多彩であっただけでなく、どこかアヴァンギャルドな先駆性をもっていたことに驚かされる。
エノケン・ロッパのふたりとも戦後決して恵まれたとはいえない晩年をおくっているのがなんとも切ない。人々に笑いを通じて、生きる喜びを与えてきたのに、その報酬としてはちょっとむごいような気がする。でもそれがコメディアンの宿命なのかもしれない。
満足度 ★★★


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決定版私説コメディアン史

2008-04-25 15:39:44 | 買った本・読んだ本
書名 「決定版 私説コメディアン史」
著者 澤田隆治 出版社 筑摩書房(ちくま文庫) 出版年 2003年 定価 1000円(+税)

現在進んでいる澤田さんとの対談のなかで、この本のことが話題になり、そういえばこれは読んでいなかったことに気づき、あわてて購入した。去年同じちくま文庫から出た『上方芸能列伝』と同じように、文庫にするにあたって、大幅な加筆、補筆がなされている。それは対象とする相手が、芸能という生き物だから、当然のことであろう。お笑いの仕掛け人、イベントプロデューサー、いろいろな側面をもつ澤田さんだが、やはり喜劇をつくるというのが一番の原点であることを知る。少年時代朝鮮から引き揚げてきた澤田さんは、貪るように喜劇映画を見ていた。このとき見たエノケンやロッパの映画が、テレビのディレクターとしての原点であった。その意味で、この本がエノケンから始まるのはよく分かる。それから朝日放送に入社し、演芸番組のディレクターを志願し、まわりからあきれられながら、数多くの喜劇人たちと一緒に仕事をするなかで、驚異的な視聴率をとった「てなもんや三度笠」さらには「花王名人劇場」という名作をつくっていく。実際の制作現場で一緒に仕事をしたコメディアンたちの素顔、笑いをつくるためにいかに必死になっていたかが、愛情込めて描かれる。「上方芸能列伝」がそうであったように、この本も澤田さんでしか書けない本である。
決定版には三つのあとがきがおさめられている。「私説コメディアン史」、「定本私説コメディアン史」、そして本書決定版のためのあとがきである。それを読み比べていくと、澤田さんのその時点での喜劇、コメディアンに対するスタンスがよくわかる。それは澤田さんが映画館のなかや劇場のなかで見、戦後の喜劇ブームのなかで、新たなメディアとなったテレビという現場でつくってきた喜劇、そしてそれを演じていたコメディアンたちが、すでにそのかたちを失くそうとしていることの認識である。笑いがかたちを変えることはテレビの現場で生きてきたからこそわかってはいるが、でもコメディアンということにこだわり生きてきた人たちへの愛惜には限りないものがある。だからこそ澤田さんは、古いプログラムやチラシ、台本などを集めながら、残そうとしているのだと思う。その意味で、この決定版のために全面改筆となった「さて、どうするコメディアン」のなかで、「たとえ一人になってもコメディーを続ける、そんなコメディアンがいるかぎり、私はコメディアンを見捨てられないのだ」と書くのだろう。
確かに芸人という名のもとで、お笑いタレントがテレビのなかに氾濫しているが、コメディアンと呼ぶことができるタレントさんはいるのだろうか・・・
満足度 ★★★★


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