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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

北海道冬の旅4

2024-01-07 15:16:44 | 
展望台から日の出を見ようと思って6時50分前に上に行くが、曇り空で東の方がうっすらと明るいだけで日の出は見えず。

オホーツクにはガスがかかっていてなかなかいい風景だった。一番で朝飯を食べ7時半にはホテルを出る。また冷え込みがきつく路面はつるんつるん、歩くたびにぱりぱりと氷が割れる音がする。札幌の娘がとにかくペンギンのように歩くように昨日ラインがきたが、いまいち感覚はつかめないが、すべりすべり駅にたどり着く。そば屋がしまっていたのが残念、絶対にうまい立ち食いそばだったろう。

電車がでる40分ほど前に着いたので最初はひとりだけだったが、今日は三連休の中日の日曜ということもあってぞくぞくと人がやってくる。改札が始まったときの温度は〇度だった。青春18切符に5回目のスタンプを捺してもらって入場。

電車はほぼ満員。8時27分発車。昨日は真っ暗で外の景色はまったく見れなかったが、この花咲線は沿線にいろいろ見所が多いらしい。まずは隣の駅東根室は日本最東端の駅、

そして何カ所か車窓景色みどころポイントでは電車はスピードを落としてくれる。太平洋の景色、鶏冠が赤い大きな黒い鳥、シカの群れ、厚岸の沼など見所満載の2時間半だった。

10時50分すぎに釧路着、ここでパンを買い、特急おおぞらに乗り換え。一昨日札幌から乗ったときは自由席は3人しか乗っていなかったが、今日はトマノを過ぎたところでは立ち席も一杯となっていた。南千歳まで4時間ほどあるので絶好の読書タイムなのだが、今回も本を開く気になれず、ずっと車窓を見て過ごす。こういう旅もあっていい。途中で初めて丹頂つるを見かける。帯広を過ぎたところでやっとうっすらではあったが日高の峰も見ることができた。

根室から釧路の間は太陽がまぶしかったが、トマノあたりではすごい雪が降っていた。この日旦那さんの実家小樽に行っていた娘からは雪だらけの小樽駅の写真が送られてきたが、やはり北海道は広いということだろう。3時すぎ南千歳着、ここで在来線に乗り換え千歳へ。ここは初めて降りる駅だがやはり路面は凍っていた、ホテルまで2分足らずというのが助かった。腰がかなりしんどいことになってしまった。これだけ長時間座っている状態が続き、歩くと楽になるのが、すべりすべりなのでかなり腰に負担をかけた結果だろう。帰ってからすぐにでもなんとかしたい、いつもの気功だとすぐには予約はとれないだろうと踏んで、富岡の整体屋さんに予約を入れる。明日は定休日で無理だが、火曜日に予約を入れる。
今日はなにもする気にはなれず、幸いVOD見放題のサービスがついていたので、横になって映画をみることにする。
最初に見たのが井筒監督の「無頼」。井筒ファンにも関わらず去年公開時に見逃してしまった。戦後の昭和史をのしあがったやくざの目でみようということなのかもしれないが、がっかりした。エピソードに井筒さんらしいのがいくつもあったが、やくざという視点がかなり制約を与えすぎたのではないかな。伊藤さんが本にした北陸代理戦争のこともはいっていて面白いのだが、すべて総花的で的が絞れていない、これで140分というのはきつい。
見終わって軽く飯でもと思ったのだが、日曜ということもあって近くの飯屋は定休日、つるんつるん状態で遠出はしたくなく、すぐ近くにあったコンビニで北海道限定の辛し味風やきそばと助六寿司を買ってアルコールなしのホテル飯にする。焼きそばなかなか美味かった。

二本目は「連鎖」という韓国映画、選択を誤ってしまい、かなり辛いものを見てしまうことになった。知恵おくれの障害者の性犯罪という重いテーマが娯楽映画になるわけがなく、救いのないエンディングで後味も悪いものだった。これ以上はなにも見る気にはならず、そのまま就寝。
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北海道冬の旅3

2024-01-06 15:03:05 | 
昨日のホテルは暖房きつすぎたが、ここはちと寒いが、どうにもできず。風呂に入り珈琲を飲みながら日誌を書く。朝飯は5階のレストラン。老舗ホテルだけあって眺望が素晴らしい、見たかったオホーツク海がきれいに見える。

