もう1週間経ってしまいましたが、先週6月25日、<6.25(朝鮮戦争)62周年記念式典>の中継をKBS1テレビで見たら、式典の最初が国連旗・太極旗そして国連軍として参戦した21ヵ国の国旗入場式でした。
朝鮮戦争に国連軍として参戦したといえば、まずはアメリカを思い浮かべ、それ以外の国々は首を傾げる人が多いのではないかと思います。私ヌルボもそうでした。
少し認識が変わったのは、5年ほど前だったか、釜山のUN記念公園(国連墓地)を訪れてからです。
ウィキの<朝鮮戦争>の項目に載っていますが、アメリカの他の参戦国20ヵ国の国名を見ると、その中には意外に思う国々もあります。
たとえばルクセンブルク、エチオピア、コロンビア、南アフリカ共和国など。
そしてUN記念公園で、とくに目にとまったのがトルコ兵士たちの墓です。トルコからは約4600人の兵が派遣されましたが、→コチラの記事によると、朝鮮戦争で戦死したトルコ兵士は721人。これはアメリカ、イギリスに次ぐ多さで、うち462人の墓が戦死者墓地にあるそうです。
【UN記念公園内のトルコ軍戦死者の墓域。】
<かつて日本は美しかった>というブログ中に記事によると、「トルコ兵の勇猛ぶりは名高く、・・・ロシア嫌いのトルコ人は「朝鮮戦争を戦うことによって、日本を共産化から防いだ」という認識があるようで、彼らの一つの誇りになっている」とか、「朝鮮戦争から帰国するトルコ兵士たちは日本に立ち寄り親日感を増して帰国したといいます」などと記されています。
朝鮮戦争とトルコについての韓国サイトの記事を見ても、ほとんどがトルコ軍の勇猛を称えたり、トルコに対する感謝の念を表したものです。
しかし、私ヌルボが考えたのは、なぜトルコから遥か離れた朝鮮半島に4600人もの兵を派遣したのか、ということ。
もしかしたら、ずっと昔からのロシアに対する敵愾心が関係するのかな、と思いました。
これもさるブログ記事で知ったことですが、小室直樹・渡部 昇一「自ら国を潰すのか―「平成の改革」その盲点を衝く」(徳間新書)には「第二次大戦に際して、トルコは伝統的友好国の日独に遠慮して、最後まで『宣戦布告を渋った』」そうで、その結果「落とし前をつけさせる意味」で「朝鮮戦争参戦国としては、非欧米圏以外では最大の派兵を要請された」とあるそうです。
この所説がどこまで正しいのかは未確認です。
トルコ以外でも、エチオピアにしろコロンビア等々にしろ、朝鮮戦争参戦について当然それぞれの事情があったはずですが、すぐにはわかりません。
【国名の列の右に派兵者数・戦死者数・UN墓地埋葬者数。下方、国連軍総計の下は非戦闘要員・無名勇士・大韓民国・総計。】
6.25記念式典の中で、高校3年の女生徒が朝鮮戦争に従軍した祖父への手紙を朗読する場面がありました。祖父に対する敬愛とともに、連合国軍への感謝と、安保意識の重要性等が述べられていました。
また、韓国内で6.25関係の催しがいろいろある中に、生徒による作文というのがあって、優秀作に選定されたものをネット上で読んだことがあります。その作文も、やはり国連軍として参戦した外国に対して感謝を述べたものでした。
これらを聞いたり読んだりして違和感を覚えたのは、日本の平和教育との大きな差異です。
戦争の悲惨さの実態や、戦争の過程や背景を学ぶことから、同様の悲劇が繰り返されることのないことがめざされる日本と、今も終わっていない(=休戦中)朝鮮戦争の中で、当時の韓国軍・国連軍の軍事行動を肯定的に捉えるしかありえない韓国の違いが如実に現れていると思いました。
韓国の児童・生徒の皆さんにも、今はもっと多様な視点から学んでほしいものですが・・・。
ヌルボがUN記念公園墓地でトルコ兵士の墓を前にして最初に想像をめぐらせたことは、男性皆兵制のトルコでいやおうなく兵士として派遣され、戦死した20~25歳の若者本人、あるいは遺族の心情はどんなものだったのかな、ということでした。墓石に記された名前や、戦死した日や場所等を読んでいくと、言いようのない痛切な思いにとらわれました。
