デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

パッチギ!対談編

2005-08-31 18:14:39 | 買った本・読んだ本
書名 「パッチギ!対談編-喧嘩、映画、家族、そして韓国」
著者 李鳳宇 四方田犬彦
出版社 朝日新聞社 発行年 2005年 定価 1300円+税

映画「パッチギ!」は、井筒監督の剛速球のストレートに打ちのまされ、嗚咽どころかどうしようもないくらい泣かされてしまった。時代背景となった1968年が、自分が一番多感であり、揺れ動いてた高校一年の頃、あのころのことがどうしても重なりあわさってきたということもあるのだろう。
この本は、自分の青春時代をこの映画に投影させたフロデューサーの李が、「ハイスクール1968」という、私にとってはこれまたぐっと胸に迫ってきた本を書いた四方田犬彦という格好のパートナーを得て、思う存分映画、韓国、それぞれの青春時代を語り尽くしたものである。そもそもは、1998年に出た「先に抜け、撃つのは俺だ」という二人の対談集がもとになっている。ここでふたりはあますことなく、お互いのことを語り明かしている。李はこの時の話をもとに、映画「パッチギ!」のヒントを得たのだろう。
李とは井筒監督と一緒に、渋谷の焼き肉屋で食事したことがある。非常にクールで、クレバーな人だというのがその時の印象なのだが、この書を読んで、結構熱い男なのだと思った。ここではずいぶん正直に自分のことを話している。

生まれ育った京都の東九条の話し、朝鮮総連の幹部をしていたおやじさんの話し、喧嘩に明け暮れた朝鮮高校での話しなどついついのめり込んで読み入ってしまった。いろいろな意味でおやじさんに反撥しながらも、やはりおやじさんのことを尊敬しているとなんのてらいもなく話す李に好感をもった。
こうした話しを引き出す四方田の話しも面白いのだが、ほとんどは「ハイスクール1968」に書かれてあることなので、やはり李の話しに引き込まれてしまう。
ソルボンヌで映画三昧に明け暮れ、そこで映画の仕事をしようと決意、日本に戻り、映画の配給制作の仕事をするのだが、このあたりの話しも実に面白い。彼はすごい興行師だと思う。自称プロデューサーはたくさんいるが、神彰のような天才的ともいえる興行師のセンスをもっている人間はそういない。自分の勘とセンスを信じ、目的を達するまでの執拗なアタック、こけても平気でいられる図太さ、まさに神彰と肩を並べることができる、興行師のひとりだと思う。
もう会って話すこともないだろうが、これからの彼のやることにしばし注目したいと思わせた本でもあった。

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ディアスポラ紀行

2005-08-31 12:34:54 | 買った本・読んだ本
書名 「ディアスポラ紀行-追放された者のまなざし」
著者 徐 京植
出版社 岩波書店(岩波新書)  発行年 2005年 定価 740円+税

ギリシャ語で離散を意味する「ディアスポラを、著者はこう定義している。
「近代の奴隷貿易、植民地一支配、地域紛争や世界戦争、市場経済グローバリズムなど、何らかの外的な理由によって、多くの場合暴力的に、自らが本来属していた共同体から離散することを余儀なくされた人々、およびその末裔を指す」
デラシネは根無し草だが、勝手にふらつくことを自ら選択したものである。それに対してディアスポラは、離散を余儀なくされた人々であり、犠牲者である。重みがちがう。著者自らも在日朝鮮人二世として、ディアスポラの烙印を受け、生きることを余儀されている。著者は、ディアスポラの宿命を背負った人々の足跡を追って、ロンドン、ザルツブルク、カッセル、光州などを訪ねる、本書はその旅の記録である。著者を旅に駆り立てるもの、それは同じディアスポラとしてのアイディンティティーを必死になって求めよう、その痛みを共有しようということに他ならない。「紀行」という軽いタイトルが付せられているが、実際その旅の足跡は、深く重い。ただそれを続けなくてはならないという定めを自分に課している真摯さが胸を打つ。
弱者を果てしなく生み出そうとしている世界のいまを見る時、この書の重い鎖を引きずるようなこの書の意義は大きい。この重みを、私たちは少しでも共有すべきであると思う。

