学問空間

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「無主物」はオーソドックスな論理

2012-03-20 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月20日(火)07時56分24秒

赤坂憲雄氏が『新東北学』で変なことを書いているのは気づいていたのですが、「無主・無縁の原理」と結びつけている点を除くと、同じような誤解をしている人は多いですね。
誤解の出発点は、おそらく「プロメテウスの罠」という朝日新聞の連載の一部、2011年11月24日付の前田基行氏の記事だと思います。
ネットで拾ったその内容は、

---------------
 放射能はだれのものか。
 この夏、それが裁判所で争われた。
 8月、福島第一原発から約45キロ離れた二本松市の「サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部」が東京電力に、汚染の除去を求めて仮処分を東京地裁に申し立てた。
 ーー事故のあと、ゴルフコースからは毎時2?3マイクロシーベルトの高い放射線量が検出されるようになり、営業に障害がでている。責任者の東電が除染をすべきである。
 対する東電は、こう主張した。
 ーー原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。
   したがって東電は除染に責任をもたない。
 答弁書で東電は放射性物質を「もともと無主物であったと考えるのが実態に即している」としている。
 無主物とは、ただよう霧や、海で泳ぐ魚のように、だれのものでもない、という意味だ。
 つまり、東電としては、飛び散った放射性物質を所有しているとは考えていない。
 したがって検出された放射性物質は責任者がいない、
と主張する。
 さらに答弁書は続ける。
  「所有権を観念し得るとしても、既にその放射性物質はゴルフ場の土地に附合(ふご
   う)しているはずである。つまり、債務者(東電)が放射性物質を所有しているわ
   けではない」
 飛び散ってしまった放射性物質は、もう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではない。そんな主張だ。
 決定は10月31日に下された。
 裁判所は東電に除染を求めたゴルフ場の訴えを退けた。
 ゴルフ場の代表取締役、山根勉(61)は、東電の「無主物」という言葉に腹がおさまらない。
  「そんな理屈が世間で通りますか。無責任きわまりない。
   従業員は全員、耳を疑いました」
 7月に開催予定だった「福島オープンゴルフ」の予選会もなくなってしまった。
 通常は年間3万人のお客でにぎわっているはずだった。
 地元の従業員17人全員も9月いっぱいで退職してもらった。
  「東北地方でも3本の指に入るコースといわれているんです。
   本当に悔しい。除染さえしてもらえれば、いつでも営業できるのに」
 東電は「個別の事案には回答できない」(広報部)と取材に応じていない。(前田基行)

http://takeshikawamoto.com/note/2011/11/27-045620.php

というものですが、この記事の内容、また、前田基行記者の以下の経歴を見ると、前田基行氏は正義感には溢れていても、法律、特に民法の物権法の理解は全くできていない人ですね。

------------
前田基行(まえだ・もとゆき)
北海道生まれ。北海タイムス、北海道新聞をへて2002年に朝日新聞社に入社。
名古屋報道部時代に税金の無駄遣いやトヨタの労働問題などの調査報道を担当。
プロメテウスの罠では第1シリーズ「防護服の男」と第4シリーズ「無主物の責任」を担当。
http://blog.nicovideo.jp/niconews/2012/02/030281.html

また、『週刊現代』の2011年12月12日付「トンデモ裁判、呆れた論理 東電弁護団それを言っちゃあ、おしめえよ」というリンク先の記事も、誤解の典型ですね。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/29579