いくらその後称えられるようなことになっても、かけがえのない命は、文字通り何ものにも代えがたいものです。
戦争に殉じた人々の魂の慰霊が「英霊を称える」という色彩を強めるほど、戦争の悲劇性が隠蔽されてしまう・・・。そんな懸念が、上述の朝鮮戦争の記念行事だけでなく、日本の靖国問題についても、また北朝鮮の朝鮮戦争についての教育内容等についてもわき上がってきます・・・。
★今年2月李明博大統領が中東を歴訪しました。その中で、「聯合ニュース」によると、国賓としてトルコを訪問した際、6日首都アンカラの韓国公園を訪れ、朝鮮戦争参戦記念塔に献花、黙禱したとのことです。そこでは、毎年、参戦記念行事や参戦兵士の追悼式が開かれているそうです。
李大統領がそこで朝鮮戦争の写真を見学していた時、偶然出会った朝鮮戦争で戦死したトルコ軍兵士の未亡人と息子を慰労した、というエピソードも伝えています。
※李明博大統領トルコ訪問の関連記事を見ると、その訪問の意図が一目でわかります。
「トルコとの原発交渉 今月中に代表団派遣=韓国」「韓国とトルコ 第三国市場への共同進出で積極協力」「韓・トルコ大統領会談 戦略的パートナー関係樹立へ」「李大統領がトルコ首相と会談 トップセールスで成果」「韓国 トルコと原発事業再交渉へ=日本に逆転受注か」「韓国とトルコ 20億ドル火力発電所建設でMOUへ」「韓・トルコ首脳 上半期中のFTA妥結を目指す」
※2月6日には、李明博大統領はJYJのジェジュンと一緒ににアンカラ大学に行って学生たちと懇談会をもち、夜もともにトルコ大統領の晩餐会に招待されました。関連ブログ記事→コチラ。
★エチオピアから派遣された兵士たちは、帰国後、1974年のクーデター後社会主義体制となった中で苦しい生活を強いられたとかで、韓国では今もエチオピアに対し学用品の支援や、(華川郡による)参戦兵士の子・孫のための奨学金制度が行われています。(関連記事→コチラなど。)
朝鮮戦争に国連軍として参戦したといえば、まずはアメリカを思い浮かべ、それ以外の国々は首を傾げる人が多いのではないかと思います。私ヌルボもそうでした。
少し認識が変わったのは、5年ほど前だったか、釜山のUN記念公園(国連墓地)を訪れてからです。
ウィキの<朝鮮戦争>の項目に載っていますが、アメリカの他の参戦国20ヵ国の国名を見ると、その中には意外に思う国々もあります。
たとえばルクセンブルク、エチオピア、コロンビア、南アフリカ共和国など。
そしてUN記念公園で、とくに目にとまったのがトルコ兵士たちの墓です。トルコからは約4600人の兵が派遣されましたが、→コチラの記事によると、朝鮮戦争で戦死したトルコ兵士は721人。これはアメリカ、イギリスに次ぐ多さで、うち462人の墓が戦死者墓地にあるそうです。
【UN記念公園内のトルコ軍戦死者の墓域。】
<かつて日本は美しかった>というブログ中に記事によると、「トルコ兵の勇猛ぶりは名高く、・・・ロシア嫌いのトルコ人は「朝鮮戦争を戦うことによって、日本を共産化から防いだ」という認識があるようで、彼らの一つの誇りになっている」とか、「朝鮮戦争から帰国するトルコ兵士たちは日本に立ち寄り親日感を増して帰国したといいます」などと記されています。
朝鮮戦争とトルコについての韓国サイトの記事を見ても、ほとんどがトルコ軍の勇猛を称えたり、トルコに対する感謝の念を表したものです。
しかし、私ヌルボが考えたのは、なぜトルコから遥か離れた朝鮮半島に4600人もの兵を派遣したのか、ということ。
もしかしたら、ずっと昔からのロシアに対する敵愾心が関係するのかな、と思いました。
