ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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=注目のSF= ミエヴィル「都市と都市」を読んで、南北朝鮮の分断を考える

2012-03-31 19:08:00 | 韓国・朝鮮に関係のある本
 時には韓国・朝鮮と関係なく、おもしろそうなミステリーやSFを、いろんな書評や、「このミステリーがすごい!」、「SFが読みたい!」等を参考にアタリをつけて読んだりしています。

 しばらく積ん読になっていた「ねじまき少女」にそろそろ取りかかるかなと思った矢先、たまたま書店で目に入ったのがチャイナ・ミエヴィル都市と都市」(ハヤカワ文庫)でした。

 裏表紙にある内容紹介には、
 ふたつの都市国家<ベジェル>と<ウル・コーマ>は、欧州において地理的にほぼ同じ位置を占めるモザイク状に組み合わさった特殊な領土を有していた。ベジェル警察のティアドール・ボルル警部補は、二国間で起こった不可解な殺人事件を追ううちに、封印された歴史に足を踏み入れていく・・・・・・。ディック-カフカ的異世界を構築し、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞をはじめ、SF/ファンタジイ主要各賞を独占した驚愕の小説。
 ・・・とあり、帯にはカズオ・イシグロ氏が絶賛する話題作」とも。

 これはSFとミステリーの両方にまたがっていて一挙両得だし、とくに「カズオ・イシグロ氏が絶賛」なら読むに値する本だろう、ということで衝動買い。
 そして読み始めたところ、これはどうじゃ(←表現が古い)、韓国・朝鮮と関係ないどころか、大あり名古屋の金のしゃちほこ(←表現が古い)、いろいろと考えさせられてしまって、息抜き本にはなりませんでした。まあ、「思いがけない収穫」と言えないでもないですけど・・・。

 物語の舞台は、ヨーロッパの、およそバルカン半島あたり(?)に設定されている架空の都市国家<ベジェル>と<ウル・コーマ>。ただし時代はほぼ現代で、アメリカ、イギリス、カナダ等々はふつうに存在し、アメリカ人も登場します。
 この2つの都市国家は隣接していて、言語も異なるものの「先祖は共通」です。ただ、両国の分裂(?)の歴史は謎です。
 しかし社会体制は異なっていて、対立している・・・、というより「相容れない」といった方が適切かもしれません。
 何といってもこの両国が特異なことは、隣接しているといっても、かつての東西ベルリンのように壁が存在するわけでもなく、南北朝鮮間の軍事分界線のような明確な境界線が造られているわけでもありません。そして、完全に自国の領域である<完全(トータル)>な地区、相手側の領域の<異質(オルター)>の他に、道路等や鉄道等が重なりあって(隣接して?)いる<クロスハッチ>地区も存在します。

 またこの2国は全的に対立しているというわけではなく、境界線上(すき間?)にコピュラ・ホールという建物があって、そこで定期的なミーティングが開かれ、電線網や下水等の官吏、犯罪事件等についての協議が行われます。このコピュラ・ホールを通れば合法的に両国間を行き来することができます。(ただ、ウル・コーマからべジェルに入国すればウル・コーマが見えなくなり、ベジェルからウル・コーマに入国すればベジェルは見えなくなります。)

 本書の設定の奇妙さは、このようにモザイク状に組み合わさっている両国の領域が、壁が存在しないにもかかわらず、両国の国民は、たがいに相手の国が存在しないようにふるまっていること。また、そうした訓練を、ふたつの都市の住人は幼い頃からの鍛錬によって自然に身につけています。
 したがって、<クロスハッチ>地区の道路では、たとえば<ベジェル>のドライバーは<ウル・コーマ>の車や運転者を決して正視することなく、かつ事故を起こさないように意識と無意識のあわいで車を走らせるのです。

 このタブーが、故意あるいは偶然にでも破られた場合、それは<ブリーチ>行為とよばれ、絶対権力<ブリーチ>の要員がただちに現れ、排除されます。<ブリーチ>の実体はほとんど謎ですが、両国民にとって恐怖の対象です。

 この小説は、<ベジェル>で若い女性が死体で発見されたところから始まります。<ウル・コーマ>で考古学を専攻していたアメリカ人大学院生であることがわかり、ベジェルの警部補はウル・コーマに行き、そこの刑事とともに事件の捜索にあたることになるのですが・・・。

 愛国主義団体や、統一主義派といった政治的組織の動きが複雑にからんで、ラスト近くまで、警部補たちにももちろん読者にも真相はつかめないまま物語は進むのですが、ポイントとなるのはやはりこの2国間の不可思議な境界。