物権的請求権の話は分かりにくいと思いますが、ひとつのポイントは、物権的請求権の要件として故意・過失は必要ではない、ということです。
台風でAの家から瓦が飛ばされて隣のBの土地に落ちた場合、瓦の物理的移動についてBには何の責任もありませんが、AはBに対して、瓦の返還請求権を有します。
逆に、Aにも何の責任もありませんが、BはAに対して、邪魔な瓦を撤去せよという妨害排除請求権を有します。
物権的請求権は責任追及や正義実現を目的とはせず、物の秩序が混乱したときに、それを整理整頓するだけなんですね。
「附合」も同じで、くっ付いてしまったものを切り離すのに過大な費用がかかる場合、物に対する権利関係を整理整頓するだけです。
仮に附合の原因として誰かに非難に値する行為があった場合、「附合」が責任追及を遮断する訳ではなく、「不法行為」で損害賠償等の請求をすることは可能です。
二本松市のゴルフ場の仮処分申請のケースは、東京電力側が狡猾なのではなく、むしろゴルフ場側の弁護士のやり方がトリッキーですね。
不法行為で通常の裁判を起こすのではなく、物権的請求権の問題にした上で、更に仮処分という短期決戦を狙っています。
仮処分は事実関係・権利関係が明確な時に早期に救済を図るのが目的ですから、原発事故や除染といった新しい複雑な問題の解決に対応できなくてもやむをえないですね。
ゴルフ場側の弁護士は、自らの主張が裁判所に認められるはずがないのを知りながら、マスコミ受けする話題作りのためにやったのだと思います。
『週刊現代』に出ていた東京電力側の弁護士名を見ると、「長島・大野・常松法律事務所」という有名な巨大弁護士事務所の人ですが、無主物との主張は特別に有能な弁護士が考え付いた特殊な論理ではなく、法学部で民法をきちんと勉強した人なら誰でも考えるオーソドックスな論理ですね。
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『ヴェニスの商人』と物権的請求権

2012-03-19 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月19日(月)10時47分57秒

>筆綾丸さん
私も新聞記事を通してしか事実関係を知らないのですが、物権法の範囲では、東京電力の弁護団の主張は特におかしくはないと思っています。
所有権は「物」を排他的・独占的に使用・収益・処分できる権利ですが、あまりに小さすぎて、実際上、排他的・独占的支配の対象とはなりえない物は所有権の対象外、と考えるのは筋が通っています。
所有権の対象であれば、円満な排他的・独占的な支配ができない場合、所有権者には返還請求権・妨害排除請求権等の物権的請求権が認められ、国家(裁判所)はその実現に協力しなければなりません。
所有者Aの物が他人Bの土地に存在する場合、AはBにその物を返還しろと請求でき(物権的返還請求権)、他方、その物が存在することによりBの円満な土地支配が妨げられている場合、BはAに対して、その物をどかせ、と請求できます(物権的妨害排除請求権)。
ゴルフ場の仮処分の事件では、ゴルフ場の円満な土地支配が害されたとして、妨害排除請求権が問題となりましたが、仮に原発から出た放射性物質が東京電力の所有権の対象とすると、逆に所有者である東京電力は放射性物質が付着した土地・建物などの不動産の所有者、自動車その他の様々な動産の所有者、更に人体に取り込まれた場合にはその人に対してまで、放射性物質の返還請求権を有することになってしまいます。
即ち、東京電力が放射性物質の回収を求めたら、放射性物質の付着する不動産・動産の所有者は、回収を受忍しなければなりません。
人体の場合、放射性物質の分離・回収要求を認めたら殺人行為の肯定になりますから、東京電力の弁護団の主張は、東京電力はシャイロックではない、という穏当で常識的な主張ですね。
放射性物質以外でも、例えばある人Cが咳をしてインフルエンザのウイルスを他人Dに移した場合、当該ウイルスの所有権がCにあるとして、CがDにウイルスの返還請求権を持つ、という結論は異常です。
あまりに微小な物については、そもそも所有権の対象外であり、無主物だと考えるのは、決しておかしなことではありません。
民法242条・243条の「附合」も物権法上の概念であって、ある人の所有物と他の人の所有物が結合し、両者を切り離すのに多額の費用がかかる場合には、社会経済的観点から無駄なことはせず、一方の所有にして他方には「償金」(民法248条)を与えることにしましょう、というだけの話で、所有権のぶつかり合いを調整しているにすぎず、もともと思想や哲学の問題ではないんですね。
そして、「無主物」や「附合」はあくまで物権法の問題であって、「最終的な責任」を決定している訳ではありません。
ある人が変な物質を排出した結果、離れた場所にいた人が損害を蒙った、というのは多数の判例が蓄積されている公害の場合と同じ状況であり、公害は「不法行為」(民法709条)の問題として扱われてきました。
工場の煙突から吐き出された個々の物質の所有権が誰に帰属するのか、などと争った人はいません。
不法行為の枠組みでの解決が一番素直であり、その場合、金銭賠償が原則ですが、原状回復などの特定的救済もありうるので、放射性物質を除去しろ、という請求が認められる可能性もあると思いますね。
ゴルフ場のケースは金銭賠償も否定したそうで、新聞記事から得られる限りの情報だと、その理由が若干弱いように感じるのですが、仮処分事案であることも考慮する必要がありそうです。