根室港までは近くだし、道に雪が少ない。まずは港まで歩いて行こうと思う。このホテルには展望台があるので登ってみる。明日は日の出を見て見ようか。根室は、日本の東端にあるので、朝日が一番早く見えるところになるとのこと。部屋に戻り今日の予定をどうするか、プランニング。いつもと同じ、来てから決める。とにかく港に行き、オホーツクを感じること、あとはどうでもいい。
外に出て、路面には雪は少ないが、凍っていた、つるんつるん、決死の歩行となった。それでもとにかく港もまでは行きたいと、すべりすべり花咲ロードという坂道を下って海を目指す。途中ラクスマン来航の壁絵を見かける。

30分ぐらいかけてやっと港到着、オホーツクをやっと間近に感じることが出来た。

これで十分かなというか、とてもいつものように歩いてあちこちといううわけにはいかないことは確か。駅に行くことだけ決めて、またアイスバーンの道を今度は登る感じ。商店街らしきところを通って駅に向かう。途中ラクスマン来航記念した碑があるときわ台公園に立ち寄る。

昨日は暗くてよく見えなかったが、根室駅はとても雰囲気があっていい駅だ、最果て感がある、いまどきこんな駅はめったにない。閑散とした駅で昨日の忘れ物について問い合わせ、残念ながら届いてないという。しかたない。駅に貼られた案内を見ていたら、11時すぎにバスターミナルから納沙布岬行きのバスが出ることを知る。アイスバーンで歩いて動けないのだから,雨でラン攻撃を封じられたチームがキック攻撃を中心に攻めるようなもの、ここはバスも利用というのはありかもしれない、ということで隣のバスターミナルへ。納沙布岬までバスでいき、1時間ぐらい滞在するとまたバスで戻れそうだ。待っている間コンセントが空いていたので、スマホを充電。寒いとすぐに電池がなくなるようなので、これは助かった。
バスは太平洋経由で納沙布に向かう。乗客は自分も含めて4人、二人は外人だった。40分ほどで到着、まさにここは太平洋とオホーツクが出会うところ、俄然テンションが高くなる。

黒い鳥をたくさん見かける。お土産屋さんに聞くと、鵜の一種類らしいがこの中に日本でも10羽ぐらいしかいないという千島なんとかというのもいるらしい。望遠鏡とか高性能なカメラでもあれば見つけられるかも知れないがスマホと老眼の肉眼では無理。灯台の近くに野鳥観察小屋があったので入ったら外人ウォチャーが熱心にみていたが、この鳥を探していたのかもしれない。

お土産屋でラーメンを食べる、あっさりして美味しかった。来て良かった。バスでまたターミナルに戻り、ここから花咲港に向かうバスに乗る。途中ふたりのロシア人が乗り込んで来た、帰りに乗ったタクシーの運転手さんの話だと、彼らはウニを積んだぼろ船でやってきて、市場に卸し、帰りにいろいろ買い込んでいくらしい。
車石前というバス停で降り、自然と歴史の資料館に向かう。昼時で温度も高くなり、アイスバーンが少し溶けた状態にはなっているが油断は禁物。ところどころすべりながら10分ほどで到着。ラクスマン関連コーナーもあったが、一番感動したのは。樺太にあった国境の石。

4つあったものの一つとのことだった。せっかくここまで来たのだから花咲港まで歩く。歩道より車道が歩きやすい。ほとんど人影がない港だった。

普段はこんなことはないのだろうが・・・帰りの路線バスはないのでタクシーを呼ぶ、ちなみに最近入れたGo taxiを試したが、サービス外だった。タクシーを待っているところに猫が2匹箱に入っていた。寒くないのと尋ねたがニャンとも言わず。

運転手さんの話では、根室はあまり雪が降らない、寒くなるのは2月から、流氷もばんばん流れてくるとのこと。
ホテルに戻り残り1パーセントになったスマホの充電、昨日は閉店時間で入れなかった隣のマルシェでコーヒーを飲み一休み。ユリの幻の馬のパンフが置いてあったので、読む。面白い話だ。帰りどんな魚があるのかマルシェ内の魚売り場を覗く。ほっけの開きの大きくてやすいこと、おひょうとか生ほっけとか内地では見られない魚にうっとり。刺身の安いこと。これを見て、今日は飲み屋に行こうかと思っていたのだが、加藤きゅうぞう方式で行こうと決める。刺身と海鮮のり巻き、はたはたのきずし(こっちではいずしらしい)と地酒北の勝とクラシックを購入。
ホテルで今日の一日のメモをまとめてから、加藤式宴会を始める。加藤宴会は加藤先生が石巻に来た時、近くの寿司屋でも行きましょうとお誘いしたら、地酒と地魚をスーパーで買ってきて、部屋でやりましょうと言われ、楽しく落ち着いてお話しながら、飲んだことから部屋飲みのことをこう呼んでいたもの。別にひとりでも飲み屋で食べれるようなものがあれば十分楽しめることがわかった。とにかく刺身がうまいのなんのって。飲み屋に行けば帰り道のつるんつるんが怖かったが、これで正解だった。

