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ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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40年前の芥川賞候補作=(故)鄭承博の「裸の捕虜」は自身の強制労働体験を描いた小説

2012-03-02 18:25:10 | 在日の作家と作品
 今回の芥川賞作家田中慎弥氏といい、1年前の西村賢太氏といい、作品外の話題がむしろいろいろ取り沙汰されています。それだけ芥川賞は注目度が高いということです。

 もし1972年上半期芥川賞候補になった鄭承博(チョン・スンバク)が受賞していれば、知名度ははるかに上がっていたでしょう。
 その前回の1971年下半期「砧をうつ女」で受賞作した李恢成の小説は、私ヌルボ、受賞作のほか、1973年に講談社文庫から出た「われら青春の途上にて」も、同文庫全5巻の「見果てぬ夢」も読みました。

 しかし、その当時は鄭承博のことを知りませんでした。いや、知ったのはごく最近です。集英社の全集「戦争×文学」の1月配本の第14巻は『女性たちの戦争』。この中に彼の裸の捕虜がありました。先述の1972年の芥川賞候補作です。

 全集「戦争×文学」については、2011年8月6日の記事でこの全集中の朝鮮関係の作品について紹介し、第19巻所収の金在南「暗やみの夕顔」の感想等を記しました。また11月3日の記事では、同全集第6巻中の木村毅「兎と妓生と」について記しました。
 全20巻(別巻1)。1冊分もボリュームのある大部な全集ので、ここまでの全部を読み切ったわけではないですが、とても充実した内容で、各巻3780円という定価がむしろ安く思われるほどです。
 何十年も前に購入した「明治文学全集」(筑摩書房)全100巻、「土とふるさとの文学全集」(家の光協会.1976~77)全15巻等とともに、私ヌルボが購入して心から良かったと思える全集になりそうです。
※集英社の全集「戦争×文学」刊行リスト一覧

 「裸の捕虜」は1972年の第15回農民文学賞受賞作で、上記「土とふるさとの文学全集」にも収められていた作品ですが、たくさんの作品を収録していて、私ヌルボ、読んだ記憶もはっきりせず、今回は初めて読むような感覚で読みました。

 時代は昭和18年(1943年)。朝鮮人なので兵として前線に送られることは免れている主人公は徴用工として入社した大阪の金属工場で食料調達係を命じられます。ところが買い出しの取締りに引っかかり、徴用から逃亡したみなされて検挙されます。そして送り込まれた所が信州。中国の八路軍の捕虜たちが強制労働されている大堰堤工事現場で、鍛冶工として働かされることになりますが、結局そこから危険を冒して脱走します。

 ・・・ネット内に<鄭承博記念館>というサイトがあり、そこに略年譜があります。「在日文学全集 第9巻」にはさらに詳細な年譜が載せられていますが(←陳腐な形容ではずかしいがすごくドラマチックな人生!)、それを読むと、この小説は彼自身の体験が主人公「鄭承徳」に仮託されていることがわかります。
 この小説では、ラストの脱出の場面では、夜は寒さで凍った共同便所の糞溜めの上を歩いてくぐり、汲取り口から外に出るというものですが、それも自身の実体験なのかもしれません。
 ところが驚くのは、このような苛烈な体験が、驚くほど淡々と叙述されていること。音声にたとえると、感情的に声を高めて熱く語るのではなく、どんなに切迫した場面でも、常人なら怒りや悲嘆に声を荒げるような場面でも、変わらずにおだやかに語り進める感じです。(それがこの作家の資質によるのか、意図的な書き方なのかはヌルボにはわかりません。)
 この点は、何人かの評者が共通して指摘していることでもあり、またそれを「難点」として見る見方もあるようです。
 
 もうひとつ。この小説からは、朝鮮人としての民族意識、あるいは日本という国や日本人に対する反抗の意識が全然といってよいほど感じられません。このような在日作家の作品は過去読んだことがありませんでした。

 「在日文学全集 第9巻」所収の年譜と林浩治氏の解説によると、1923年慶尚北道安東郡に生まれた鄭承博が和歌山県田辺市で飯場頭をしていた叔父を頼って単身日本に渡航したのは1933年、わずか9歳の時。「以後、飯場を転々とし、ほとんど教育を受けることもなく、ついには農家の作男として売られた」とか。
 13歳の時に運動の指導者栗須七郎と出会い、以後5年彼の家に住み込んで熱心に勉強し、小学校にも通うことになります。1942年には東京の日本高等無線学校に入学しますが、翌年朝鮮人への無線技術習得禁止を理由に放校処分となります。そして、この小説に描かれた大阪の軍需工場への入社となるわけです。
 要するに、彼は「在日する朝鮮人社会よりも、日本人社会における差別構造の中に身を置いた」(林浩治)のです。

 「在日文学全集 第9巻」に彼とともに作品が収録されている金泰生(キム・テセン)は鄭承博の1年後の1924年に済州島で生まれ、5歳の時に両親と生き別れて親戚に連れられて渡日しました。しかし彼は日本に来てからも同胞の集団の中で生活し、母国語の世界で過ごして、戦後は金達寿等の在日知識人たちとの広いつながりがあり、その中で「高い政治性と母国語に対するこだわり」を持ち続けました。

 「それが「在日朝鮮文学」の典型的姿」であるのに対し、鄭承博は戦後も南北朝鮮の政治には関心を示さず、「朝鮮語を忘れてしまった」と率直に語ったりもしていたそうです。
 彼は戦後も日本人社会の中で生き抜くのに必死で、さまざまな職業を転々とし、生活が安定し始めたのは1958年淡路島でバーを開店したからのことといいます。
 この間とくに在日社会との結びつきはなく、在日の知識人との交流や、自身の母国への関心はこの小説が評価を受けることによって始まったといえるようです。

 このように、民族主義的な要素、「反日的」な要素がないところから、彼の作品は多くの日本人読者の情緒的な抵抗感(?)のようなものは感じないで読めると思います。

 しかし、上述のように淡々とした筆致ではあっても、この小説の主人公、そして彼自身の受けた労苦は、日本の「下層社会」に暮らしたという点だけではなく、彼自身の朝鮮人という出自に由来することは明瞭に読みとれるし、決して看過してはならないことです。

 たまたま全集「戦争×文学」の中にあった在日作家の作品ということで読みましたが、このような作家の存在を知ることになって、よかったと思います。
コメント (6)
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