これもさるブログ記事で知ったことですが、小室直樹・渡部 昇一「自ら国を潰すのか―「平成の改革」その盲点を衝く」(徳間新書)には「第二次大戦に際して、トルコは伝統的友好国の日独に遠慮して、最後まで『宣戦布告を渋った』」そうで、その結果「落とし前をつけさせる意味」で「朝鮮戦争参戦国としては、非欧米圏以外では最大の派兵を要請された」とあるそうです。
この所説がどこまで正しいのかは未確認です。
トルコ以外でも、エチオピアにしろコロンビア等々にしろ、朝鮮戦争参戦について当然それぞれの事情があったはずですが、すぐにはわかりません。
【国名の列の右に派兵者数・戦死者数・UN墓地埋葬者数。下方、国連軍総計の下は非戦闘要員・無名勇士・大韓民国・総計。】
6.25記念式典の中で、高校3年の女生徒が朝鮮戦争に従軍した祖父への手紙を朗読する場面がありました。祖父に対する敬愛とともに、連合国軍への感謝と、安保意識の重要性等が述べられていました。
また、韓国内で6.25関係の催しがいろいろある中に、生徒による作文というのがあって、優秀作に選定されたものをネット上で読んだことがあります。その作文も、やはり国連軍として参戦した外国に対して感謝を述べたものでした。
これらを聞いたり読んだりして違和感を覚えたのは、日本の平和教育との大きな差異です。
戦争の悲惨さの実態や、戦争の過程や背景を学ぶことから、同様の悲劇が繰り返されることのないことがめざされる日本と、今も終わっていない(=休戦中)朝鮮戦争の中で、当時の韓国軍・国連軍の軍事行動を肯定的に捉えるしかありえない韓国の違いが如実に現れていると思いました。
韓国の児童・生徒の皆さんにも、今はもっと多様な視点から学んでほしいものですが・・・。
ヌルボがUN記念公園墓地でトルコ兵士の墓を前にして最初に想像をめぐらせたことは、男性皆兵制のトルコでいやおうなく兵士として派遣され、戦死した20~25歳の若者本人、あるいは遺族の心情はどんなものだったのかな、ということでした。墓石に記された名前や、戦死した日や場所等を読んでいくと、言いようのない痛切な思いにとらわれました。
いくらその後称えられるようなことになっても、かけがえのない命は、文字通り何ものにも代えがたいものです。
戦争に殉じた人々の魂の慰霊が「英霊を称える」という色彩を強めるほど、戦争の悲劇性が隠蔽されてしまう・・・。そんな懸念が、上述の朝鮮戦争の記念行事だけでなく、日本の靖国問題についても、また北朝鮮の朝鮮戦争についての教育内容等についてもわき上がってきます・・・。
★今年2月李明博大統領が中東を歴訪しました。その中で、「聯合ニュース」によると、国賓としてトルコを訪問した際、6日首都アンカラの韓国公園を訪れ、朝鮮戦争参戦記念塔に献花、黙禱したとのことです。そこでは、毎年、参戦記念行事や参戦兵士の追悼式が開かれているそうです。
李大統領がそこで朝鮮戦争の写真を見学していた時、偶然出会った朝鮮戦争で戦死したトルコ軍兵士の未亡人と息子を慰労した、というエピソードも伝えています。
※李明博大統領トルコ訪問の関連記事を見ると、その訪問の意図が一目でわかります。
「トルコとの原発交渉 今月中に代表団派遣=韓国」「韓国とトルコ 第三国市場への共同進出で積極協力」「韓・トルコ大統領会談 戦略的パートナー関係樹立へ」「李大統領がトルコ首相と会談 トップセールスで成果」「韓国 トルコと原発事業再交渉へ=日本に逆転受注か」「韓国とトルコ 20億ドル火力発電所建設でMOUへ」「韓・トルコ首脳 上半期中のFTA妥結を目指す」
※2月6日には、李明博大統領はJYJのジェジュンと一緒ににアンカラ大学に行って学生たちと懇談会をもち、夜もともにトルコ大統領の晩餐会に招待されました。関連ブログ記事→コチラ。
★エチオピアから派遣された兵士たちは、帰国後、1974年のクーデター後社会主義体制となった中で苦しい生活を強いられたとかで、韓国では今もエチオピアに対し学用品の支援や、(華川郡による)参戦兵士の子・孫のための奨学金制度が行われています。(関連記事→コチラなど。)