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明石博隆・松浦総三編『昭和特高弾圧史』

2018-12-24 | 「五〇年問題」と網野善彦・犬丸義一
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月24日(月)12時24分35秒

私は今回、改めて「戦後の日本常民文化研究所と文書整理」を読み直した時点でも、「丸山真男、堀米庸三、猪野謙二、寺田透、杉浦明平、塙作楽、明石博隆という錚々たるメンバー」の中で、ただ一人、明石博隆については名前すら聞き覚えがなかったのですが、明石博隆・松浦総三を編者とする『昭和特高弾圧史』全八巻(太平出版社、1976~77)の奥付、「編者紹介」を見ると、

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明石博隆<あかしひろたか> 1914年兵庫県に生まれる。1933年旧制一高文科を中退、1938年東京外語専修科露語部終了。1933年および43年治安維持法違反のため検挙。戦前は『文学界』(文圃堂発行)の編集、国際問題調査会でのアジア・中国問題研究に従事、戦後は世界評論社などの出版社勤務をへて、現在はフリーの文筆活動
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とあります。
ついでに共編者の松浦総三は、

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松浦総三<まつうらそうぞう> 1914年山梨県に生まれる。1936~39年中央大学に学ぶ。1939年竜門社・渋沢栄一伝記資料編纂所へ入所。1944年東京外語専修科露語部終了。1946~55年改造社に勤務、以後フリーのジャーナリスト。1971年「東京空襲を記録する会」事務局長となり、74年『東京空襲・戦災誌』(菊池寛賞受賞)をまとめる。著書に『占領下の言論弾圧』など
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となっていて、明石と松浦はともに「東京外語専修科露語部終了」ですね。
松浦はウィキペディアにも立項されていて、世間的には明石より松浦の方が知名度が高いのではないかと思います。
松浦は大月書店から多数の編著を出していますから共産党系の人で、明石も、党員であったかはともかくとして、少なくとも代々木と敵対する立場の人ではなさそうですね。

松浦総三(1914-2011)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E7%B7%8F%E4%B8%89

明石博隆の名前で国会図書館サイトで検索しても、1958年、「石炭綜合研究所」の『炭研』という雑誌に4回にわたって掲載された「ドイツ石炭鉱業にたいする国家経済政策の歴史的概観」という論文があるくらいで、他は殆ど『昭和特高弾圧史』関係です。
明石は『昭和特高弾圧史』全八巻を出して直ぐ、1978年に亡くなっており、大原勇三他編『海鳴りのように : 明石博隆追悼』(私家版、1979)があるそうです。
丸山眞男の「明石博隆君のこと」(『丸山眞男集』第11巻、岩波書店、1996)は、この追悼集に寄せられた短いエッセイで、『昭和特高弾圧史』を誰かが無断転載したという著作権がらみのトラブルで明石から相談を受けた、みたいなことがちょっと書かれているだけで、一高時代については特に参考になりそうな記述はありませんでした。
少し脱線しますが、『昭和特高弾圧史』は、その「刊行のことば─『昭和特高弾圧史』の刊行にあたって」を見ると、

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 一九四五年、十五年戦争における日本帝国主義の全面的敗北とともに特高警察が解体されて三〇年が経過した。特高警察は、一九一〇年、幸徳秋水らの大逆事件を機に社会主義運動の抑圧を目的として設けられたが、この年はまた日本による韓国「併合」の年でもあった。「昭和」時代にはいると、治安維持法を改悪して弾圧立法を整備し、「満州事変」後の一九三二年には外事・労働・内鮮(朝鮮人弾圧)・検閲などの機構を強化し、やがて上海・ロンドン・ベルリンにまで組織をひろげて海外情報の収集と外地における逮捕・弾圧を企てるなど、ついに世界に冠たる政治・思想警察として君臨した。【中略】
 このように特高警察は、悪名高い憲兵とともに、天皇制=日本ファシズム権力の中枢にあって、アジア侵略の尖兵の役割を果たしたのである。
 しかも今日、特高警察の亡霊とその政治的・思想的遺産は、一方において、現代日本の警備・公安警察、アメリカのCIA、およびKCIAをはじめとする韓国の警察機構によって継承され、他方また、靖国法案・入管法・刑法「改正」にみられる日本ファシズムの再編成のなかに生きつづけている。
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といった具合で、問題意識はそれなりに高邁かつ深遠ですが、内容はいわゆる歴史書ではなく、資料集ですね。

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 本書は、このような今日的状況のなかに特高警察のかつての弾圧活動とその本質を、まさにかれら自身の記録によって語らせようとするものである。われわれは、膨大な「厳秘」資料─旧内務省警保局「特高月報」、同「特高外事月報」、および十五年戦争の末期において「特高月報原稿用紙」に書かれたナマ原稿─整理・編集して提供することにした。このナマ原稿は、十五年戦争の全面的敗北を目前にして印刷するいとまのないままアメリカ占領軍によって押収され、今日まで全く研究者の眼にふれる機会のなかったものであるが、編者松浦総三がアメリカ議会図書館・国立公文書館から発掘・入手して、とくに本書に収めることができた。
 本書では、天皇制権力が十五年戦争の推移とともに渾身の力をこめて弾圧にあたったものが何であったかが浮き彫りになるように配慮しつつ、弾圧の各事項を問題別・時期別に編集した。権力者自身の記録による民衆弾圧の犯科帳たる本書は、同時に権力にたいする糾弾・告発の書ともなって、絶望と暗黒のなかでさまざまな抵抗をつづけた日本と朝鮮の民衆のすがたを明らかにするであろう。
 戦前昭和史の研究に利するところ少なくないであろうことにひそかな自負をこめて、本書をおくりだすものである。
  一九七五年五月
           編者 明石博隆
              松浦総三
           刊行者 太平出版社
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ということで、大変な手間と時間をかけた書籍であることは間違いありませんが、個々の資料は公的機関が作成した公用文書であり、「弾圧の各事項を問題別・時期別に編集」した程度では「編集著作物」としての「創作性」があるかというと、それも疑問です。
丸山眞男が明石から相談を受けたトラブルの具体的内容は分かりませんが、他人が編者に無断で利用したとしても、著作権法で争うのは無理筋かな、という感じがします。
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