物権的請求権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E6%A8%A9%E7%9A%84%E8%AB%8B%E6%B1%82%E6%A8%A9
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水戸辺漁港

2012-03-18 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月18日(日)13時27分6秒

南三陸町の水戸辺漁港をアップしました。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54504886.html

赤坂憲雄氏が産経新聞に連載している「新章 東北学」の2012年1月23日付「(15)なぜ、いま、民俗芸能なのか」には次の記述がありますが、この中で紹介されている鹿踊りの供養碑も撮ってきました。
なお、このエッセイでは一貫して「水戸部」と書かれていますが、正しくは「水戸辺」ですね。

-----------
 東日本大震災の被災地では、民俗芸能が次々に復興しているようですね。とても興味深く感じています。年が明けてからも、鳥追いやどんど焼きのような小正月の行事が、さまざまに行われたというニュースを見かけました。
 わたし自身は去年の5月末、宮城県の南三陸町を訪ねたとき、津波で壊滅してしまった水戸部(みとべ)という海辺の集落で、60代の男性に聞いた話が印象に残っています。その人は家もすっかり失い、震災から2カ月ぐらい、瓦礫(がれき)の山のなかを探し歩いたといいます。位牌(いはい)も見つからなかったけれど、ふたつの大切な物を見つけた、とうれしそうに話してくれました。
 そのひとつは、指輪でした。かれが海で拾った貝を加工して、奥さんにプレゼントした指輪だということです。とても印象的でした。家という制度を象徴する位牌ではなく、高価な指輪でもなかったのです。被災地で何が必要とされているのか、それをさりげなく物語っているような気がしました。
 もうひとつ、かれが見つけたのが、鹿踊(ししおど)りの太鼓と衣装でした。それをきれいに洗って、生き残った仲間たちと一緒に避難所で踊ったのです。おばあちゃんたちが、それを見ながら泣いたと聞きました。その涙にはいろいろな意味がこもっているように思えます。
 水戸部の鹿踊りは近世半ばには始まったようですが、じつは一度途絶えています。20年ぐらい前に、あらためて一関のほうで学んで復活したのです。それからは子供たちにも教えて、継承のための努力が重ねられてきました。民俗芸能はどこでも、継承者がなくその衰退が危機感をもって語られてきました。それが、津波によってすべてが失なわれた被災地で、何よりも早く復興を遂げている。民俗芸能が秘めている、人と人とをつなぐ大きな力が、思いがけず再発見されようとしているのかもしれません。
 抽象的に文化の復興といっても、なかなか現実には結びつかない。けれども、民俗芸能だけは起(た)ち上がってくる。東北の民俗芸能には、そもそも鎮魂と供養といったテーマが濃密に流れているんですね。鹿踊りもそうだし剣舞(けんばい)などもそうです。あるいは七夕系のねぶたとか竿灯は、災厄を祓(はら)うというテーマをもっています。
 水戸部には鹿踊りの供養塔があって、津波にも流されずに残ったと聞きました。そこには、生きとし生けるものすべての供養のために踊りを奉納する、といった言葉が刻まれているらしい。そうした芸能が〈3・11〉から間もない時期に復興するのは、必然だとも言えますね。犠牲者の鎮魂こそが求められているのですから。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120123/art12012308120002-n1.htm
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戸倉中学校

2012-03-18 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月18日(日)09時13分17秒

南三陸町の戸倉中学校をアップしました。
ここは国道398号線から見上げると結構な高台にあるように思えるのですが、津波浸水高が20.22メートルとのことで、校舎1階まで浸水し、窓ガラスの多くが破壊されています。
校舎より数メートル低い場所にある校庭には仮設住宅が設けられていますが、周辺を見回しても、浸水域外に仮設住宅を設置することは実際上無理ですね。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54502691.html