ANAから明後日のフライトの搭乗手続きの案内メールが来る。どうやら明後日のフライトは予定通り飛ぶようだ。
8時から結構好きでみていた伊東四朗の「おかしな刑事」の最終回を見る。こういうのが一番いい。

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北海道冬の旅2

2024-01-05 14:59:03 | 
夜何度か目を覚ます、昨日買っていたパンを食べてから出発、駅に向かう。地下道は人で一杯。早めに入り8時52分発のおおぞら3号自由席に乗車。乗っているのは3名だけ。終点までほとんどこの状態だった。新夕張を過ぎると車窓から見える景色から街並が消え、雪の森林風景が続く。いつもだと読書となるのだが、本を開く気にならず、ぼんやり景色を見ながら過ごす。時折ノートに思いついた事をメモ。2時間半ほどで帯広到着。曇り空で眺望はきかないが、遠くにうっすらと山並みが見える。日高山脈だろうか。白糠の手前から荒れた太平洋が見えてくる。13時20分釧路着。

駅のコインロッカーに荷物を預けて街に出る。路面はアイスバーン、慎重に歩く。まずは腹ごしらえ。天二郎というラーメン屋に入り若者向けのニンニクたっぷりの大盛りラーメンを食べる。港まで行きたいと海を目指して歩く。

店とか商店街はないのだが、やたら立派なホテルが多い。釧路川沿いのMOOというショッピングモールがあったので入る。ここでさんままんまという、さんまの蒲焼きが載った飯を購入し、港をみてから駅に戻る。青春18切符で入場、花咲線の一両編成電車に乗る。持ってきた吉村さんと津村さんの事を書いた本を読もうと思ってリックを開けると本がない。おおぞらの中に忘れたことに気づく、またやっちまったぜ。
電車は漆黒の闇の中を走る。こんな夜汽車にのるのは何年ぶりなのだろう。たまにピューという音をたてる、あれは警告音なのだろうか。小坂忠の「機関車」を思い出す。電車が急にとまる。鹿と衝突したという。15分ほどで処理を終え、出発。この電車はワンマンなので運転手の人は大変だ。
大学2年か3年のころ冬に北陸を旅したことを思い出す。何かを求めて夜行列車に乗ったのはいいが、雪で汽車は停まり、何か逃げ場を失ったように結局は仙台に帰った。旅を続けるのが辛くなったのだ。なんでまたいまこんな窮屈な旅をしているのだろう、そんなことが頭をよぎる。ワクワクする旅もいい、でもこんな不自由で窮屈な旅もいいものじゃないかとも思う。何故根室だったのか、それは最果てに来たいということがあったからだろう。19時前ほぼ定刻通りに根室到着、小さな駅。駅前もなにもない。携帯の電池は2パーセント。さらに最果て感をましてくれる。暗い中ホテルまで、携帯のマップを使って歩く、途中ドラックストアがあったので、ビールと酒を買う。グランドホテルにチェックイン。古びた好きなタイプのホテル。すぐに携帯を充電、心配していた娘たちも無事に東京の自宅に戻り、孫も元気とのこと、ホッとする。買ってきたさんままんまを酒を飲みながら食べる。なかなか美味しかった。

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北海道冬の旅 1

2024-01-04 14:55:17 | 
朝3時半目覚ましの音で目を覚ます。風呂から上がると妻が今日は行けないと告げる。乗ろうと思った便はキャンセル、ただ8時の便には乗れる、問題は帰りの便がキャンセルになり、振り替えられる便が今日も明日も明後日もないという。自分だけが出席という判断を下し、妻の見送りを受けて出発。どうなることやら、とにかく飛行機が出てくればなんとかなるとは思うのだが。
6時前に羽田到着、チェックイン、荷物預け、保安所でのチェックもスムーズにいき、ホットして妻にラインを送る。しかし搭乗してから、なかなか離陸体勢にならない、飛行機を滑走路まで運ぶ車とうまく連結ができないとのこと。最後の最後にこれかとがっくり、こうなればなるようにしかならない。およそ1時間後に出発できるというアナウンス。予定より1時間後に離陸。とれた席は非常脱出口のところ、窓際なので下の景色がよく見える。窓際の席で景色を見るのを楽しみにしていた妻のために鳥海山、岩木山の写真を撮る。喜ぶかどうかはわからないが・・・