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8月も終わり

2005-08-31 11:16:09 | お仕事日誌
「めざまし」の占いでは、最下位だったのだが、何故かいいことが続く。弟のところが、無事退院というメールが、写真付で送られてくる。明子ちゃんをダッコしている弟もなかなかさまになっている。来週ぐらいには顔を見に行けると思う。
ずっとやりとりしていたANAのマイレージ未加算の件で、やっと折り合いがつきそうになった。成田-ウィーンの分なので、加算されると大きい。ねばった甲斐があったということだ。
午後からずっとやろうと思いながら、延び延びにしておいた、パソコンの初期化と、データー移動に取り組む。Cディスクの領域を6GBから30GBに増やして、初期化。それから外付けHDDに移動していたアプリケーションとデーターを移す作業へ。ドキドキしながらの作業だったが、スムーズにいく。再起動をかけると、すっかり元通りに。ヤッタ!という感じ。これでいままでイライラしていたことが、すべて解消される。
20時原宿のとんちゃん横丁で、久しぶりにT氏と一献交える。古い付き合いだから、互いの娘の成長ぶりなどの話しなどで、盛り上がる。山手線に乗ったら、万歩計が落ちているのを発見。いいことは続く。半年前に万歩計を落としていたので、ラッキーという感じである。
品川から新杉田まで出て、タクシーで帰宅。今日で八月も終わりである。




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久しぶりに褒められた

2005-08-30 10:39:27 | お仕事日誌
10時半すぎ出社、すぐに歯医者へ。一ヶ月検診。前回、歯磨きの指導を受けて、ちゃんときれいに掃除しているかどうかがポイント。一通り診てもらったあと、よく丁寧に磨いていると褒められる。考えてみればこんな風に人から褒められるなんてことは久しくなかったので、なんかうれしくなる。
夏のイベントもそろそろ終わり、秋のイベントの準備も平行して進んでいる。ということ帰国手配やら、来日準備などがいろいろある。今年の秋は、いつものようにリトルべたではなく、ルスツ組を連れて、姫路の立ち上がりに付き合うことになる。ルスツでできあがっている番組なので、そんなに大変ではないと思うが、ブランコが抜けた分のヘルプとか音響、新しい通訳のことが問題になるだろう。
18時すぎ会社を出て、国際サーカス村協会の月例会に出席。7月シャロン、アヴィニオンのフェスティバルを視察してきた大野の報告。なかなか充実した内容だった。
出席者のデラシネ読者から、ぽんぽん大丈夫と聞かれる。あれだけ痛い、痛いと書いていたからなあ。ちょっと反省。品川駅で立ちソバを食べて、10時半すぎ帰宅。
ビールを軽く飲んで早めに就寝。

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豊島園組送別会

2005-08-29 11:56:07 | お仕事日誌
10時出社。久々に全員そろってのミーティング。また9月に入るとみんないろんな現場をかかえ、出張も多くなるので大変だ。スケジュール関係、それぞれの仕事についての報告のあと、フール祭の打合せ。今回は助成金がおりないということが一番のネックなのだが、そのハンディーを乗り越え、何ができるのかということをめぐっての話し合いが続く。ベストの道を探すのは困難なことであり、いずれにせよ赤字を背負っての公演になるわけで、それをどうこなすかということになる。やっと方向性が見えてきた気がする。
なかなか連絡ができなかったアーティストにメール。英語だったりロシア語だったりすると、どうしも滞ってしまう。突然スイスのパフォーマンスグループから電話、以前スイスで見てえらく感動したのだが、日本公演を考えているらしい。資料を送ってもらうことにする。
17時ACCにで働きたいという大学生が面接に来る。とりあえずバイトしてもらうことに。
18時会社を出て豊島園へ。考えてみれば、来た日とリハの日しか行っていない。明後日楽日。早いものである。19時からのショーを見る。ロシア組は1日早くに出るということもあり、公演後ACCのメンバーだけでの送別会。みんなそれぞれ今回の仕事を楽しんだようだ。なによりである。1月のオーディションで大活躍してくれたイーゴリから、その苦労話をいろいろ聞かされる。本当に大変だったようだ。でも彼が一生懸命やってくれたことで、こうして豊島園や、秋のリトルや六本木に企画を提案できたわけである。
22時半すぎにお開き。品川の最終に乗って帰宅。

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