天気予報通り、窓を開けるとしとしと雨。今日は走って行きたいところがあったのだが、あきらめる。
シャワーを浴びたあと、昨日買ってきたパンで朝食。コーヒーを入れ2日間のメモをまとめる。ロビーだけは無線が使えるのでメールの返事をしておく。チェックアウトの10時ぎりぎりまでいて、雨の中まず駅に向かう。コインロッカーに重たいリックを入れ、少し身が軽くなる。今日は北上閘門から北上運河沿いを歩こうと思っていた。雨は降っているが、約束は午後からなので、決行する。昨日本間さんのところで地図を見て北上閘門の場所はチェックしておいた。歩いて40分ほどで北上閘門に着く。川向こうにある専修大学からアナウンスがばんばん聞こえてくる。どうもマラソン大会か駅伝大会をやっているようだ。さて北上閘門立派なものである。ここから北上運河がスタートすることになる。
いずれやってみたいと思っている北上川源流を求める旅の足ごなしということで、運河沿いをずっとたどってみようと思い立った。この北上運河は野蒜築港のためにつくられたもの。もちろん一日では無理なので、とりあえずは何回かかけてこの北上運河を走破し、そのあとは貞山運河を歩いてみようかと思っている。今日がその歴史的な(?)スタートとなる日でもある。雨も降り、駅での応対にテンションはかなり下がっていたのだが、こうした旅のはじまりとなるとなんとなくワクワクしてくるし、運河歩きというアイディアも悪くないなと勝手に自画自賛しているうちにだんだん楽しくなってくる。しかも当てにしていなかったのだが、道が整備されている。運河の流れは静かでなにか淀んでいるように見える。どのくらい歩いたのだろう。大街道の国道にかかる橋のところまで来たところでとりあえず今日は終了。
2時間以上は歩いたことになる。ありがたかったのは雨がほぼやんだこと。あまり変化がある道のりではなく、単調といえば単調だったのだが、こういうかたちで歩くのは久しぶりだったので楽しかった。腹もすき、疲れてこともあり、まずはランチタイム。今日は夜もとれるかどうかわからないので、がっつり系でいくことに。トンカツ屋に入る。そこそこいい値段だったので自分は880円のメンチカツ定食にする。
最初の約束までまだ時間がたっぷりあるので、市役所のあるビルの喫茶店でお茶をする。椅子に腰をおろした瞬間からぐったり、眠くなってきた。このまま帰りたくなってきたのだが、そんなことも言ってられない。
2時過ぎにニューゼへ。ちょうど子どもが集まってこども新聞作成の作業をやっていた。なかなかにぎやか、活気があってよろしい。
館長さんと打ち合わせというよりは現況についていろいろお話を聞くことに。政治でも行政でもいろいろ動きがあるようだ。子どもたちが帰ったあと子ども未来新聞を一緒につくっているスタッフさんを紹介される。そして話しを聞いたらびっくり、一年ぐらいかけて若宮丸をテーマに子ども未来新聞でとりあげていくという。これはうれしい話しではないか。いままでも学芸会でとりあげられたりしたことはあったが、こうして本格的に子どもたちが若宮丸のことをとりあげるということは、初めてだろう。彼らがどんなことに興味をもち、どう紙面に生かしていくのか楽しみではないか。
また今度来るときにいろいろ話し合うことにする。まずはとりあえずスタッフの皆さんに若宮丸の資料を送ることからはじまる。館長の武内さんが、とにかく若宮丸のことをサン・ファンと並ぶものにしたいとおっしゃっていたが、これもうれしいこと、希望は未来だけでなく、過去にもあるんですよねという言葉が胸に沁みた。16時前にお暇して、近くの街の本棚へ。
いまここでは一箱古本市が谷根千であったとき羽鳥書店で二日間だけやっていた女川一中の句あの日から展示会をしている。この本をつくった小野さんが今日はここで茶話会を開くというので、参加させてもらうことになった。小野さんの「女川便り」はこちら。http://www.hatorishoten.co.jp/onagawa-dayori.html
小野さんはこの日今年女川中学を卒業し、いまは石巻高校に通う、前生徒会長の木村峻哉君を同行し、小野さんが彼に質問をして、それに対する峻哉君の答えにわれわれが突っ込むというかたちで進行した。1時間半ぐらいだったかと思うが本当に濃厚な時間であった。俊哉君たちが女川中学に入学したのはあのあとの4月である。そしてあの命の石碑のプロジェクトは彼らが一年の時に始めたものだという。絆のプロジェクト、記録を残すプロジェクトともうひとつのプロジェクトと三つに分かれて、生徒がそれぞれさまざまな意見を出し合い、そして究極的にはあの石碑ができたという。
本が大好きで小説家になりたいという彼のとてもはっきりとした言葉に感動した。特に今年の卒業式で彼が書いた答辞を読んでくれたのだが、これには泣かされた。あの小野さんの本の最後の答辞にも泣かされたが、今日はまた一年の時から被害に遭い、そしてずっと仮設で暮らしてきた彼の率直な気持ち、未来への希望があの場で聞いていた我々ひとりひとりの胸に届いてきた。
あまり時間はないのでゆっくりはできなかったが、ほんとうに若い力に鼓舞された一日となった。
希望ということばがしっかりと輝きをもった一日だった。
ここに来るまではもう帰ろうかなんて思っていたが、なにか若い力に元気をもらったような気さえしてきた。
慌ただしく皆さんに挨拶をして、石巻駅に向かう。缶ビールを買って、石巻線の電車に飛び込む。
小牛田で乗り換えた時はまだ薄暮。うっすらと木や畑のかたちが見える。それがしだいに暗くなるとまったく見えなくなり、遠くで灯る明かりだけが目に入る。こういう景色に旅情がかきたてられる。
若い力をまじかに感じるなかで、なにかひとつ見えてきたものがあった。しばらくこの線で行ってみようと思うと、なにか力が涌いてくるのを感じる。彼らのおかげだな。
仙台駅ではやぶさに乗り換え、コンビニに買ったおにぎりとビールで簡単に夕食を終わらせ、あとはひたすら寝る。
23時過ぎに帰宅。軽くハイボールを飲んで就寝。