9時半のエアポートに乗れたので、娘一家が宿泊している駅の近くのホテルに直行。合流して会席会場にタクシーで向かう。孫は娘からばばは飛行機が飛ばないからこれないんだよと告げるとはやぶさで来ればいいのにと言ったという。確かにそれも手は手、3歳児、すごくないという話になる。
11時から先方のご両親と帯広から送って来たお姉さんが合流、まずは挨拶、あとは食事しながら歓談、こういう席は嫌いではないので、いろいろ話題を変えながらご両親とお話ができた。なにより人が集まり、個室で格好のライブステージもあったということで俄然やる気になった孫がワンマンショウで場を盛り上げてくれたのが一番、皆で大笑い、たいした孫である。最後は全員で写真を撮り、無事お開き。駅までタクシーで向かい、解散となった。やれやれである。
娘たちと同じホテルにチェックイン、少し休んで、駅で明日乗る汽車の切符を購入。6時前に娘たちと合流、近くのデパートのレストランで食事。二日昼寝をしていないという孫は最初さすがぐずっていたが、大好きなうどんがでてきてからは上機嫌。8時前まで娘も旦那さんもほっとして、生ビールを飲みながらの食事となった。
問題は明日の彼らの飛行機が飛ぶかどうかだ。
娘たちは札幌の妹と孫と合流、午前中は雪遊びする予定、ホテルに戻りここでお別れ。自分はコンビニで寝酒を買い、部屋でまったり。さすがに疲れた。いつのまにか寝ていた。
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信濃への旅(上田・無言館)

2023-06-25 11:35:35 | 
乗り放題4日目は、信州上田への旅。東京からはくたかに乗って、まずは上田駅へ。ここから上田電鉄に乗り換えて、中之郷駅下車、巡回バスに乗って、無言館をめざす。上田というと思い出すのは長英さんが柳沢慎一と共演した映画。長英さんは川辺にある小さな工場の経営者だった。あの時上田の町に出るのに乗っていたのが、上田電鉄かと思ったが、違うな。上田からはもうひとつしなの鉄道という私鉄が出ていた。こちらの方かもしれない。バスを降りると、とても見晴らしのいいところ、ここからさらに登っていくと森の中に無言館が建っている。重い扉をあけると暗い中に、戦没者画家の作品や遺品、手紙などが、展示されている。そう広くはないが、画家さんたちの思い出を読みながら、見ていくと、ついつい時間が経つのも忘れてしまい、見入ってしまう。どんな思いで祖母や妻を描いたのだろうと思い、そのコメントを読むと、何度も何度も胸にせまってきて涙してしまった。亡くなった画家の家族や妻が、ここに展示されている絵や彫刻を守ってきたということにも泣かされてしまう。英吉の筍と帯留が2点、そして母と一緒の写真が展示されていた。筍は丁寧彫られた作品である。お母さんと一緒の写真も初めて見た。
ここで収まりきれなくなったのだろう、敷地にはもうひとつ傷ついた画布のドームがあり、ここにも同じように作品が展示されていた。静謐ななかに、戦争がもたらす悲しみについて、そして戦争によって描くことを奪われた若き画学生の怒りについて、遺されたものたちの思いに寄せるそんな厳粛な時間をもらうことができた。
館長の窪島さんに石巻学でのコメントをお願いしたこともあったので、もし在館されていればご挨拶をと思ってお聞きすると、近くのデッサン館にいらっしゃるというので、そちらにも行ってみる。受付にいらっしゃったので簡単にごあいさつだけさせてもらう。展示物の中で、一番驚いたのは立原道造の手書きの詩。字がほんとうにきれいだったのだ。
隣接しているカフェで美味しいコーヒーを飲む。帰りの電鉄の時間をスマホで調べているうちに、バスを待っていると接続も悪いし、遅くなることがわかる。最寄り駅までは30分ぐらいらしいので、歩いて塩田駅をめざすことにする。途中道がなくなったり、近くまで来ているのに駅のホームまでの道がなくなったりしていろいろたいへんだったがなんとか到着。
上田から乗った新幹線が熊谷駅の手前で、異音がして停車、30分ほど原因調査をする。それもあってか東京駅に着いたときはホームはあふれんばかりの人。
19時前に帰宅。4日間JR東日本乗り放題15270円、遠野、宮古、八幡平、仙台、上田とまあ乗り倒したといえるのでは・・・

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