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「普通一高生は東京大学新人会から来る学生によって"洗脳"されて左翼運動に入るのだが……」(by 杉浦明平)

2018-12-25 | 「五〇年問題」と網野善彦・犬丸義一
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月25日(火)11時39分32秒

宇野脩平や明石博隆に関して私が入手できた情報はまだまだ不充分なのですが、結論として、「伊藤律氏よりもむしろ宇野さんのほうが、一高の運動の中では地位が高かった」などという事態は、客観的にはおよそありえなかったでしょうね。
それは当時の共産党が置かれていた政治情勢と、その中における伊藤律の活動状況を見れば自ずと明らかです。
戦前の共産党の活動一般については多数の参考文献があるので、それに譲るとして、伊藤律に関しては、野坂参三(1892-1993)や宮本顕治(1908-2007)に近かった人々の著書・論文は疑問が多く、現時点で一番信頼できるのは、やはり渡部富哉の『偽りの烙印─伊藤律・スパイ説の崩壊』(講談社、1993)ですね。

渡部富哉(1930生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%83%A8%E5%AF%8C%E5%93%89

同書から少し引用してみます。(p127以下)

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 伊藤律は一九一三(大正二)年六月二十七日、岐阜県土岐郡土岐村(現・瑞浪市)で生まれた。一九三〇(昭和五)年四月、同県立恵那中学から四年終了で第一高等学校に入学する。一高同期の作家・杉浦明平の語るところによると、

「普通一高生は東京大学新人会から来る学生によって"洗脳"されて左翼運動に入るのだが、彼は入学したときからすでに社会主義に強い関心を持っていた。一年のとき早くも読書会を主宰しその影響をうけた者が多かった」

という。
 一九三一(昭和六)年初秋、伊藤律は共産青年同盟に加入し、国際反帝反戦同盟日本支部の東京中央委員会印刷局に入った。そこで彼は、昼は学校と家庭教師、夜はアジトでガリ切りと印刷、そして配布と、典型的な活動家としての生活を送り、まもなく印刷局の責任者となる。
 当時、一高の共青組織は特高警察によって破壊されていた。そのため、伊藤は共産党の指示をうけて組織の再建に当たっていたのである。その後、組織が再建されると、伊藤の主導で非合法の共青細胞新聞「自由の柏」が発行された。この再建活動に参加した者の中に、同期生で長谷川浩の弟である長谷川治がいた。その頃、兄の長谷川浩は獄中におり、伊藤は彼の活動や非転向を貫いた獄中生活をその弟を通して詳しく耳にし、多大な感銘を受けていた。これ以後、長谷川浩は、伊藤律と生涯にわたって重要な関わりを持つ人物となる。そのあたりのことは、伊藤律の講演録「戦時下における党再建活動─長谷川浩を偲んで」に詳しい(巻末付録参照)。
 同年の夏になると、一高の非合法組織は探知され、メンバーは次々と逮捕されていった。伊藤にも危機が迫り、九月には地下に潜行、十二月に入ると一高当局から放校処分を受けた。ちなみに、一高で伊藤の一級下だった小野義彦の著書『昭和史を生きて』によると、一九三〇(昭和五)年の一高入学者のうち三十二名が、翌一九三一(昭和六)年には入学者のうち四十二名が、中途退学になっていたという。
 地下潜行後、伊藤は反帝同盟の任務を、級友の佐々木正治に引き継いで、共産青年同盟学生対策部のオルグとなり、東京城西地区を担当した。城西地区とは、東京帝国大学をはじめ東京商科大学(現・一橋大学)や早稲田大学などをかかえる全国でも最大級の組織だった。その時の学対部長が、後に戦後の日本共産党教育宣伝部を担当していた小松雄一郎であった。プロローグでも述べた朝日新聞連載の「故国の土を踏みて」のインタビュアーは、この小松であったのだ。
 一九三三(昭和八)年の二月、伊藤は共青の中央事務局長となり、正式に日本共産党に入党する。彼の主な任務は、共青中央と下部組織との連絡、中央機関紙をはじめ、その他の印刷物の全国配布、アドレスの管理などであったが、まだ二十歳にもなっていなかった時のことである。
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ということで、まるで革命運動をするために生まれてきたかのような早熟ぶりですね。
このように伊藤律は組織を運営する非凡な能力を有していましたが、これは宇野脩平には全く欠落していた能力です。

伊藤律(1913-89)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%BE%8B

なお、「同年の夏になると」とありますが、これは1932年(昭和7)のことですね。
また、小松雄一郎については、この掲示板でも一度触れたことがあります。
もっとも音楽研究者、『ショパンの手紙』(白水社、1965)の翻訳者としての小松についてですが。

「ベートーヴェンに魅せられた日本共産党最高幹部」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dc125b11a74cca3bcb23ee6d6a0ba92f
小松雄一郎(1907-96)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E9%9B%84%E4%B8%80%E9%83%8E
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