2012年2月25日の朝日新聞には以下の記事がありました。

------------
悲しみ癒えることなく 津波で殉職の教師の一周忌 宮城

 東日本大震災から1年を迎えるのに先立ち、宮城県南三陸町で津波に遭い、43歳で亡くなった中学教師猪又聡さんの一周忌法要が25日、同県登米市内の寺で営まれた。
 猪又さんは、町立戸倉中学校で理科を教えていた。震災直後、学校に避難してきた住民を助けようとして濁流にのまれた。津波で壊滅した戸倉中は一時的に登米市の廃校に移転している。
 3月11日前後は卒業式や入試が重なり、参列しにくい人もいるため、遺族が日取りを前倒しした。雪の中、同僚ら約40人が参列した。
 猪又さんの父で、自らも中学教師だった清さん(78)は「1年間あっという間にすぎた。この悲しみは今後変わるのだろうか」。参列した小野寺由美子校長は「いまだに悔しい気持ちでいっぱい。3月11日が近づくにつれ、かけがえのない人を失ったという気持ちが強くなっていく」と話した。(三浦英之)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201202250230.html

亡くなった猪又聡氏は戸倉出身ではないのに戸倉に強い愛着を抱いていた熱心な教師だったそうで、検索すると生徒や教職員組合関係者、更に趣味だったというミステリー関係者の哀悼のページが沢山出てきますね。
三浦英之記者は結構良い記事を書いている人なのですが、文中に「津波で壊滅した戸倉中」とあるのは疑問です。
戸倉中学校の建物は立派なもので、1階が浸水しただけで「壊滅」は大げさですね。
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戸倉小学校

2012-03-17 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月17日(土)15時58分40秒

昨日訪問した南三陸町の「戸倉小学校(その1)~(その3)」をアップしました。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54486582.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54486810.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54486972.html

ブログの方にリンク先の『河北新報』記事を引用しておきましたが、ここは在校児童には一人も犠牲者を出さなかった小学校です。
「同校は津波到達までの時間が最悪3分とされた宮城県沖地震を想定し、マニュアルで定めていた避難先を高台から校舎屋上に変更できないか、検討中だった」そうで、仮に教職員が判断を誤り、児童91人と教職員が屋上へ避難していたら、確実に大川小学校と同様の事態になっていたでしょうね。
隣接する戸倉保育所の場合、「マニュアルでは戸倉小の屋上へ一時避難し、落ち着いたら高台へ逃げる手順だった」そうですが、女性保育所長は「建物被害が大きく、戸倉小校舎も危険と判断し、高台への避難を決断。21人の園児は毛布などを持って逃げ、戸倉小の児童より早く高台への避難を完了した」したとのことで、マニュアルに盲従しない優れた判断が園児と職員の命を救った訳ですね。
ちなみに大川小学校は方向的に戸倉小学校の真南に位置し、両校の直線距離は僅か8キロメートルほどです。

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110511_01.htm

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変な警告

2012-03-16 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月16日(金)08時00分57秒

県道41号線(女川牡鹿線)の五部浦トンネルを通らず、海沿いの旧道を廻ってみたところ、変な看板を見つけました。

------------
警告
本敷地に立入る事を禁ず
刑法第三十八條により罰せられます
管理者
------------

刑法第38条というのは刑法総則の条文です。

------------
(故意)
第38条
罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2.重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
3.法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
------------

まあ、この種の警告を掲示する場合、普通は住居侵入罪に該当すると指摘するはずですが、条文は第130条なので3しか合ってないですね。

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(住居侵入等)
第130条 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
------------

入るなと言われれば入ってみたくなるのが人情なので、私も入ってみましたが、別に特に景色がよい場所でもありませんでした。
ちなみに、法律を知っていて条文の誤りを認識していたとしても、「そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはでき」ません。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6287
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女川原子力発電所

2012-03-16 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月16日(金)07時35分16秒

女川訪問後、牡鹿半島東岸沿いの曲がりくねった道を辿って夏浜に行き、更に小屋取海水浴場まで進んで海側から女川原子力発電所を眺めました。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6286

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女川

2012-03-16 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月16日(金)07時16分51秒

14日(水)、東松島市・石巻市と女川町に行ってきました。
女川では瓦礫撤去作業がほぼ終了し、主要観光施設のひとつで、建物自体は頑丈だった「マリンパル女川」の解体作業が行われていました。
去年の4月16日、初めて女川町立病院のある高台から崩壊した市街地を見たときは、こんな高い場所まで津波が襲ったのかと驚いたのですが、瓦礫が一掃されて文字通り何もなくなってしまった街からその高台を見上げると、ずいぶん低い場所だったんだなと感じました。
写真は女川町立病院のある高台から更に長い石段を上ったところにある熊野神社境内より撮ったものです。

