学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

赤坂憲雄氏について

2012-03-08 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月 8日(木)14時00分24秒

赤坂憲雄氏の文章を読んでいると、関心の対象が自分と重なっているだけに、考え方の違いが鮮明になりますね。
ただ、思想云々の問題以前に、赤坂氏があまりに世間知らずなので、ちょっと戸惑うこともあります。
例えば産経新聞の「新章 東北学」の第一回(2011年6月20日)に、次のような記述があります。

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 先日、ある村を訪ねました。被災された方たちからの聞き書きを始めているのです。山ぎわの農家に案内されると、庭に大きなプレハブの建物がありました。そこは機械の部品を作る工場でした。内職のような手さばきで複雑な配線を編む仕事をしているのは、みな近所の女性たちでしたが、10年以上もやっているというから熟練工ですね。衝撃を受けました。何に驚いたかといえば、時給300円程度だというのです。ほとんど『女工哀史』のような光景だと思いました。そして、東北はアジアにつながっているとも感じました。
 政府の復興構想会議でも、「東北はものづくりの大切な拠点だ」という話がくりかえし出てきます。たしかに、数字の上では東北は製造業の割合が非常に高い。民俗学者のわたしはうかつにも、そうした製造業の現場を知らずにきて、はじめてぶつかったんですね。大企業の下請けか孫請け、もっとも末端なのでしょうが、残酷なまでにアジア的だと思いました。賃金が高いということで、どんどん製造業がアジアに出ていくでしょう。かろうじて、東北にはその製造業が残された。彼女たちも被災して家を流されたり、家族を失っていますから、時給300円でも大切な仕事場なんですね。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110620/art11062007240001-n1.htm

赤坂氏がどこを訪問したのかは不明ですが、時給300円というのは考えにくいですね。
なぜなら最低賃金法があるからです。
福島県の「地域別最低賃金」は現在658円で、他の県も大体同じような水準ですね。
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/sangyo/koyo/002951.html

これを下回る賃金しか払っていなかったら、使用者に刑事罰が課されます。
労働者から労働基準監督署に通報があれば、すぐに調査が入りますので、時給300円で働かせるなど実際には考えにくいですね。
赤坂氏が最低賃金法の存在を知ってさえいれば、300円と聞いた時にすぐに変だなと思って、更に質問し、事情をより正確に把握できたはずですね。
最低賃金法の存在自体を知らないほど社会・経済に無知な人が復興構想会議の委員だったかと思うと、いささか暗澹たる気持ちになります。
また、このエッセイが紙面に載る前に目を通した編集や校正担当の関係者はそれなりに多かったのではないかと思いますが、誰も疑問を抱かずに記事になったとすれば、産経新聞全体の知的水準の問題にもなりますね。


コメント (3)
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「セシウムさいた」が駄目?

2012-03-08 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月 8日(木)09時12分57秒

私は産経新聞の保守反動的体質が好きなので、購読はしないのですが、ネットでは結構見ています。
同じく購読まではしたくない朝日新聞と比べると、着眼点が面白い記事が多いように感じるのですが、次の記事はどんなもんなんですかね。

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「セシウムさいた」で講演 埼玉県教組の集会 批判受け表題変更

 埼玉県教職員組合などが10日にさいたま市内で開く集会で、「さいたさいたセシウムがさいた」と題した米国出身の詩人による講演を計画していたことが7日、分かった。
 演題は、講演を行う中原中也賞詩人のアーサー・ビナード氏の発案。同教組などは同氏の意向をそのままくみ、参加を呼びかけるビラを配布した。
 副題は「3・11後の安心をどうつくり出すか」で、東電福島第1原発事故に伴う放射性セシウムを指しているのは明らか。数日前からインターネットの掲示板などで「被災者の気持ちを逆なでしている」「この表題をなんとも思わない教師が教壇に立っているのか」との批判が相次いでいた。
 批判が殺到したことから主催者側は7日、表題の変更を決めた。ただ講演は予定通り行い、ビラの回収は物理的に「できない」としている。
 セシウムをめぐっては東海テレビが昨年8月、情報番組で岩手県産米のプレゼント当選者を「セシウムさん」と表示したことが問題となったことがある。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120308/edc12030800120000-n1.htm

アーサー・ビナード氏は優れた詩人であり、「さいたさいたセシウムがさいた」も詩的言語ですから、講演全体が「被災者の気持ちを逆なでしている」内容ならともかく、これだけを取り出して東海テレビの「セシウムさん」と同じだと批判するのはピント外れのように感じますね。
表現の自由は優越的価値を持つ人権であることを、報道機関である産経新聞自身がきちんと自覚すべきですね。

>筆綾丸さん
日下氏の平家物語研究は評価が高いので、国文学界では優秀な人だと思っていたのですが、「超能力的な性格」ですか。
うーむ。
「とはずがたり」は様々なタイプの莫迦を、それぞれのタイプごとに綺麗に映し出す鏡ではないか、というのが私のかねてからの持論なのですが、 言葉の用い方を見る限り特に新しいタイプではなさそうですね。

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