 この一風変わったSFを読むと、読者の多くは現実の、たとえば東西ベルリンや、旧ユーゴ(セルヴィア、モンテネグロ、クロアチア等)、あるいはパレスチナ等を思い浮かべるのではないでしょうか? そしてもちろん南北朝鮮も。

 大森望氏の解説によると、ミエヴェル自身は「本書が現実の政治状況のアレゴリー(寓意)として読まれることに強く異を唱えている」とのことです。
 しかし、しかし、アメリカ国務省あたりの政治学者が「「都市と都市」に出てくるような方法でエルサレムをパレスチナ側とイスラエル側に分割するプランを提案していたという」のは必ずしも荒唐無稽な説でもなさそうに思えます。
 対立する2国(や2民族)の宗教や文化、教育によって育まれた意識もしくは無意識が、分断・対立の状態を支える大きな力になっているのは明らかですから。

 大森望氏はこの作品を「早い話、「裸の王様」を国家レベルで(しかもリアルな警察小説として)やってのけるようなもの」と書いていますが、現実の国家・社会も「裸の王様」的な黙契の例はたくさんあるわけで、例えば戦前「天皇は人間だ!」と本当のことを叫んだらどうなったか? いや、今の北朝鮮でも同様ですね。また北朝鮮の人も肩書きや手続き等によって自然に国境を越える人もいれば<ブリーチ>のごとき国境警備員によって捕えられたり射殺されたりする・・・。(日本人でも、またどこの国の人間でもほぼ同様ですが・・・。)

 本書に、ベジェルを訪れる観光客たちは、事前に強制的なトレーニングを受けるということが記されています。
 思い起こせば、21年前に北朝鮮に行った時にも「北朝鮮と言わずに<共和国>とよぶ」とか「<韓国語>ではなく<朝鮮語>という」等々の注意を聞きました。板門店(コピュラ・ホール!)に行った時に案内員から聞いた説明・注意と、翌年韓国から板門店に行った時に聞いた説明・注意は非常によく似たものでした。韓国側から板門店ツアーに参加した観光客は、間近に立っている北朝鮮兵士は正視したりせず、いないかのごとくふるまうことを求められるはずです。手を振ったり、話しかけてはいけません。<YAHOO知恵袋>板門店ツアーで北朝鮮兵士と肩を組んで写真撮ることは可能ですか?というダイタンな質問があるのを見つけました。これに対し「下手すると、銃殺ですよ! あなたは社会体制の違いとか全く理解していなくてテレビの視聴者に都合の良い部分しか見ていないでしょう? 常識ある人なら、こんなことは聞きませんよ!」という「常識のある人」の回答がベストアンサーになっていました。
 このような、「王様は裸だ!」のような不都合な真実は決して叫ばないという常識によって守られている「秩序」(あるいは「抑圧」)は確実にあると思います。
 分断と対立が双方の権力維持に役立つのは当然です。しかしたとえば南北朝鮮の人々が本気で南北統一を願うのなら、なぜ大挙して軍事分界線(いわゆる38度線)に押し寄せ、境界をなくしてしまわないのでしょうか? 
 (なぜ朝鮮戦争の時、北朝鮮軍の突然の侵攻に対して南の人たちが戦ったのはなぜか? それ以前に、終戦直後にソ連が一方的に38度線を封鎖してしまったことになぜ強く抗することがなかったのか・・・? 関連の疑問が次々にわいてきます・・・。)

 本書のラスト近くで、1人の<ブリーチ>のメンバーはこのように語ります。
この二つの都市ほどうまく機能している場所はほかにない。両者を分け隔てているのはわれわれ(ブリーチ)ばかりではない。ベジェルの住人すべて、それにウル・コーマの住人すべてだ」。

 「現実の政治状況のアレゴリーとして読まれることに強く異を唱えている」と言われても、それはとてもムリ。

※この作品の結末は、<三軒茶屋 別館>というブログの「カタルシスに欠ける気がしないでもないです」という感想とまったく同感です。(私ヌルボ、このような設定の小説を読むと、長い間眠っていたアナーキーな心情がゾンビのごとく蘇ってきちゃったりして・・・(笑)。)

※このSF、(北朝鮮はダメだとしても)韓国の人たちにはぜひ読んでほしいものです。ミエヴィルはいくつか訳されているようですが、この作品はまだのようです。
コメント (2)
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