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速水融氏とエマニュエル・トッド

2016-03-14 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月14日(月)11時19分20秒

1929年生まれの速水融氏はイデオロギーの匂いが全く感じられない点で、この世代の歴史学者の中では稀有な存在ですね。
速水氏は確か『網野善彦著作集』の月報で日本常民文化研究所時代の網野氏の思い出を書かれていたはずですが、網野氏のような超有能オルグの直ぐ近くにいながら思想的影響は特に受けず、かといってコミュニストを毛嫌いする訳でもなくて、安良城盛昭氏のようなクセのある人ともずいぶん仲が良かったそうですね。
『歴史のなかの江戸時代』(藤原書店、2011)の磯田道史氏との対談では、

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安良城盛昭君は沖縄出身で、東大の社会科学研究所で非常に活躍した人で、僕の論敵だったんですね。ただ面白いことに、「君は勇気がある」と彼からは言われました(笑)。つまり、みんなマルクス主義になっているのに、僕一人、これを否定してやっていたので。それで「意気地のない味方よりは、勇気のある敵の方がおれにとっては頼もしいんだ。だからおまえの論文は文句なく載せる」というわけですよ。社会経済史から分かれて『土地制度史学』という雑誌ができて、安良城君がその中心だった。その『土地制度史学』第二号に僕の論文が載っている。他はみんなマルクス主義一色ですから、僕のだけ明らかに異色なんですよ(笑)。
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と言われています。(p389)

安良城盛昭氏と「関東史観」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/56ef1bba76a4094a7786b5c2ef1afc82
「失職した植民地大学教員の受け皿」(by 酒井哲哉氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a527d9b6299d6b57a615244ac1fb6564

こういう人柄は学者ばかりの一族に生まれた育ちの良さによるのですかね。
また、当時の慶応の学風なのかもしれません。

「慶應義塾を知る・楽しむ─研究最前線」
http://www.keio.ac.jp/ja/contents/research/2010/6.html

ただ、エマニュエル・トッドの『新ヨーロッパ大全』を読んだ後で、同書を高く評価する速水氏自身の業績とトッドの業績を比較すると、速水氏がイデオロギーに極端に無関心な点には若干の物足りなさも覚えます。
何だか人口調査の職人さんみたいな感じで、もう少し思想的に深める方向に行ってもよかったのでは、と思うのは贅沢なないものねだりでしょうか。
上記対談によると磯田道史氏は速水氏に師事するために慶應に入ったのだそうで、エマニュエル・トッドの業績も早い段階で知っていたはずですね。
しかし、最近の磯田氏の一般向けの著書を見ると、妙に老成した若き説教親父みたいな感じで、速水氏の後継者とは呼べないでしょうし、ましてエマニュエル・トッドの学風の欠片も感じられません。
日本でエマニュエル・トッドの学問全体を正面から受けとめ、近代日本社会の分析に取り組んだ人はいないのでしょうか。

>筆綾丸さん
>Broccolo Romanesco
フラクタルですね。

>韓国棋院がよくこの対戦を了承したな
三敗後に辛くも一勝ですね。
リンク先の「中央日報」の記事には、

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一日3万個の棋譜を自ら学習し、1200個余りのCPU(中央処理装置)を装着して中央の「厚み」まで計算しながら最適な手を見つけ出すアルファ碁は、人間が届かない「囲碁の神」のようになりつつあった。
http://japanese.joins.com/article/163/213163.html?servcode=400§code=450&cloc=jp

とありますが、「囲碁の神」の死を嘆くのではなく、新しい人工知能の「囲碁の神」の誕生を言祝ぐ(?)という発想はニーチェもびっくりですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Broccolo Romanesco 2016/03/12(土) 17:05:20
ザゲィムプレィアさん
識字率の時代変化を説明できる関数など存在しないだろうな、とは思いましたが、やはりないですよね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%B3
全く関係ない話ですが、数年前、この野菜をパリのマルシェではじめて見たとき、その幾何学的な美しさに一目惚れして(パリジェンヌなどより格段に綺麗です)、早速、購入して食べたことがあります。日本でも、この頃、見かけるようになりました。味は普通のブロッコリーと大差ないのですが。
この野菜が何時頃から存在するのか、不明ですが、パスカルやデカルトが知っていたら、研究テーマのひとつにしただろうな、と思われます。ギリシャのメタモルフォーゼ神話になぞらえていえば、幾何(数)に魅せられたユークリッドかピタゴラスの変身後の姿といえるかもしれませんね。

小太郎さん
「一七二一年から定期的に、全国を地方別に人口調査したという例はヨーロッパのどこにもない」とのことですが、吉宗の発想は驚異的ですね。・・・と書いて、今頃、気がついたのですが、統計局を和歌山に、という案は、吉宗の全国人口調査を踏まえて紀州徳川家を顕彰するという目的もあるのですね。

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 早くも十七世紀にスウェーデンのルター派教会は、国家に後押しされつつ、識字化運動を開始するが、それは全国的に目覚ましい成功を収めることになる。文明の中心から隔たった寒冷の地にあって、その住民の大部分が農民であるこの国で、住民の圧倒的多数がわずか数世代の間に文字を読むすべを身につけてしまったのである。一六八〇年から一六九〇年までの間に生まれた世代の識字率は、どうやらすでに八〇%に達していると見られる。すでに一八世紀半ばには、スウェーデンにおいて大衆識字化の過程は完了しているのである。(『ヨーロッパ大全?』177頁)
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はじめて知りましたが、ノーベル賞の設立にはダイナマイトだけではなく国民的な知的水準の高さという歴史的な背景があったのですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A_(%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E5%A5%B3%E7%8E%8B)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
また、スウェーデン女王クリスティーナがいかに聡明な女性であったにせよ、なぜ、デカルトは寒冷のストックホルムまでのこのこ出掛けたのか、ずっと疑問でしたが、パリより知的水準が高かったことも理由のひとつなんでしょうね。もっとも、当地で風邪をひき、デカルトは死にますが。
「デカルトは、クリスティーナ女王のカトリックの帰依に貢献した」とウィキにありますが、トッドの分析を踏まえると、この女王がルター派からカトリックに改宗して亡くなるというのは、なかなか面白いですね。

追記
http://japanese.joins.com/article/108/213108.html?ref=mobile
この記事は興味深いですね。
韓国棋院がよくこの対戦を了承したな、とは思います。もしかすると、最初に打診してきたのは日本棋院だったのか。しかし、負ければ理事達に責任問題が発生しかねず、体よく断ったのかもしれないですね。
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