※写真略


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磯山聖ヨハネ教会

2012-03-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月14日(水)07時54分31秒

福島県北部の海岸線は警戒区域を除いて殆ど歩いているのですが、3月11日に訪問した新地町の埒浜(らちはま)は初めてでした。
埒浜排水機場の水門に上って周囲を見回すと、小高くなった場所に瀟洒な建物があることに気づいたものの、会社の保養所か何かだろうと思って特に写真も撮りませんでした。
昨日、少し気になって検索してみたところ、「磯山聖ヨハネ教会」だそうですね。
「日本聖公会東北教区」の教会案内には以下のように紹介されています。

-------------
聖公会には珍しく、純農村にある教会です。変容貌修道会によってその基礎が作られました。戦前は地域の方がたくさん出入りする教会でしたが、戦中に根拠のないスパイの嫌疑をかけられたり、嫌がらせを受けたり、悲しい迫害を経験しています。海から近い丘の上にあり、樹木と人家に囲まれて分かりにくい立地にありますが、とても落ち着いた、黙想にはぴったりの教会です。信者の数は少ないですが、みながんばって教会を守っています。どうぞ一度遊びにおいでください。

http://www.k4.dion.ne.jp/~nskk.toh/kyoukaiannai/kenbetu/fukusima.html#label5
http://www.k4.dion.ne.jp/~nskk.toh/

私は「変容貌修道会」という言葉を聞いたことがなかったのですが、検索しても磯山聖ヨハネ教会関係のページ以外出てきません。
「変容貌修女会」だと、「盛岡聖公会」のリンク集に「東北教区でかつて働かれたシスターたちの修道院」とありました。
ただ、そのリンク先を見ると、

-----------
Mary Garden, Episcopal Convent of the Transfiguration in Cincinnati, Ohio

Located on a shady hillside on the grounds of the Episcopal Convent of the Transfiguration in suburban Glendale, this Mary Garden surrounds a statue of the Madonna and Child which had been placed there sometime in the 1960s.

http://www.ictnet.ne.jp/~morioka-seikokai/morioka-link.html

ということで、庭の紹介があるだけですね。
「Episcopal Convent of the Transfiguration」で検索すると、

--------------
The Community of the Transfiguration is a Religious Order for women in the Episcopal Church, USA and part of the worldwide Anglican Communion. We live together in Community under the traditional religious vows of poverty, chastity and obedience. While many Anglican Religious Orders in America originated in England, our order was founded in the United States and our Rule of Life, while influenced by the great traditions of monasticism, is as distinctly American as the order.

Our dedication is to the deep mysteries of the Transfiguration of Jesus?the epiphany of light on the mountaintop followed by the compassionate healing of a child. In choosing the mystery of the Transfiguration our Mother Eva Mary saw in it; "the union of the heavenly and the earthly, the sacramental presence of God. The vision of the King in his beauty is given that the light may shine through us and guide others to know, love and glorify him.”

This union of the earthly and heavenly in the Transfiguration of Jesus is symbolic of the unity of a life of both prayer and service. To read more about the Transfiguration see the article below.

http://www.ctsisters.org/

というサイトがあり、リンク先にするとしたら、こちらが適当のようですね。
農村の教会は全国的にも珍しいと思いますので、後で少し調べてみたいと思います。
なお、磯山聖ヨハネ教会は津波の直接の被害は蒙っていませんが、信者が亡くなり、また地震での建物の損傷があったようですね。

http://www47.atwiki.jp/praytohokuchurch/pages/64.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~nskk.toh/eq0324.html
http://walknskk.blog.fc2.com/blog-entry-118.html
http://walknskk.blog.fc2.com/blog-entry-161.html

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タイトルのプチ変更

2012-03-13 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月13日(火)01時36分58秒

3月12日付で新ブログと掲示板のタイトルを「被災地の神社・寺院へ行こう。」に変更しました。
説教くさい部分をバシバシ削除するつもりでしたが、書いた時点ではそれなりにしっかり考えて書いたつもりなので、個人的なメモの意味でとりあえずそのままにしておこうと思っています。

大震災後、東北に引っ越して来る際に私が意識していたのは青森県出身の今和次郎です。
去年11月下旬に新ブログを開設して以降、アップした写真の枚数は今のところ僅かに3000枚程度で、質はもちろん量の面でも関東大震災後の今和次郎の活動に比すべくもありませんが、まあ、それなりに頑張ったつもりです。

