昨日まで家に来ていた娘からとてもいい写真だからといって孫とのツゥーショットの写真が送られてくる。確かにこれはいい写真だ。
朝から降っていた雨も10時過ぎにはあがり、歩いて杉田まで買い物にでかける。JR新杉田駅とつながっているビーンズでまぐろのサクとたこ、お昼用に崎陽軒のいなり寿司を買って、帰りも歩いて帰る。
お昼を食べてからは、机の上やら、パソコンの中のドキュメントを整理しながら、なんとなく気持ちは明日からはじまる来年への準備。ずっとやらなければと予定表に入れながら、結局手つかずの事案がいくつもある。ちょうどいい具合に頼まれ原稿は一区切りついている時期になったので、それに手をつける準備というか、心構えをするという感じか。その中のひとつは古文書、まだまだ自習だけというのは無理なので、オンラインの講座がないか調べてみる。結構あるようだ、これを受講するのが一番かと思う。ちょうど1月からはじまる講座の申し込みがあったので申し込み(ただ抽選なのでどうなるかはわからない)。
今年買ったCDを聞きながら作業をする。ジョニ・ミッチェルの奇跡の復活ライブを聞いていた時、メッセンジャーに着信音。クリューコフからだった。
一昨日ウクライナ各地にかなりひどい攻撃があり、キエフでもかなり犠牲者がでたというので、気になっていた。新年の挨拶だった。しばらくご無沙汰だったが、息子も奥さんも「パカー(いまのところ)元気だ」というのでとても安心。「いまは自宅から電話している、ミサイルにあたるかどうかロシアンルーレットのようなものだ」という言葉が刺さる。「とにかくまたお前とキエフで飲みたい、それが一番のメチター(夢)だ」という。ほんとうだ。そんな日が絶対来るからと、信じたい。最後にいい年を、なにより平和(ミール)をと言って電話をきる。心配していたし、気になっていたので、とてもうれしい電話だった。
年越しそばを食べてから、就寝前に五島のジンを飲みながら、録画していた石巻のイリーナさんのドキュメンタリーを見る。とてもいい番組だった。イリーナさんは故郷のことを思い(特に残している次男のこと)、震災のあとがまだ残る石巻で語り部としての活動もしている、彼女が最初のころはどこにも出たくなかったという言葉にも胸が痛くなったが、それをいろいろな活動を通じて前を歩こうとしているその姿には胸が打たれる。
22時過ぎに就寝。