書名 「パッチギ!対談編-喧嘩、映画、家族、そして韓国」
著者 李鳳宇 四方田犬彦
出版社 朝日新聞社 発行年 2005年 定価 1300円+税
映画「パッチギ!」は、井筒監督の剛速球のストレートに打ちのまされ、嗚咽どころかどうしようもないくらい泣かされてしまった。時代背景となった1968年が、自分が一番多感であり、揺れ動いてた高校一年の頃、あのころのことがどうしても重なりあわさってきたということもあるのだろう。
この本は、自分の青春時代をこの映画に投影させたフロデューサーの李が、「ハイスクール1968」という、私にとってはこれまたぐっと胸に迫ってきた本を書いた四方田犬彦という格好のパートナーを得て、思う存分映画、韓国、それぞれの青春時代を語り尽くしたものである。そもそもは、1998年に出た「先に抜け、撃つのは俺だ」という二人の対談集がもとになっている。ここでふたりはあますことなく、お互いのことを語り明かしている。李はこの時の話をもとに、映画「パッチギ!」のヒントを得たのだろう。
李とは井筒監督と一緒に、渋谷の焼き肉屋で食事したことがある。非常にクールで、クレバーな人だというのがその時の印象なのだが、この書を読んで、結構熱い男なのだと思った。ここではずいぶん正直に自分のことを話している。
生まれ育った京都の東九条の話し、朝鮮総連の幹部をしていたおやじさんの話し、喧嘩に明け暮れた朝鮮高校での話しなどついついのめり込んで読み入ってしまった。いろいろな意味でおやじさんに反撥しながらも、やはりおやじさんのことを尊敬しているとなんのてらいもなく話す李に好感をもった。
こうした話しを引き出す四方田の話しも面白いのだが、ほとんどは「ハイスクール1968」に書かれてあることなので、やはり李の話しに引き込まれてしまう。
ソルボンヌで映画三昧に明け暮れ、そこで映画の仕事をしようと決意、日本に戻り、映画の配給制作の仕事をするのだが、このあたりの話しも実に面白い。彼はすごい興行師だと思う。自称プロデューサーはたくさんいるが、神彰のような天才的ともいえる興行師のセンスをもっている人間はそういない。自分の勘とセンスを信じ、目的を達するまでの執拗なアタック、こけても平気でいられる図太さ、まさに神彰と肩を並べることができる、興行師のひとりだと思う。
もう会って話すこともないだろうが、これからの彼のやることにしばし注目したいと思わせた本でもあった。
著者 李鳳宇 四方田犬彦
出版社 朝日新聞社 発行年 2005年 定価 1300円+税
映画「パッチギ!」は、井筒監督の剛速球のストレートに打ちのまされ、嗚咽どころかどうしようもないくらい泣かされてしまった。時代背景となった1968年が、自分が一番多感であり、揺れ動いてた高校一年の頃、あのころのことがどうしても重なりあわさってきたということもあるのだろう。
この本は、自分の青春時代をこの映画に投影させたフロデューサーの李が、「ハイスクール1968」という、私にとってはこれまたぐっと胸に迫ってきた本を書いた四方田犬彦という格好のパートナーを得て、思う存分映画、韓国、それぞれの青春時代を語り尽くしたものである。そもそもは、1998年に出た「先に抜け、撃つのは俺だ」という二人の対談集がもとになっている。ここでふたりはあますことなく、お互いのことを語り明かしている。李はこの時の話をもとに、映画「パッチギ!」のヒントを得たのだろう。
李とは井筒監督と一緒に、渋谷の焼き肉屋で食事したことがある。非常にクールで、クレバーな人だというのがその時の印象なのだが、この書を読んで、結構熱い男なのだと思った。ここではずいぶん正直に自分のことを話している。
生まれ育った京都の東九条の話し、朝鮮総連の幹部をしていたおやじさんの話し、喧嘩に明け暮れた朝鮮高校での話しなどついついのめり込んで読み入ってしまった。いろいろな意味でおやじさんに反撥しながらも、やはりおやじさんのことを尊敬しているとなんのてらいもなく話す李に好感をもった。
こうした話しを引き出す四方田の話しも面白いのだが、ほとんどは「ハイスクール1968」に書かれてあることなので、やはり李の話しに引き込まれてしまう。
ソルボンヌで映画三昧に明け暮れ、そこで映画の仕事をしようと決意、日本に戻り、映画の配給制作の仕事をするのだが、このあたりの話しも実に面白い。彼はすごい興行師だと思う。自称プロデューサーはたくさんいるが、神彰のような天才的ともいえる興行師のセンスをもっている人間はそういない。自分の勘とセンスを信じ、目的を達するまでの執拗なアタック、こけても平気でいられる図太さ、まさに神彰と肩を並べることができる、興行師のひとりだと思う。
もう会って話すこともないだろうが、これからの彼のやることにしばし注目したいと思わせた本でもあった。