今和次郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AC%A1%E9%83%8E

>筆綾丸さん
はやりアオサギですか。
同じような鳥を奥松島の宮戸島でも見かけたのですが、その時はカメラを持って近づいたら直ぐに逃げられてしまいました。
今回は用心して車の中から撮影したのですが、それでも暫くしたら急に飛び立ってしまいました。
なかなか警戒心の強い鳥ですね。

>土葬
これは去年の3月26日、まだまだガソリン不足が深刻だった時期に、私が最初に東松島市を訪問するきっかけとなった問題ですね。
私はたぶん赤坂氏の考え方に賛成できないのですが、読まずに批判するのもどうかと思うので、後で確認してみます。
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アオサギ?

2012-03-12 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月12日(月)12時58分9秒

>筆綾丸さん
>奥羽列藩同盟旗
多賀城の東北歴史博物館にレプリカが展示されていますが、確かに不思議な図柄ですね。

http://yukisayo62.exblog.jp/13662953/

私の鳥類についての知識は小学生並みなのですが、写真の鳥は筆綾丸さんが少し言及されていたアオサギでしょうか。
福島県新地町の埒浜(らちはま)から国道6号線の福田交差点に戻る途中で見かけました。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6281
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名取市閖上

2012-03-12 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月12日(月)12時49分43秒

昨日は福島県新地町から「ストロベリーライン」(主要地方道38号線、相馬亘理線)を北上し、午後2時46分は宮城県山元町の「常磐山元自動車学校」跡で迎えました。
この自動車教習所では教習生25人が亡くなり、遺族は学校側の避難誘導の不備を理由に学校側を提訴していますね。
跡地は夥しい数の被災自動車置場となっています。
山元町の慰霊祭は別の場所で行われており、遺族と思われる人は少なかったのですが、日蓮宗関係者らしい団体がバスで来ていて、大勢でお経をあげていました。

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110323_13.htm
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120229t11008.htm

その後、ブログの方で紹介したことのある山元町の八重垣神社・「福寿の園」や亘理町吉田浜の海蔵寺・荒浜を訪問し、亘理大橋を渡って岩沼市二の倉の神明神社跡、北釜の観音寺跡等を見てから名取市の閖上に行ってみました。
日和山の近くには多数の自家用車と大型の観光バスが駐車していて、大勢の人が日和山に登っていました。
写真は午後5時頃の閖上です。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6280


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鬼怒鳴門

2012-03-09 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月 9日(金)16時12分22秒

>筆綾丸さん
『中世尼僧 愛の果てに』を読んでみましたが、私もあまり感心しませんでした。
『とはずがたり』における遊義門院の描写は謎が多く、日下氏が遊義門院との関係の分析に力を入れている点は多少評価できると思いますが、結論として『とはずがたり』が遊義門院からの「援助の見返りとして書かれた可能性が高く、最初の読者には女院が想定されているのであろう」(p54)となると、賛成はできかねますね。
金目当てだったら、少なくとも母親の東二条院の悪口をあれだけ書きまくりはしないと思います。
読後感を少し気取ってニーチェ風にまとめると、「後深草院二条という怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。汝が『とはずがたり』の深淵を覗くならば、深淵もまた汝を覗き返すのだ」てな感じですかね。

>朝美納豆
ドナルド・キーン氏は雅号を「鬼怒鳴門」とするそうですが、鬼が怒鳴るのではあまり雅とは言えないですね。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120308-OYT1T01125.htm

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「朝美納豆」
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/6275

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赤坂憲雄氏について

2012-03-08 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月 8日(木)14時00分24秒

赤坂憲雄氏の文章を読んでいると、関心の対象が自分と重なっているだけに、考え方の違いが鮮明になりますね。
ただ、思想云々の問題以前に、赤坂氏があまりに世間知らずなので、ちょっと戸惑うこともあります。
例えば産経新聞の「新章 東北学」の第一回(2011年6月20日)に、次のような記述があります。

-------------
 先日、ある村を訪ねました。被災された方たちからの聞き書きを始めているのです。山ぎわの農家に案内されると、庭に大きなプレハブの建物がありました。そこは機械の部品を作る工場でした。内職のような手さばきで複雑な配線を編む仕事をしているのは、みな近所の女性たちでしたが、10年以上もやっているというから熟練工ですね。衝撃を受けました。何に驚いたかといえば、時給300円程度だというのです。ほとんど『女工哀史』のような光景だと思いました。そして、東北はアジアにつながっているとも感じました。
 政府の復興構想会議でも、「東北はものづくりの大切な拠点だ」という話がくりかえし出てきます。たしかに、数字の上では東北は製造業の割合が非常に高い。民俗学者のわたしはうかつにも、そうした製造業の現場を知らずにきて、はじめてぶつかったんですね。大企業の下請けか孫請け、もっとも末端なのでしょうが、残酷なまでにアジア的だと思いました。賃金が高いということで、どんどん製造業がアジアに出ていくでしょう。かろうじて、東北にはその製造業が残された。彼女たちも被災して家を流されたり、家族を失っていますから、時給300円でも大切な仕事場なんですね。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110620/art11062007240001-n1.htm

赤坂氏がどこを訪問したのかは不明ですが、時給300円というのは考えにくいですね。
なぜなら最低賃金法があるからです。
福島県の「地域別最低賃金」は現在658円で、他の県も大体同じような水準ですね。
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/sangyo/koyo/002951.html

これを下回る賃金しか払っていなかったら、使用者に刑事罰が課されます。
労働者から労働基準監督署に通報があれば、すぐに調査が入りますので、時給300円で働かせるなど実際には考えにくいですね。
赤坂氏が最低賃金法の存在を知ってさえいれば、300円と聞いた時にすぐに変だなと思って、更に質問し、事情をより正確に把握できたはずですね。
最低賃金法の存在自体を知らないほど社会・経済に無知な人が復興構想会議の委員だったかと思うと、いささか暗澹たる気持ちになります。
また、このエッセイが紙面に載る前に目を通した編集や校正担当の関係者はそれなりに多かったのではないかと思いますが、誰も疑問を抱かずに記事になったとすれば、産経新聞全体の知的水準の問題にもなりますね。


コメント (3)
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「セシウムさいた」が駄目?

2012-03-08 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月 8日(木)09時12分57秒

私は産経新聞の保守反動的体質が好きなので、購読はしないのですが、ネットでは結構見ています。
同じく購読まではしたくない朝日新聞と比べると、着眼点が面白い記事が多いように感じるのですが、次の記事はどんなもんなんですかね。

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「セシウムさいた」で講演 埼玉県教組の集会 批判受け表題変更

 埼玉県教職員組合などが10日にさいたま市内で開く集会で、「さいたさいたセシウムがさいた」と題した米国出身の詩人による講演を計画していたことが7日、分かった。
 演題は、講演を行う中原中也賞詩人のアーサー・ビナード氏の発案。同教組などは同氏の意向をそのままくみ、参加を呼びかけるビラを配布した。
 副題は「3・11後の安心をどうつくり出すか」で、東電福島第1原発事故に伴う放射性セシウムを指しているのは明らか。数日前からインターネットの掲示板などで「被災者の気持ちを逆なでしている」「この表題をなんとも思わない教師が教壇に立っているのか」との批判が相次いでいた。
 批判が殺到したことから主催者側は7日、表題の変更を決めた。ただ講演は予定通り行い、ビラの回収は物理的に「できない」としている。
 セシウムをめぐっては東海テレビが昨年8月、情報番組で岩手県産米のプレゼント当選者を「セシウムさん」と表示したことが問題となったことがある。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120308/edc12030800120000-n1.htm

アーサー・ビナード氏は優れた詩人であり、「さいたさいたセシウムがさいた」も詩的言語ですから、講演全体が「被災者の気持ちを逆なでしている」内容ならともかく、これだけを取り出して東海テレビの「セシウムさん」と同じだと批判するのはピント外れのように感じますね。
表現の自由は優越的価値を持つ人権であることを、報道機関である産経新聞自身がきちんと自覚すべきですね。

>筆綾丸さん
日下氏の平家物語研究は評価が高いので、国文学界では優秀な人だと思っていたのですが、「超能力的な性格」ですか。
うーむ。
「とはずがたり」は様々なタイプの莫迦を、それぞれのタイプごとに綺麗に映し出す鏡ではないか、というのが私のかねてからの持論なのですが、 言葉の用い方を見る限り特に新しいタイプではなさそうですね。

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